長屋王(684~729)は高市皇子の子で天武天皇の孫。万葉集、懐風藻に多くの詩歌を残す文人。深く佛教に帰依し、712年(和銅5年)従兄文武天皇崩御に際し大般若経600巻を書写。うち220巻が現存。滋賀県甲賀郡鮎河村の太平寺に142巻あるので、太平寺大般若経ともいわれています。また長屋王願経 和銅経とも。年号が明記された古写経のうちでは我国最古とされます。また長屋王が当時中国・唐代の高僧に送った千着の袈裟の縁に刺繍の漢詩「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」は鑑真の心を動かし日本行きを決意させたとされます。この言葉は今年の最初のころ武漢でコロナが猖獗を極めていたころ日本から送ったマスクの箱にも書かれて當時話題になりました。長屋王の功徳は千数百年後も続いていたのです。長屋王は「長屋王の変」で藤原氏の陰謀により神亀六年729二月に自裁しています。しかしこの陰謀藤原四兄弟は藤原政権を樹立するも、四人とも天然痘にかかり、すぐに死没しています。