地蔵菩薩三国霊験記 12/14巻の4/6
四、灯明の功徳、身より光を放つ事
豊後の郡司の妃、宿縁多幸にして何心もなき五歳の時、御乳(乳母)が膝の上にあそびけるに客人来たりて、南無地蔵と申しけるを聞き、初めて口真似しけること日夜に止ることなし。去る程に父母不思議の思を成して地蔵の形像を造り奉りあたへけるほどに、妃いよいよ悦て礼拝し恭敬し奉る事かぎりなし。其の後灯明を奉ることを見習ひて御前に火を供して貴みけり。父母これを見て火災を恐れて強に制しけるにややもすれば灯明をかかげて是を悦びける。父母しからば所詮油を隠せと下知しければ妃も力なきことを歎きて玄冬の寒日は雪を積んで灯とし、淋々たる雨の夜は朽木の光を捧げて御明となし。九夏の熱き夜は蛍をあつめ包て来たりけり。夜明けて見ければ虫ことごとく死したりしをいかばかりあさましきことにぞ思ける、ある時乳母に向て云く、何とて世の中に油と云ものはなきぞと云ふ。乳母の云く、わきみのごとくさがなくっ母公の制し玉ふをもきき玉はず家財なんど煙ともなし玉ひなんことを哀み給ひて佛の御はからひにて世の中に油滅失せ侍るとぞ、申す。さらば父の御前に明かりて見ゆるは何、と尋ぬれば、あれこそ山婆の光物とて怖ろしき物なりと申す。さすが幼女の事なれば其の後は思留りける。されども時々は御明の志忘れかねて乳母の手箱の中にありける髪をよりそふ油を見出して忍びて地蔵の御前に幽にぞ明しける。人の見る由あれば打ち消して名号を口唱してぞありける。とかくして十歳になりぬれば最早苦しくあるべからず是の如く好むことぞ許してなさしめよとて油をぞ与へゆるしける。妃大に喜びて常灯を地蔵にぞ奉りける。然るに夏の比、大事に病むことありて万事を放下して臥し沈みて悩みける。次第に重りて終に虚しくなりけり。父母の哀しみ云ふにはかりなし。三七日すぎて、かくしてあるべきことならずと野外に此れを送りけり。母公あまりの戀しさに虚しき塚の邊に至りて泣き伏してありしが、かくてもあらんず、塚を穿出させて虚しき尸を見ければ、彼女息を吹き出して目を開き南無地蔵とぞ唱へければ母公はあきれはてありしが次第に色相も元の如くになりたりければ母公の喜び幻とや云はん真とや云べきと、先ずともなひてぞ皈りける。さて此のごろのありさまいかにと問ければ、されば我等浮世を背くかとをぼしくて、月日の光もなき闇道に落ちて母君も在す所を唯り足に任せて行くほどに、冥途と申す所とて星の影だになくして灯もなき方に立ち入りて、いまだ畫にも見ざりし色々の鬼ども来たりて歩みを責めれども其の杖身にも当たることなく、鬼王いかりて火の光をかくせども更に暗きことなし。されども怖ろしきことかぎりなし。我身明かなることさながら今生にて仏前へ灯明を供せし故とぞ、鬼ども申しける。道は分明に見へしかども更に行くべき方をしらずして独り中有に迷けるに、地蔵菩薩来らせ玉ひて
、如何世の中の怖しかりつらん。汝は我が女(むすめ)なり。鬼王の呵すべきにあらず、とて手を取りて引き導き玉ひて鬼王の所をば退き玉ひて高き岩の上へに指置て休め玉ひ、是より路数多あり、我が栖無垢世界と申す目出度き都へや行くべき、亦穢悪充満したるいやしき里へや皈るべき、との玉ひしに、わらは母公のまします所へかへりたく侍ると申せば、安きこととて地蔵菩薩御背を任せ玉へば取り付きて飛び去り給ふ。早き事矢の如し。肝消へ心細くならんときは我が名を唱て力にせよとの玉ひて此に送り付けて地蔵は何へか皈らせ玉ひつらん。御手を放ち玉はば亦鬼王や来りてますと申せば、幾度も我が名を唱よ恐れあるべからずと教へ多摩ふほどに數返となへ奉れば、ほどなくよみがへりたり、と申しけり。されば身には異香薫じあたりを香ばしくす。暗夜といへども身の光明かなりければ幾重の衣を通しければ皆人ことに衣通妃とぞ申しける。されば果たして皇恩を蒙て身を雲の上にたはれて心は月影を下に見るとなん。異端のともがら如是のことを聞かば笑を起こし毀りを為すべし。我が神通の妙用は汝が輩の及ぶところにあらず。とかくに疑心を止めて一向専念地蔵せば功用かぎりあるべからず。鐘は打つによりて響き、鏡は向ふに従て影を現ず。真に志あらば何の事か成ぜざらんや。此の方の信の至らぬ故に此の如き事を奇怪の事に思ひ不審を成す。能々思ふべし信ずべし、されば延命地蔵經の中に、心眼の明となりて其人の前に現れて所求圓満せん。若し爾らずんば不取正覚(仏説延命地蔵菩薩経「世尊よ、 未来の衆生 、もし此の経、是の菩薩名を聞かば、我等皆當に是人に随順し、心眼明と作し、 其人の前に現れて所求圓満せん。若し爾らずんば不取正覚」)こそ説き玉へり。予私の了簡を以て強ひて造作することはなきなり。堅固の信人仰ぐべし云々。