福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

釈雲照師「十善業道経講義」から・・その48

2018-04-17 | 諸経
「正勤の荘厳のゆえに悉く能く一切の不善の法を断除して一切の善法を生ず」
これは三十七道品中の四正勤である。三十七道品は前に言う如く無上菩提の果を得る功徳の品類が三十七あるのでこの品類の功徳法門を修行して涅槃の道に入ることができるから道品というのである。この言を引いて八正道広しと言えども十悪の人は行かずと昔の「童子経(この後出します)」にある。(この童子経には神儒仏三道一貫の主義があらわれておる)。・・日本は神道が国教で大切であるが・・応神天皇の時分に儒道を交えた。儒道は「未だ死を知らず、いずくんぞ生を知らんや」と孔子が言われた通り、生きている間のことがわからぬからまして死んだあとのことがわからぬ。・又「未だ人に事えること能わず、いずくんぞ鬼につかえんや。」といわれた。いまだ親に孝行すら出来ぬ、君主に志を尽くすこともできぬ、夫に貞節を尽くすことも出来ぬのに鬼神とて目に見えぬ幽冥の御方のご機嫌などとることが出来ぬ。・こういう風におしえるのが即ち儒教というて即ち支那の孔子老人や老子聖人の教えた教えである。それだから応神天皇のときに朝鮮より参った王仁(わに)という人が日本の神道は嘘じゃということを書いた。それがために神様のご機嫌が悪くて応神天皇にお告げなされた。王仁(わに)は油断がならぬ、我が神の国のことをあなどるのは不都合である。翌朝応神天応が王仁を呼んで汝が居間で書き居るのは神様が甚だご機嫌がわるいから出せとおっしゃった。すると王仁はぶるぶるとふるえて、なんと日本の神様は恐ろしいものじゃ、だれにも言ったことも見せたこともないがそれを知って御座るとは実におそろしいというて出したから、応神天応はそれを焼かせられた。これは「先代旧事本紀」応神天皇の巻にでているじゃ。
それから欽明天皇の時に仏法が加わった。仏法でいうと天龍八部無尽無量の神がある。それと能く合う。これだこれでなければならぬというて聖徳太子が神儒仏一体の道徳をお説きなされたのが本になって弘法大師に至って今いうたように、「実語経」や「童子経」がでてきた・・それから以後は日本は神儒仏三道一つにして教えねば日本の教えでないというようになってきた。
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