福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

十善戒和讃略解(慈雲尊者・釋雲照)、14

2020-02-14 | 十善戒

言辞弁舌明瞭に 生まれし種は不綺語なり。 時候和順に資産富み、草木さえ皆 色ぞ増す
この四句は第五の不綺語戒を讃嘆する。綺語とは、戯笑等の種々野卑の雑談をいうなり。初めの二句(言辞弁舌明瞭に 生まれし種は不綺語なり)は等流果を明かし、次の二句(時候和順に資産富み、草木さえ皆 色ぞ増す)は増上果を示す。等流果とは習慣によって成せる結果である。所謂習い性となるものを習果といいまた等流果というのである。およそ一切の善悪の諸業に三の結果あり。1、等流果2、報果3、増上果である。
1、 等流果についていえば、今世に綺語を好むものは未来に下賤醜陋の身を受け、言語するとも人は信受せず、これに反して不綺語戒を守る者は未来に於いてひとは相貌温厚の報を受け、人はその言を尊崇する。これを不綺語の等流果という。
2、 報果とは綺語等の十悪によって地獄に落ちることをいう。
3、 増上果とは己が造る善悪の報が己一身の上のみならず、余報が国土田畑家屋等に現れるものをいう。不綺語の増上果は山林樹果茂り田園収穫多く、果実は甘味多く、家屋堅牢にして傾倒なく、田畑潤沢にして旱魃の被害なく、衣服光沢を増し、・・牛羊繁茂し金貨の利息は失墜することなきことを得る。これ天地自然の道理にして物の当然なり。




十善戒和讃全文「 帰命頂礼 十善戒、 十方三世の諸如来の三十二種の妙相もこの浄戒を種因とす。戒定智慧も三密も三十七の道品も身三口四と意三より 皆生じたる功徳なり。世間諸善の根本にて人の人たる道なれば、出家在家も持つ(たもつ)べく老若長幼奉ずべし 。龍樹菩薩の教誡に 仏果を期して戒なきは、渡りに船のなき如く 到るを得じと、のたまえり。昔、比丘あり、行く道に渇きに迫り水を得て、蟲の命をあわれみて 死して道果を得たりけり。また八才の少沙弥の、水の流れて蟻穴に入るを救いし功徳にて 夭死転じて長寿せり。また、毘舎伽母の指の輪の 落ちて入江に沈みしも、元の指端に還りたるためしは実にいなまれず。影勝王の像の子の産に臨みて悩みしを牧牛の女の操もて、誓いて分娩せしめたり。斑足王の猛悪も 実語のとくに感悟して、九十九余の命をも放ちて道に入りにけり、言辞弁舌明瞭に生まれし種(もと)は不綺語なり。時候和順に資産富み 草木さえ皆色ぞ増す。人天中に香はしきものは善語に過ぐるなし。妻子眷属和悦して上下人心、皆服す。主従和睦違わぬは 不両舌語の功徳なり。親好厚く和敬せば これぞ菩薩の心なる。足ることを知る人の身は 地上に臥すも浄土なり。 己をせめて施せよ、多欲は餓鬼の種因なり。世を乱し、身を滅ぼすは皆一朝のいかりなり。一切男女は過去の父母、とか一子の慈悲を運ぶべし。八正の道広けれど 邪見の人ぞ踏み迷う。己が顔貌智慧技量 皆善悪の影ぞかし。神も聖もみ仏も みなこの道に由りたもう。これぞ真実の道なれば この道撥無するなかれ。妻子珍宝及王位 死出の旅路の共ならず。唯この戒の功徳のみ 身に添う三世の友ぞかし。百歩の間持(たも)つすら 仏になるとのたまえば、萬行中の易行なり 唯 ひたすらに守るべし]  

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