コロナ禍も「共業」のなせる業
最近天変地異・異常事態が多発しています。平成の自然災害だけでも、雲仙普賢岳噴火からはじまって、北海道南西沖地震、阪神・淡路大震災、三宅島噴火、鳥取県西部地震、新潟県中越地震、福岡県西方沖地震、能登半島地震、新潟中越地震、岩手・宮城内陸地震、新燃岳噴火、広島市土砂災害、御嶽山噴火、熊本地震、九州北部豪雨、大阪府北部地震、西日本豪雨、北海道胆振東部地震と、次々と大規模な災害が発生しました。極めつけは平成23年の東日本大震災とそれに伴う未曾有の原子力事故です。また目に見えない異常として気候変動という大問題もあります。
そして今回は昨年から始まった大コロナ禍です。
何かかがおかしい、どこかが間違っている、と思わざるを得ません。
仏教には「共業」(ぐうごう)という言葉があります。どうもこれだけ異常事態が頻發するとこの「共業」が表にでてきたのでは、と思わざるを得ません。
京都一灯園の西田天香師は問題を抱える人すべてに対し「私が悪うございました」といったそうです。 寛平の治を実現された宇多天皇は「民の罪悪は自分の徳が足りないためだ」とされ899年、東密根本法流の一つ広沢流の祖、益信から灌頂を受けて真言僧になられました。(その後、天台、真言諸流の伝授を受け事相に通じ広沢流の第二祖にもなられました。仁和寺の開祖でもあります。)
指導者層はもとより異常事態への責任は重大ですが、天台宗や日蓮宗では「一念三千」といい、万法(すべてのものごと)はわが心の影なりといいます。我々一人一人も継ぎ目の無い一つの業の世界を形成しているのですから評論家のように指導者の責任として自分は無関係、とはいえません。
すべて我々一人一人に異常事態の責任があるということです。自分は無関係だ、他人が悪いとおもっているとすればそれは愚か者の考えです。 (しかし常に自己を正当化してないとなぜか不安なのが我々愚者の愚者たる所以でもあります。)
仁王護国般若経に「国土の中に無数の鬼神あり、一一に無量の眷属あり、もしこの経を聞かば国を守らん。もし国乱れんと欲せんときは鬼神まず乱る。鬼神乱るるが故に即ち万人乱る。・・・天地変化し日月衆星時を失し度を失し大火大水及び大風等あらん」とあります。鬼神とは諸の真理を覚ってない霊魂、夜叉とか亡霊です。鬼人を成仏させていなければ国が乱れるということです。いまの日本で成仏できている霊がどの程度あるかは疑問です。指導者層を含め生きている我々が深い迷いの只中で「共業」を積み増しているのですから鬼人も相当迷っているでしょう。僧侶の責任は重大です。
私も含めて僧侶は皆修法の時は「衆生無辺誓願度」「願わくはこの功徳を以て普く一切に及ぼし・・」と唱えることとなっています。
この前提として「功徳」をちゃんと積まなければ「一切に及ぼす」原資がないことになります。こういう異常時こそ必死に功徳を積みたいものです。