福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「宗教」という言葉は元来、仏教の遥か下位の概念であったこと

2018-12-01 | 法話
秋篠宮が大嘗祭に国費を支出することに疑義をおとなえになっているというニュースがありましたが前回書いたように全く問題はないのですがあえて「宗教」という言葉の意味を書いておきます。

第二十条には「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。・・国及びその機関は、・・いかなる宗教的活動もしてはならない。」とあります。これが政教分離の憲法上の規定ですが、しかしそもそもこの「宗教」という語は「その宗の教え」という意味で「佛教」の遥か下位の概念であったことを常識として知っておくべきです。

佛教大辞典には「宗教」として以下のように記述しています。
宗の教旨、或いは宗即ち教えの意味。又宗と教との併称。法華録第七に『正教を毘賛し宗教を発明す』といい、法華玄義第十上に『有師は五宗教を開く』といい、華嚴五教章 第一に『大衍法師等の一時の諸徳に依るに四宗教を立つ・・』といい、佛祖統紀第二十九に、賢首宗教、慈恩宗教といい、百丈清規巻下大衆章沙弥得度の條に『力めて宗教を扶く』といえるは、その宗の教旨、若しくは宗、即ち教の意にて宗教と称したるなり。
また『宗』と『教』とを別義とし『教』は機に応じて施設せる佛の聖教を指し、『宗』は教の中に於いて各その主とする所の理致を指すとなせるものあり。華厳五教章第一に『分教開宗とは中に於いて二あり。初めに法に就いて教を分かつに教の類に五あり。後に理を以て宗を開くに乃ち十あり』といい、新華厳経合論第一に『第一に教によりて宗を分かつことを明かし、第二に宗に依りて教別なることを明かす』といへる如きは其の意なり。・・・」

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