史料綜覧 巻五 / 弘長三年(1263)正月九日条
「九日 時宗 疱瘡ニ罹ル」
時宗はこの後、弘安の役(弘安四年1281)を指揮して蒙古軍を撃退しています。
実際には弘安七年(1284)4月4日には出家し、同日に34歳(満32歳)で逝去。自らが開いた鎌倉山ノ内の瑞鹿山円覚寺に葬られた。死因は結核とも心臓病とも云われています。
史料綜覧 巻五 / 弘長三年(1263)正月九日条
「九日 時宗 疱瘡ニ罹ル」
時宗はこの後、弘安の役(弘安四年1281)を指揮して蒙古軍を撃退しています。
実際には弘安七年(1284)4月4日には出家し、同日に34歳(満32歳)で逝去。自らが開いた鎌倉山ノ内の瑞鹿山円覚寺に葬られた。死因は結核とも心臓病とも云われています。