今日は大師が福州の観察使兼刺史閻済美に入京を促す書を与えられた日です。
日本後紀延暦二十四年十月三日の条に「州に到る。新除観察使兼刺史閻済美(えんせいび)処分、且奏、且廿三人を放ち 入京せしむ・・」とあり、性霊集にはこの時の大師の「大使福州の観察使に与ふるがための書」があります。
「大使福州の観察使に与ふるがための書」
賀能かのう(遣唐使藤原葛野麻呂)啓す。高山澹黙(たんぼく・何も言わない)なれども、禽獣労を告げずして投り帰おもむく、
深水言はざれども、魚龍倦むことを憚らずして逐ひ赴く。
故に能く西羌(せいきょう・西域の異民族)、険しきに梯して垂衣の君に貢し
南裔、深きに航して刑厝(けいそ・刑を不要するような有徳)の帝に献ず。
誠に是れ明かに艱難の身を亡すことを知れども、
然れども猶ほ命を徳化の遠く及ぶに忘るる者なり。
伏して惟みれば大唐の聖朝、霜露の均しき攸ところ(気候の順当な地域)、皇王宜しく宅とすべし。
明王武を継ぎ、聖帝重ねて興る。九野を掩頓して、八紘を牢籠す。
是を以て我が日本国、常に風雨の和順なるを見て定むで知りぬ、中国に聖有すことを。
巨棆を蒼嶺に刳くぼめて(大木を高山で削りて船を造り)、皇華を丹墀(たんち・朝廷)に摘む(朝廷の命で船を出してきた)。蓬莱の琛(たから)を執り、崑岳の玉を献ず。
昔より起て今に迄るまで、相続ひで絶えず。
故に今、我が国主、先祖の貽謀を顧みて今帝の徳化を慕ふ。
謹んで太政官右大弁正三品兼行越前国の太守・藤原朝臣賀能等を差して、使に充てて国信別貢(いつもの貢物や臨時の貢物)等の物を奉献す。
賀能等、身を忘れて命を銜ふくみ、死を冒して海に入る。
既に本涯を辞して、中途に及ぶ比に、暴雨帆を穿って、戕風(しょうふう・暴風)柁かじを折る。
高波、漢(天の川)に沃いで、短舟裔裔(えいえい・波間に流され)たり。
凱風朝に扇いで、肝を耽羅(たんら・高麗の耽羅の人々は獰猛と聞き)の狼心に摧く。
北気夕に発れば、贍を留求(りゅうきゅう・琉球)の虎性に失ふ。
猛風に頻蹙して、葬を鼈口に待つ。驚汰に攅眉して(けいたいにさんび・高波に眉を顰める)し、宅を鯨腹に占む。
浪に随て昇沈し、風に任せて南北す。
但だ天水の碧色のみを見る。豈山谷の白霧を視んや。
波上に掣々(せいせい・漂う)として、二月有余。水尽き人疲れ、海長く陸遠し。
虚を飛ぶに翼脱け、水を泳ぐに鰭ひれ殺れたるも、何ぞ喩と為るに足らむ哉。
僅かに八月の初日、乍ちに雲峯を見て欣悦極り罔し。
赤子の母を得たるに過ぎ、早苗の霖に遇へるに越えたり。
賀能等万たび死波を冒して、再び生日を見る。
。
是れ則ち聖徳の致す所にして、我が力のよくする所に非ず。
又大唐の日本に遇すること、八狄(北方の八種の異民族)雲のごとくに会ひて高台に膝歩し、
七戎(西方の七種の異民族)霧のごとくに合ひて魏闕(ぎけつ・朝廷)に稽顙すと云ふと雖も、而も我が国の使に於ては、
殊私曲げ成して(特別丁寧に)待するに上客を以てす。
面りに龍顔に対して自ら鸞綸(らんりん・天子の言葉)を承る。佳問栄寵已に望の外に過ぎたり。
夫の璅々(ささ・細かい)たる諸蕃と豈に同日にして論ずべけんや。
又竹符銅契はもと姧詐に備ふ。世淳く、人質なるとき文契何ぞ用いむ。
是の故に我が国、淳樸(純朴)より已降、常に好隣を事とす。
献ずる所の信物、印書を用いず。遣する所の使人、姧偽有ること無し。
其の風を相襲いで今に盡くること無し。
しかのみならず使乎の人(しこのひと・立派使者)は必ず腹心を択ぶ。任ずるに腹心を以てすれば、何ぞ更に契を用いむや。
載籍(中国の古典によれば)の伝ふる所、東方に国有り、其の人懇直にして礼義の郷、
君子の国といふは蓋し此が為か。
然るに今、州使責むるに文書を以いて、彼の腹心を疑ふ。
船の上を撿括して公私を計へ数ふ。斯れ乃ち、理、法令に合ひ、事、道理を得たり。官吏の道、実に是れ然るべし。
然りと雖も遠人乍ちに到て途に触れて(法令を犯したとして)憂多し。海中の愁猶胸臆に委る。徳酒の味未だ心腹に飽かず。率然たる禁制、手足厝おきどころ無し。
又建中以往の入朝使の船は、直に楊蘇に着ひて漂蕩の苦しみ無し。
州県の諸司、慰労すること慇懃なり。左右、使に任せて船の物を撿へず。
今は則ち事、昔と異なり、遇すること望と疎そかなり。底下の愚人、竊に驚恨を懐く。
伏して願はくは遠きを柔なつくるの恵を垂れ、隣を好する義を顧みて、
其の習俗を縦にして常の風を怪まざれ。
然らば則ち涓々たる百蛮、流水と與にして舜海(朝廷)に朝宗し、
喁々(ぎょうぎょう・多)たる万服、葵藿(きかく・向日葵)と将にして以て堯日に引領せん。
風に順ふ人甘心して輻湊し、腥きを逐ふ蟻は意に悦して駢羅たらむ。今常習の小願に任へず。奉啓不宜。謹んで啓す。
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