福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観音霊験記真鈔10/33

2024-04-10 | 諸経

観音霊験記真鈔10/33

西國九番和州南圓堂不空羂索像。御身長一丈六尺。

釋して云く、不空羂索観音とは先ず像法を明かさば、不空羂索神變真言經の説の由るに三説あり。一には三面十臂、二には三面六臂、三には一面四臂なり。今世間の像を見るに多くは三面六臂なり。此の像相に依りて判せば不空羂索真言經二十二巻に云く、不空羂索観世音三面六臂、正中の大面は慈悲熈怡にして大梵天の面の如し。眉間の一眼首は 天冠を頂き、冠に化阿弥陀あり。左の面の怒目は畏るべき相なり。眉間の一眼は鬢髪聳竪して首に月桂を戴き冠に化佛あり。右面は顰眉怒目にして・牙上に出し極大にして畏るべし。右の一の手は羂索とは千手經に云、若し種々不安にして安穏を求める者の為に當に羂索の手を以てす。

一の手は蓮華とは經に云、若し種種功徳者の為には當に白蓮華の手に於いてなすと。一の手は三叉戟とは經に云、若し若し他方の逆賊を辟除せん者の為には當に寶戟手に於いてす。左の一手は斧鉞とは、經に云、若し一切時處に好く官難を離れん者の為には當に斧鉞の手に於いてす。一の手は施無畏とは、經に云、一の手は施無畏とは經に云、若し一切處怖畏不安の者の為には當に施無畏手に於いてすべし。一手は如意寶の杖とは是如意寶珠の所以にして

寶を施し玉ふことを示し玉へり。

千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經「佛告阿難。若爲富饒種種珍寶資具者。當於如意珠手。若爲種種不安求安隱者。當於羂索手。若爲腹中諸病。當於寶鉢手。若爲降伏一切魍魎鬼神者。當於寶劍手。若爲降伏一切天魔神者。當於跋折羅手。若爲摧伏一切怨敵者。當於金剛杵手。若爲一切處怖畏不安者。當於施無畏手。若爲眼闇無光明者。當於日精摩尼手。若爲熱毒病求清涼者。當於月精摩尼手。若爲榮官益職者。當於寶弓手。若爲諸善朋友早相逢者。當於寶箭手。若爲身上種種病者。當於楊枝手。若爲除身上惡障難者。當於白拂手。若爲一切善和眷屬者。當於胡瓶手。若爲辟除一切虎狼犲豹諸惡獸者。當於旁牌手。若爲一切時處好離官難者。當於斧鉞手。若爲男女僕使者。當於玉環手。若爲種種功徳者。當於白蓮華手。若爲欲得往生十方淨土者。當於清蓮華手。若爲大智慧者。當於寶鏡手。若爲面見十方一切諸佛者。當於紫蓮華手。若爲地中伏藏者。當於寶篋手。若爲仙道者。當於五色雲手。若爲生梵天者。當於軍遲手。若爲往生諸天宮者。當於紅蓮華手。若爲辟除他方逆賊者。當於寶戟手。若爲召呼一切諸天善神者。當於寶螺手。若爲使令一切鬼神者。當於髑髏杖手。若爲十方諸佛速來授手者。當於數珠手。若爲成就一切上妙梵音聲者。當於寶鐸手。若爲口業辭辯巧妙者。當於寶印手。若爲善神龍王常來擁護者。當於倶尸鐵鉤手。若爲慈悲覆護一切衆生者。當於錫杖手。若爲一切衆生常相恭敬愛念者。當於合掌手。若爲生生之衆不離諸佛邊者。當於化佛手。若爲生生世世常在佛宮殿中。不處胎藏中受身者。當於化宮殿手。若爲多聞廣學者。當於寶經手。若爲從今身至佛身菩提心常不退轉者。當於不退金輪手。若爲十方諸佛速來摩頂授記者。當於頂上化佛手。若爲果蓏諸穀稼者。當於蒲萄手。如是可求之法有其千條。今粗略説少耳」

本体の合掌の二手を加へば八臂なり。當段六臂と十臂の説と左右の御手次第に上下顛倒せり已上。

次に不空羂索とは漢語なり。梵には阿牟伽皤賖(あむがばしゃ)と云也。名義集に出る。千手經に云、佛の言く、此の菩薩を観世音自在と名け、又羂索と名け、亦千光眼と名く。此の羂索を又不空と名く(千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經「佛言此菩薩名觀世音自在。亦名撚索亦名千光眼」)。されば世間の羂索は索を以て獣を取る時に或いは中り、或いは中らざる也。此の羂索は衆生を摂取するに中らざる者なし。演秘抄に見えたり。此の故に不空羂索經の序に云、縄を擲げて獣を取る、或時は索るに空し、この教の動揺中らざることなきに由る故に不空羂索と云ふ(不空羂索神呪心經後序「題稱不空等者。別衆經之殊號也。至如擲羂取獸。時或索空。茲教動捊罔不玄會。故受斯目也。」)。慧琳の大般若経音義に云、羂索は央羂に反し亦罥に作る。考聲に縄を以て禽獣を取る也。(一切經音義第三十九卷「羂索 上涓兗反桂苑珠藂云以繩繞係取物謂之羂説文冈也從冈絹聲或作罥下桑各反集訓云索繩也文字典」)。亮汰法師(江戸時代の真言僧)の云、羂索とは義、十手に約す也。千光眼は文十眼を示す也。或師は不空羂索尊は生死の大海に妙法蓮華の餌を撒き、心念不空の縄を以て衆生の魚を釣り上げ菩提の彼岸に送る意なりと。不空羂索神変真言經三十巻乃(いまし)如来諸聖衆を将ひて海中の寶陀落迦山の中に至り、観自在大士夙願力の故に佛に向て斯の神呪を演(の)べ廣く人天を利す(委しくは大蔵指要録に明かす如し)。西國九番目大和國南都興福寺内南圓堂丈六八臂三目の不空羂索は弘仁四年813光仁天皇の御願として諫議大夫藤原冬嗣即弘法大師と意を合わせ南圓堂を建て不空羂索幷に四天王の像を安ず。荘麗殊特なり。光仁天皇は桓武帝の第二の御子なり。世に傳ふ、爾時藤氏漸微なり。大夫の南圓堂営構は家族を栄へんことを願ふとなり。果たして大夫、宰輔に登る。藤氏益繁昌すること是ひとへに不空羂索大悲の像を造立し玉ふ霊感として冬嗣官位に進み家族弥よ盛んなりしとなり。是観音一つの現益なり。故に信心あって此の不空王尊に帰依し禮佛称名せば現世には諸願成就して一切の災難を消除し、當来には佛果の覺殿にいたらんこと疑ひなし。或時大夫冬嗣此の不空の尊を刻み氏族繁栄を祈り申されけるに、明神、役夫に雑りて

「補陀落の 南の岸に堂立てて 今ぞ榮へん 北の藤波」(新古今和歌集卷第十九神祇歌)

と詠歌し玉ふは此時の事なり。今歌の意は、「北」とは北家藤房前の大臣の御流なるべし。此の大臣遠き慮りやましましけん、子孫の学問を勧めん為に勧学院を建立せられける。大学寮に東西曹子(部屋)あり。菅江の二家これを主りて人を教る所なり。彼の大学寮の南に此院を建立せられしければ南曹とぞ申しける。氏の長者たる人宗と此院を管領して興福寺及び氏の社の事執行し玉ひけるなり。然る故にや宜しき有職の人多く在しけるなり。次に「補陀落の南の岸」とは南天竺の東南に有る山と見へたり。此山一段と嶮しくして凡人の行く所にあらず。而れども山の頂に大なる池あり。其の水山より下りて山を周帀して南海に入る。池の側らに大石あり。観音住立し往来し玉ふと見へたり。委しくは西域記に釋するが如く、釈迦如来彼の補陀落山に至りて説法し玉へる經を不空羂索經と名く。(玄奘『大唐西域記』「秣剌耶山東有布呾洛迦山。山徑危険、巌谷敧傾。山頂有池、其水澄鏡、流出大河、周流繞山二十匝、入南海。池側有石天宮、観自在菩薩往来遊舍。(秣剌耶山の東には布呾洛迦山がある。その山の径は危険であり、山と谷は傾斜して険しい。山頂には池があり、その水は鏡のように澄んでいる。〔その池より〕大河が流出し、山を二十周周流して、南海に入る。池の側には石天宮があり、そこに観自在菩薩が往来しやって来てとどまる。)」

彼の經同本異譯あり。五部六部の經なり。何れも經の始めに「如是我聞一時薄伽梵住補陀落山観世音菩薩摩訶薩大官殿中云々」

歌に

「春之日波南円堂丹輝天 三笠之山丹 晴薄雲(春の日は南円堂に輝きて三笠の山にはるるうすぐも)

私に云、歌の意は「春の日は南円堂」とは春の日は陽気を受けて次第に暖かなるものなる故に尒か云ふなり。日と云ふ縁を受けて輝くと云へるなり。下の句の「三笠の山」等とは上の日のかがやくを見るといふ縁の詞なるべし。三笠の山は名所なり。所詮藤家次第に繁昌する意を含んで、「晴る薄雲」と云ふなるべし。裏の意は観音の浄土に往生をとげて業障の雲のはれたる心地を詠じ玉ふとみるべし已上。安倍仲麿が歌に

「天の原 提(ふり)さけ見れば 春日なる 三笠の山に 出し月かも」(古今和歌集 巻第九 羇旅歌406番歌。「このうたは、むかしなかまろを、もろこしに物ならはしにつかはしたりけるに、あまたのとしをへてえかへりまうてこさりけるを、このくにより又つかひまかりいたりけるにたくひて、まうてきなんとていてたりけるに、めいしうといふ所のうみへにて、かのくにの人むまのはなむけしけり、よるになりて月のいとおもしろくさしいてたりけるをみてよめるとなんかたりつたふる」 

或人の歌に

「風さそふ 西に入日の影なくば 何に迷の雲を晴らさん」

又、後京極(九条良経)の歌に

「春日山 都の南 しかぞ思ふ 北之藤並春丹逢と輪」(新古今和歌集・巻第七・賀歌。家に歌合し侍りしに、春祝(はるのいはひ)の心をよみ侍りける。摂政太政大臣「春日山(かすがやま)都の南しかぞ思ふ北の藤波(ふぢなみ)春に逢(あ)へとは」)已上西國の歌に引き合わすべし。

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 道の本は無始無終、教の源は... | トップ | 定業を転じた話 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

諸経」カテゴリの最新記事