定業を転じた話
Q,定業(過去の業因によって結果を招くことが決定している業)は仏様でも転ずることができないと言われますが、では仏様の利益とは一体何なのか?
A,業には現世で報いがでるもの、来世で出るもの、再来世ででるもの、いつ出るかわからないもの、と種々の業がある。軽重はあるが業の報いは必ず出る。佛力・法力により定業は転ずることは出来るが懺悔がなければ転ずることは出来ない。
夢中問答集(無窓疎石)より・・
「神仏の効現
問、仏力・法力たやすく定業を転ずることあたわずばなにをか仏法の利益と申すべきや?
答、業に種々のしなあり。現生にやがて報ふをば、順現業と名ずく。次生に報ふをば順生業といふ。順生の後に報ふをば順後業なり。もしこの三種よりも軽き業なるは、いつにても便宜の時報ふべし。かやうなるをば不定業と名ずけたり。軽重によりて遅速ありといえども作りおける業の報たがはずしてただ止むことはあるべからず。仏力・法力にあらずはいかでかこれを消滅せむや。仏力・法力ありといへども、衆生若し求哀懺悔の心なければ消滅することあたわず。・・朝夕の振る舞ひはみな神意に背きながら,我が祈ることのかなはぬと恨み奉ることはひがめるにあらずや。
・今昔物語集巻十九には師僧の病死を変わって受けようと弟子が祈願したところ、共に助かったという話があります。これなど當に仏力により定業を転じたというべきでしょう。
「代師入太山府君祭都状語 第廿四」
「今昔、智興と云ふ人有けり。三井寺の僧也。止事無き人にて有ければ、公け私に貴ばれて有ける間、身に重き病を受て、悩み煩けるに、日員積て、病重く成ぬれば、止事無き弟子共有て、歎き悲て、旁に祈祷すと云へども、更に其の験無し。而る間、安倍の晴明と云ふ陰陽師有けり。道に付ては止事無かりける者也。然れば、公け私、此れを用たりける。而るに、其の晴明を呼て、太山府君の祭と云ふ事を令(せしめ)て、此の病を助て、命を存むと為るに、晴明、来て云く、「此の病を占ふに、極て重くして、譬ひ太山府君に祈請4)すと云へども、叶ひ難かりなむ。但し、此の病者の御代に、一人の僧を出し給へ。然は、其の人の名を祭の都状に注して、申し代へ試みむ。然らずば、更に力及ばぬ事也」と。弟子共、此れを聞て、「我れ、師に代て、忽に命を棄む」と思ふ者、一人も無し。只、「命を全くして、師の命を助けむ」とこそ思へ、亦、「師、失なば、房をも取り、財をも得、法文をも伝へむ」とこそ思へ、「代らむ」と思ふ心の露無からむも理はりなれば、互に貌を守て、云ふ事も無くして居並たるに、年来、其の事とも無くて、相ひ副る弟子有り。師も此れを懃にも思はねば、身貧くして、壺屋に住て有る者有けり。此の事を聞て云く、「己れ、年既に半ばに過ぬ。生たらむ事、今幾に非ず。亦、身貧くして、此より後、善根を修せむに堪へず。然れば、同く死ぬらむ事を、今、師に替て死なむと思ふ也。速に、己れを彼の祭の都状に注せ」と。
他の弟子共、此れを聞て、「有難き者の心也」と思て、我が身こそ「代らむ」と云はねども、「彼が『代らむ』と云こそ、聞けば哀なりけれ」と泣く者も多かり。晴明、此れを聞て、祭の都状に、其の僧の名を注して、丁寧に此れを祭る。師も此れを聞て、「此の僧の心、此(かく)許有るべしとは、年来思はざりつ」と云て泣く。既に祭畢て後、師の病、頗る減気有て、祭の験有るに似たり。
然れば、代の僧は、必ず死(しなん)とすれば、穢かるべき所など沙汰し取らせたりければ、僧、聊なる物具なむど拈(した)ため、云ふべき事など云ひ置て、死なむずる所に行て、独り居て、念仏唱へて居たり。
終夜、傍の人聞けども、忽に死ぬとも聞こえぬに、既に夜曙ぬ。僧は「死ぬらむ」と思ふに、僧、未だ死なず。師は既に病𡀍れば、僧、「今日など死なむずるにや」と思ひ合ぬる程に、朝に晴明来て云く、「師、今は恐れ給ふべからず。亦、代らむと云し僧も恐るべからず。共に命を存する事を得たり」と云て返ぬ。師も弟子も、此れを聞き喜て、泣く事限無し。
此れを思ふに、僧の師に代らむと為るを、冥道も哀び給て、共に命を存しぬる也けり。皆人、此の事を聞て、僧をなむ讃め貴びける。
其の後、師、此の僧を哀びて、事に触て、止事無き弟子共よりも重くして有ける。現に理也。実に有難き弟子の心也。師も弟子も共に久く有てぞ失にけるとなむ、語り伝へたるとや。」