四国88カ所お遍路の旅 ~その5~
バスは36番清龍寺から国道56号を四万十市方面へ。清流四万十川が流れ、標高が300m程の台地が広がる四万十町に、五尊の本尊を祀る岩本寺は建立されている。
第37番札所藤井山岩本寺
本 尊:不動明王 観世音菩薩 阿弥陀如来 薬師如来 地蔵菩薩
開 基:行基菩薩
寺伝によれば、行基が、仁井田明神の傍に建立したと伝えられる福円満寺が前身。後に弘法大師がこの寺を訪ね、仁井田明神の別当寺とし37番札所に定め5尊を本地仏として安置。 中世の火災によって、福円満寺の法灯は岩本寺(当時は岩本坊)に、継承される。
本堂内陣の格天井画は昭和53年に新築の際、全国から公募した絵画が並べられている。皆一様に首を傾け、天井絵を眺める。花や、動物、仏画などさまざまジャンルに渡って描かれているカラフルな天井に心が和む。 本堂、大師堂で納経。
お寺には大師ゆかりの七不思議が今も伝えられている。①子安桜:難産で苦しんでいる旅の女を大師がお加持をして安産させた。②三度栗:子供が栗を何回もなってほしいといい大師は三度実が なるようにした。③口なし蛭:ひるに血を吸われている娘を大師はひるの口を封じて救った。④桜貝:大師が御室の浜に庵を結び桜を植えられたが、花の頃訪れたら散っていたので磯の貝が桜の花片になった。⑤筆草: 大師が月を見て筆を投げられたらそこから筆に似た草がはえた。⑥尻なし貝: 伊与木川を渡る時川蜷貝が足をさすので大師は貝の尻の尖った所を除かれた。⑦戸たてずの庄屋:大師の盗難除けの祈念によって戸をたてなくとも盗難にあわなかった。「 窪川民話のさとめぐりより」
四国88カ所霊場の中でも、高知県の道のりは霊場から霊場までの行程も長く、道も険しい。「修行の道場」と呼ばれるのもうなずける。歩き遍路の方々は、日陰のない国道歩きが多く、海風にあおられて、ほこりも多い。バスで行く私たちは、何時も、頭の下がる思い。堅い国道を歩くお遍路さんには、お大師様のご加護が多くあると思いながらも、手を合わせて無事を祈る。「同行二人」と書かれた笠の中の顔ははっきり見えないが、真っ黒に日焼けしたたくましい腕や、大きめのリュックに、これまでの行程の厳しさが伺える。
特に、37番岩本寺から、38番金剛福寺までの札所間の距離は、四国全札所の中で最長。約90キロはある。徒歩では2~3日かかる。しかし私たち巡礼一行は金剛福寺のある足摺岬までバスで2時間半。
足摺岬といえば、昔読んだ田宮虎彦の小説が浮かぶ。……戦前のこと。主人公の大学生は、自殺しようと足摺岬へやってくるが、肺の病がひどくなり、雨の中を歩いたせいで高熱を発し、ようやく宿に辿り着く。そこで、お遍路の老人や薬売りの商人に手当を受け、自死への道を踏みとどまる。その時看病してくれた八重と結婚。八重は結核で若くして亡くなる。戦後になって、主人公は再びその地を訪れることに……
読後お遍路さんや特攻崩れの宿の息子をとおして、「理屈では説明のできない不条理や哀切」「どうにもならない現実を生きなければならない人間の宿命」を感じてなんともやりきれなく悲しかった。また作品の中で青年の自殺を思い止まらせたのにもかかわらず、田宮虎彦の晩年の投身自殺の驚きも忘れられない。
今、四国のお遍路に来て、心に感じる諸々の不条理や、思いどうりにならない切なさを感じても、お大師さまのお陰で、雲が払いのけられるように心が軽くなっていく。お大師様に救われていると感じる自分を思うとき、田宮虎彦には救いは無かったのかと思う。また小説の中で語られる、心の闇、あるいは人間の業に解決の道は示されていない。戦争を経験するという時代のせいもあるが、何とかならなかったのかなど、今になって色々と考えさせられる。 K&K・記 つづく
バスは36番清龍寺から国道56号を四万十市方面へ。清流四万十川が流れ、標高が300m程の台地が広がる四万十町に、五尊の本尊を祀る岩本寺は建立されている。
第37番札所藤井山岩本寺
本 尊:不動明王 観世音菩薩 阿弥陀如来 薬師如来 地蔵菩薩
開 基:行基菩薩
寺伝によれば、行基が、仁井田明神の傍に建立したと伝えられる福円満寺が前身。後に弘法大師がこの寺を訪ね、仁井田明神の別当寺とし37番札所に定め5尊を本地仏として安置。 中世の火災によって、福円満寺の法灯は岩本寺(当時は岩本坊)に、継承される。
本堂内陣の格天井画は昭和53年に新築の際、全国から公募した絵画が並べられている。皆一様に首を傾け、天井絵を眺める。花や、動物、仏画などさまざまジャンルに渡って描かれているカラフルな天井に心が和む。 本堂、大師堂で納経。
お寺には大師ゆかりの七不思議が今も伝えられている。①子安桜:難産で苦しんでいる旅の女を大師がお加持をして安産させた。②三度栗:子供が栗を何回もなってほしいといい大師は三度実が なるようにした。③口なし蛭:ひるに血を吸われている娘を大師はひるの口を封じて救った。④桜貝:大師が御室の浜に庵を結び桜を植えられたが、花の頃訪れたら散っていたので磯の貝が桜の花片になった。⑤筆草: 大師が月を見て筆を投げられたらそこから筆に似た草がはえた。⑥尻なし貝: 伊与木川を渡る時川蜷貝が足をさすので大師は貝の尻の尖った所を除かれた。⑦戸たてずの庄屋:大師の盗難除けの祈念によって戸をたてなくとも盗難にあわなかった。「 窪川民話のさとめぐりより」
四国88カ所霊場の中でも、高知県の道のりは霊場から霊場までの行程も長く、道も険しい。「修行の道場」と呼ばれるのもうなずける。歩き遍路の方々は、日陰のない国道歩きが多く、海風にあおられて、ほこりも多い。バスで行く私たちは、何時も、頭の下がる思い。堅い国道を歩くお遍路さんには、お大師様のご加護が多くあると思いながらも、手を合わせて無事を祈る。「同行二人」と書かれた笠の中の顔ははっきり見えないが、真っ黒に日焼けしたたくましい腕や、大きめのリュックに、これまでの行程の厳しさが伺える。
特に、37番岩本寺から、38番金剛福寺までの札所間の距離は、四国全札所の中で最長。約90キロはある。徒歩では2~3日かかる。しかし私たち巡礼一行は金剛福寺のある足摺岬までバスで2時間半。
足摺岬といえば、昔読んだ田宮虎彦の小説が浮かぶ。……戦前のこと。主人公の大学生は、自殺しようと足摺岬へやってくるが、肺の病がひどくなり、雨の中を歩いたせいで高熱を発し、ようやく宿に辿り着く。そこで、お遍路の老人や薬売りの商人に手当を受け、自死への道を踏みとどまる。その時看病してくれた八重と結婚。八重は結核で若くして亡くなる。戦後になって、主人公は再びその地を訪れることに……
読後お遍路さんや特攻崩れの宿の息子をとおして、「理屈では説明のできない不条理や哀切」「どうにもならない現実を生きなければならない人間の宿命」を感じてなんともやりきれなく悲しかった。また作品の中で青年の自殺を思い止まらせたのにもかかわらず、田宮虎彦の晩年の投身自殺の驚きも忘れられない。
今、四国のお遍路に来て、心に感じる諸々の不条理や、思いどうりにならない切なさを感じても、お大師さまのお陰で、雲が払いのけられるように心が軽くなっていく。お大師様に救われていると感じる自分を思うとき、田宮虎彦には救いは無かったのかと思う。また小説の中で語られる、心の闇、あるいは人間の業に解決の道は示されていない。戦争を経験するという時代のせいもあるが、何とかならなかったのかなど、今になって色々と考えさせられる。 K&K・記 つづく