高野春秋に
(延喜二十一年 922十月)「二十一日、勅。檜皮色法衣一襲、贈大僧正空海入定の庿所に贈賜せんと欲す、之を製裁せよ。天皇今暁霊夢叡感ある故也。御夢は大僧正来現して云く、帝我がために檜皮色御装束一襲を裁製し野山入定の庿所に贈賜せよ云々」とあります。
このとき大師は「高野山結ぶ庵に袖朽ちて こけの下にぞ 有明の月」と詠まれたとされ弘法大師御詠歌第二番となっています。
此のあと、大師号とともに檜皮色の法衣を二十七日に御廟で捧げることになりドラマが起こります。
高野春秋に
(延喜二十一年 922十月)「二十一日、勅。檜皮色法衣一襲、贈大僧正空海入定の庿所に贈賜せんと欲す、之を製裁せよ。天皇今暁霊夢叡感ある故也。御夢は大僧正来現して云く、帝我がために檜皮色御装束一襲を裁製し野山入定の庿所に贈賜せよ云々」とあります。
このとき大師は「高野山結ぶ庵に袖朽ちて こけの下にぞ 有明の月」と詠まれたとされ弘法大師御詠歌第二番となっています。
此のあと、大師号とともに檜皮色の法衣を二十七日に御廟で捧げることになりドラマが起こります。