弘安の役で興正菩薩叡尊が石清水八幡に祈願して神風を吹かせたときの願文です。
「・・政道が廃れ、神祇が国民の非礼を咎め、仏が日本人が虚妄の生き方をするのを咎められるとしても、日本は神の国であり、日本人は神の末裔であります。昔新羅僧道行は熱田神宮の草薙の剣を盗み出そうとしましたが(風雨に遇い失敗して返しました)、彼などは三帰五戒を守ってる僧侶に過ぎず、日本の僧侶は二百五十の具足戒を守っています。尊卑もくらべものになりません、智慧も行も当方は遥かに深いものがあります。敵は仁義にも背き殺盗を兼ねる非道の輩、我が朝は佛法を守り社稷の神祇を敬い、人民は五常に随い十善を好んでいます。神仏は照覧したまえ。」これによると僧侶が二百五十戒を守り、人々が十善を守っていることを神仏に訴えて祈願しています。現在の僧俗はよほどこの祈願文を拳拳服膺すべきでしょう。
「八幡愚童訓」にあります。
「異国の襲来は貴賤上下道俗男女一味同心の歎き、七道諸国の煩いなり。悲しいかな、三千余社の権実は神国を滅ぼし、十二部経大小の法門を失わん事を。たとえ皇運末になり、政道誠無くして神祇非礼を咎め、仏天虚妄をにくませ給う共、『他の国よりは我が国、他の人よりは我が人、いかでか捨てたまふべし。公家の勢い衰えて人民の力無む時』と誓い給いしは、今此の時に当たれり。早く霊威を施し、怨敵を退け坐べし。そもそも異国にこの土をくらぶるに、蒙古は是犬の子孫、日本は則ち神の末葉なり。貴賤相別れ、天地懸隔なり。神明と畜類と何んぞ対揚に及ばん。昔新羅の仰ぐ道行は、三帰五戒(帰依佛・帰依法・帰依僧、•不殺生・不偸盗•不邪淫•不妄語•不飲酒)の威力に過ぎざりき。今本朝のたのむ諸徳は二百五十の具足を全うす。尊卑遥かに別れ智行浅深あり。彼は一人、是は数輩。他国の財宝を奪い人民の寿命を滅す。仁義にも背き殺盗を兼ねたる非道と我が朝の佛法を守り社稷の神祇を敬い、五常(仁、義、礼、智、信)に随い十善を好む正理と三宝知見し、吾神照覧し給ふらん」(八幡愚童訓)