「疾中(宮沢賢治)」より
「われやがて死なん
今日又は明日
あたらしくまたわれとは何かを考へる
われとは畢竟法則の外の何でもない
・・・
われ死して真空に帰するや
ふたゝびわれと感ずるや
ともにそこにあるのは一の法則のみ
その本原の法の名を妙法蓮華経と名づくといへり
そのこと人に菩提の心あるを以て菩薩を信ず
菩薩を信ずる事を以て仏を信ず
諸仏無数数億而も仏もまた法なり
諸仏の本原の法これ妙法蓮華経なり
帰命妙法蓮華経
生もこれ妙法の生
死もこれ妙法の死
今身より仏身に至るまでよく持ち奉る」
「われやがて死なん
今日又は明日
あたらしくまたわれとは何かを考へる
われとは畢竟法則の外の何でもない
・・・
われ死して真空に帰するや
ふたゝびわれと感ずるや
ともにそこにあるのは一の法則のみ
その本原の法の名を妙法蓮華経と名づくといへり
そのこと人に菩提の心あるを以て菩薩を信ず
菩薩を信ずる事を以て仏を信ず
諸仏無数数億而も仏もまた法なり
諸仏の本原の法これ妙法蓮華経なり
帰命妙法蓮華経
生もこれ妙法の生
死もこれ妙法の死
今身より仏身に至るまでよく持ち奉る」