福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

この身今生において度せずんば、さらにいづれの生においてかこの身を度せん

2017-09-10 | 法話
帰敬文(ききょうもん)というお経があります。いまさらながらにこの言葉の重みにぞっとするこの頃です。

これは大内青巒(仏教学者、真宗本願寺派21世大谷光尊の侍講、「修証義」を編纂、東洋大学学長)が,法句経・華厳経・法華経の経文を組み合わせ作成したものといわれています。紹介します。
 
「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。」
(この世に人間として生まれるのは1億円の宝くじに毎年100万回あたるようなものという生物学者の説があります。雑阿含経では盲亀浮木のたとえがあります。人として生まれさらに仏法を聞くことが出来るのは大海の中で盲亀が浮いている板の穴に首をいれることができるくらい難しいというものです。今初めて気付くことができました。それはまさに仏法の教えを聞くためであったのだと、今ようやく仏法に出会えた喜びを素直にいただくことができました。)

「この身今生において度せずんば、さらにいづれの生においてかこの身を度せん。」
(このどうしようもなく愚かで迷い続けあらゆる生死輪廻を繰り返してきた自分は、やっと人間に生まれたこのチャンスをいかして、いまここでもし救われることがなかったら、もう二度と救われることなく再度輪廻の世界に落ちこみ永劫の苦悩を繰り返すことになるでしょう。)
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