福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

石清水八幡宮が国宝に指定されました

2015-10-17 | 法話
石清水八幡宮が国宝に指定されました。大変うれしいことです。理由は4つです。

1、石清水八幡宮は御祭神が・応神天皇・比大神 ・ 神功皇后という三韓征伐のときの天皇皇后であること。

2、僧侶が国家鎮護のために開基した神社であること。当社のホームページによると「平安時代始め、清和天皇の貞観元(859)年、南都大安寺の僧・行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源です。」とあります。すなわち僧侶が国家鎮護のために開基したのです。ここからか常に神仏一体の信仰の中心でもありました。数年前参拝したときに、石清水八幡宮の法話板にも「天照す、神の恵みに、幾代代も、わがあしはらの、国はうごかじ 仁孝天皇」とありました。


3、蒙古襲来時の叡尊が祈祷して神風を吹かせた神社であること。蒙古襲来の大国難時に叡尊がここにこもり、祈願して神風を吹かせました。「八幡愚童記」を引用します。
「・・二十六日の初夜の時(午後)より南都北京の持戒の僧七百余人、当社の宝前にして、尊勝陀羅尼あり。その声、天に響き山谷に答えておびただし、七日七夜怠らず。一向専心に誦せられる。見聞の人、身の毛よだちて覚えける。毎日酉の刻には皆参るなり。思円上人(叡尊)舞殿にて尊勝法を修したまふ。面には四海の浪を畳み、眉には八字の霜を垂らし、六大無碍の秋の月、胸の中に朗らかに、三聚浄戒(摂律儀戒(一切の悪を捨て去る)・摂善法戒(一切の善を実行すること)・摂衆生戒(衆生にあまねく利益を施すこと))の夜の珠,袂の上に輝きて見え給ふ。閏七月一日は思円上人(叡尊)高座に登り啓白を致し、人に物を言うが如く口説き申されけるは「異国の襲来は貴賤上下道俗男女一味同心の歎き、七道諸国の煩いなり。悲しいかな、三千余社の権実は神国を滅ぼし、十二部経大小の法門を失わん事を。たとえ皇運末になり、政道誠無くして神祇非礼を咎め、仏天虚妄をにくませ給う共、『他の国よりは我が国、他の人よりは我が人、いかでか捨てたまふべし。公家の勢い衰えて人民の力無む時』と誓い給いしは、今此の時に当たれり。早く霊威を施し、怨敵を退け坐べし。そもそも異国にこの土をくらぶるに、蒙古は是犬の子孫、日本は則ち神の末葉なり。貴賤相別れ、天地懸隔なり。神明と畜類と何んぞ対揚に及ばん。昔新羅の仰ぐ道行は、三帰五戒(帰依佛・帰依法・帰依僧、•不殺生・不偸盗•不邪淫•不妄語•不飲酒)の威力に過ぎざりき。今本朝のたのむ諸徳は二百五十の具足を全うす。尊卑遥かに別れ智行浅深あり。彼は一人、是は数輩。他国の財宝を奪い人民の寿命を滅す。仁義にも背き殺盗を兼ねたる非道と我が朝の佛法を守り社稷の神祇を敬い、五常(仁、義、礼、智、信)に随い十善を好む正理と三宝知見し、吾神照覧し給ふらん」と二時ばかり骨髄に通り心肝をくだいて懸河の弁舌湧き上がり心地の法水澄通る。大慈大悲の感涙を流し、香衣に汗を通して祈誠袂濡れるばかりに見え給う。満座首をうなだれ随喜の心余りあり。廟神定めて此の理を聞し召したまふらんと覚えるほどに、御宝殿の内はたと一声鳴る。さればこそ大菩薩御受納あるにこそと、諸人いよいよ信心を催す。・・去る程、後七月九日の戌の刻に西国の早馬着いて申す。「去る七月晦日の夜半より、乾の風おびただしく吹き、七月一日には賊船悉く漂流して海に沈みぬ。大将軍の船は風以前に青竜海より頭を差し出だし、硫黄の香り虚空に満ちて異類異形の者共眼に遮りしに、畏れて逃げ去りぬ。残るところの船共は皆敗れて磯に上がり、沖に漂って海の面は算を散らすに異ならず。死人多重て嶋の如したり。・・」

4、平成20年に144社寺で発足した神仏霊場会の会長を石清水八幡宮の 田中恆清宮司様がつとめておられること。
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