福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

中論第二十章

2013-11-20 | 諸経
一 もしも原因ともろもろの縁との和合によって結果が生ずるのであるならば、しからば結果は和合のうちに存在する。ではどうして和合によって生ずるのであるか。

二 もしも原因ともろもろの縁との和合によって結果が生ずるのであるならば、しからば結果は和合のうちに存在しない。ではどうして和合によって生ずるのであるか。

三 もしも原因ともろもろの縁との和合によって結果が生ずるのであるならば、しからば結果は和合のうちに認識される筈ではないか。しかるに【実際には】和合のうちには認識されない。

四 もしも原因ともろもろの縁との和合のうちに結果がないならば、もろもろの因ともろもろの縁とは、因縁ならざるものと等しくなってしまうだろう。

五 もしも原因が結果に原因たるものを与えおわって消滅するのであるならば、与えられたものと消滅したものとが原因の二つの自体となるであろう。

六 もしも原因が結果に原因を与えないで消滅するならば、原因が消滅してから生じたその結果は、無原因のものとなろう。

七 またもしも結果が和合とともに【同時に】現れ出るのであるならば、生ずるものと生ぜられるものとが同一時のものであるということになってしまうだろう。

八 またもしも和合よりも以前に結果が現れ出るのであるならば、結果がは因と縁を離れた無原因のものとなってしまうだろう。

九 もしも原因が消滅したときに、結果があるのであるならば、原因が推移したことになってしまうだろう。また以前に生じた原因が再生したということになる。

一〇 すでに消滅してすでに没入したものが、どうしてすでに生じた結果を【さらに生じうるであろうか】。またすでに結果と結合して住している原因も、どうして結果を生じうるであろうか。

一一 また結果と結合していないこの原因が、いずれの結果を生じうるであろうか。何となれば、原因は、結果を見ないで、結果を生ずるのでもないし、また結果を見終わってから結果を生ずるのでもないから。

一二 過去の結果が、実に過去の原因と相い合することは決してありえない。また未だ生じないものや、すでに生じたものと相い合することは決してありえない。

一三 すでに生じた結果が、未だ生じない原因と相い合することは決してありえない。また、過去のものや、すでに生じたものと相い合することは決してありえない。

一四 未だ生じない結果が、すでに生じた原因と相い合することは決してありえない。またそれが、未だ生じないものや、すでに滅びたものと相い合することは決してありえない。

一五 相い合することが無いのに、どうして原因が結果を生じうるであろうか。また相い合することが有るときに、どうして原因が結果を生じうるであろうか。

一六 もしも原因が結果について空である【結果を欠いている】ならば、どうして結果を生じうるであろうか。またもしも原因が結果について不空【結果を欠いていない】ならば、どうして結果を生じうるであろうか。

一七 不空なる結果は生起しないであろう。不空なる結果は消滅しないであろう。不空なる結果は不滅、不生であるだろう。

一八 空である結果はどうして生起するであろうか。空である結果はどうして消滅するであろうか。

一九 原因と結果とが同一であるということは、決してありえない。原因と結果とが別異であるということも、決してありえない。

二〇 もしも原因と結果とが一つであるならば、生ずるもの(能生)と生ぜられるもの(所生)とが一体になってしまうであろう。また原因と結果とが別異であるならば、原因は原因ならざるものと等しくなってしまうだろう。

二一 それ自体として実在するものである結果を、原因はどうして生ずるのであろうか。それ自体として実在しないものである結果を、原因はどうして生ずるのであろうか。

二二 また【結果を】生じないものが原因であるということはありえない。そうして原因であることが成立しないならば、
何ものにとって結果が起こるのであろうか。

二三 因と縁とのこの和合が自ら自体を生じないのであるならば、その和合はどうして結果を生ずるのであろうか。

二四 和合によってつくられた結果は存在しない。和合によってつくられたのではない結果も存在しない。結果がないのに、もろもろの縁の和合がどこに存在するだろうか。


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