一 生成を離れても、あるいは生成とともにあるにしても、壊滅(えめつ)はありえない。壊滅を離れても、あるいは壊滅とともにあるにしても、生成はありえない。
二 生成を離れて、どうして壊滅がありうるであろうか。【もしも壊滅があるとするならば、】生が無くても死があることになるだろう。また生起がなくとも壊滅があるということになるだろう。
三 壊滅がどうして生成とともに【同一時に】ありうるであろうか。何となれば、このように、生と死は同時にはありえないからである。
四 壊滅が無いのに、どうして生成がありうるであろうか。何となれば、もろもろのものについてみるに、無常性がいかなるときにも存しないというわけではないのである。
五 生成がどうして壊滅とともにありうるであろうか。何となれば、生と死とは同時のものではありえないからである。
六 互いにともにあるにしても、また互いに離れてあるとしても、成立することのない二つのものが成立することがどうしてありえようか。
七 壊滅には生成がありえない。また無壊滅にも生成はありえない。壊滅には消滅はありえない。無壊滅にも消滅はありえない。
八 ものを離れては生成も壊滅もありえない。生成と壊滅を離れては、ものはありえない。
九 空なるものには、生成も壊滅もありえない。空ならざるものには、生成も壊滅もありえない。
一〇 生成と壊滅が一つであるということはありえない。生成と壊滅とが別々のものであるということもありえない。
一一 汝にとっては、生成も壊滅も直接に見られる、と考えられるであろう。【しかしそれは、】生成と壊滅とが愚かな迷いから見られているのである。
一二 有【存在するもの】は有から生じない。有は無から生じない。無から無は生じない。無から有は生じない。
一三 事物は自体(自性)からも生じない。他のものからも生じない。自体と他のものからも生じない。何から生ずるのであろうか。
一四 有【存在するもの】を承認する人にとっては、ものが常住であると考える偏見と、ものが断滅すると考える偏見とが付随して起こる。・・・何となれば、その有なるものは、常住であるか無常であるかのいずれであろうから。
【法有の立場の人の主張】
一五 有【の立場】を承認している人にとっては、断滅ということも無いし、また常住ということもない。【われわれの】この生存というものは結果と原因との生起、消滅の連続であるからである。
【竜樹の反駁】
一六 もしも結果と原因との生起と消滅との連続が生存であるならば、消滅がさらに生ずることは無いから、原因の断滅が随い起こる。
一七 それ自体として実在するものが非実在となるということは、理に合わない。またニルヴァーナの時には、生存の連続はやすらぎ(寂静)に帰するから、生存の連続は断滅する。
一八 最後の生存が滅びてしまったときに最初の生存が起こるというのは、理に合わない。また最後の生存が未だ滅び去らないときに、最初の生存が起こるというのは、理に合わない。
一九 もしも最後の生存が滅びつつあるときに、最初の生存が生ずるというのであるならば、滅びつつあるものは一つの生存であり、生じつつあるものも他の一つの生存であるということになるであろう。
二〇 もしもいま現に滅びつつあるものといま生じつつあるものとが倶に【同時である】ということが理に合わないのであるならば、これらの構成要素(蘊)において死に、またその同じ構成要素において生まれる。
二一 このように三つの時(過去・現在・未来)にわたって<生存の連続>があるというのは正しくない。三つの時のうちに存在しない<生存の連続>がどうして存在しえようか。
二 生成を離れて、どうして壊滅がありうるであろうか。【もしも壊滅があるとするならば、】生が無くても死があることになるだろう。また生起がなくとも壊滅があるということになるだろう。
三 壊滅がどうして生成とともに【同一時に】ありうるであろうか。何となれば、このように、生と死は同時にはありえないからである。
四 壊滅が無いのに、どうして生成がありうるであろうか。何となれば、もろもろのものについてみるに、無常性がいかなるときにも存しないというわけではないのである。
五 生成がどうして壊滅とともにありうるであろうか。何となれば、生と死とは同時のものではありえないからである。
六 互いにともにあるにしても、また互いに離れてあるとしても、成立することのない二つのものが成立することがどうしてありえようか。
七 壊滅には生成がありえない。また無壊滅にも生成はありえない。壊滅には消滅はありえない。無壊滅にも消滅はありえない。
八 ものを離れては生成も壊滅もありえない。生成と壊滅を離れては、ものはありえない。
九 空なるものには、生成も壊滅もありえない。空ならざるものには、生成も壊滅もありえない。
一〇 生成と壊滅が一つであるということはありえない。生成と壊滅とが別々のものであるということもありえない。
一一 汝にとっては、生成も壊滅も直接に見られる、と考えられるであろう。【しかしそれは、】生成と壊滅とが愚かな迷いから見られているのである。
一二 有【存在するもの】は有から生じない。有は無から生じない。無から無は生じない。無から有は生じない。
一三 事物は自体(自性)からも生じない。他のものからも生じない。自体と他のものからも生じない。何から生ずるのであろうか。
一四 有【存在するもの】を承認する人にとっては、ものが常住であると考える偏見と、ものが断滅すると考える偏見とが付随して起こる。・・・何となれば、その有なるものは、常住であるか無常であるかのいずれであろうから。
【法有の立場の人の主張】
一五 有【の立場】を承認している人にとっては、断滅ということも無いし、また常住ということもない。【われわれの】この生存というものは結果と原因との生起、消滅の連続であるからである。
【竜樹の反駁】
一六 もしも結果と原因との生起と消滅との連続が生存であるならば、消滅がさらに生ずることは無いから、原因の断滅が随い起こる。
一七 それ自体として実在するものが非実在となるということは、理に合わない。またニルヴァーナの時には、生存の連続はやすらぎ(寂静)に帰するから、生存の連続は断滅する。
一八 最後の生存が滅びてしまったときに最初の生存が起こるというのは、理に合わない。また最後の生存が未だ滅び去らないときに、最初の生存が起こるというのは、理に合わない。
一九 もしも最後の生存が滅びつつあるときに、最初の生存が生ずるというのであるならば、滅びつつあるものは一つの生存であり、生じつつあるものも他の一つの生存であるということになるであろう。
二〇 もしもいま現に滅びつつあるものといま生じつつあるものとが倶に【同時である】ということが理に合わないのであるならば、これらの構成要素(蘊)において死に、またその同じ構成要素において生まれる。
二一 このように三つの時(過去・現在・未来)にわたって<生存の連続>があるというのは正しくない。三つの時のうちに存在しない<生存の連続>がどうして存在しえようか。