福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

坂東観音霊場記(亮盛)・・・7/31

2023-08-07 | 先祖供養

 

第六番同國飯山(現在も第6番は飯上山長谷寺(飯山観音))

𦾔記を按ずるに相州愛甲郡飯上長谷寺は、皇祚五十二世嵯峨天皇の馭宇、弘仁年中飯山氏の武家檀家にて権化の僧の基を拓く地なり。本尊十一面観世音は大和の長谷寺の像材を以て、行基大士、彼寺の尊像を模刻し玉ふ。故に玅相別異にして、右の御手に錫杖念珠を持し、左の紅蓮華軍持を執り玉ふ。往古此地の領主に飯山権太夫と云武家あり。文武の奥義に渉り英才その右に出る者なし。殊に天性慈仁あって、直なる道を行へること、柳下恵(春秋時代魯の賢者。直道を守って君に仕えたことで知られる。)にも過ぎたり。生平(よのつね)に庶民を撫すること赤子を保んずるが如く、諸人の敬服すること艸に風を加るが如し。若し

苦役等の事あれば、老若子の如くに来る。尚も宿善にや催されけん、壮年より有為無常の理を辨へ、秋の田の假の憂世を厭ひ、無為の都の永きを欣ふ。又常の口占(くちずさみ)に、名聞は和なる縄、人を縛りて地獄に送る。財寶は甘き毒、酔て正路を失ふと、

古語を引て自ら警策せり。故に聊かも奢侈栄利の意なく、造次にも佛名を唱へ、顚沛(たちい)にも三寶を礼念す。就中観音に帰依して當来を祈り、普門品を誦じて障災を祓ふ。別に接待所を構て普く托鉢修行者に施斎すること、所謂太子の施藥悲田の二院にも譲るまじ。一時、或僧の教化して曰く、貴方は久しく佛神を信ずれども、于今その奇特の見へざるは、其の勤る所規則あるまじ。時を定めて違はず、数を限りて増減なく、至心に修練して、疑念を懐ざるを、勇猛精進の行と云。尒すれば必ず冥應あること、經軌の所説分明なり。惜哉如説の行に非ざることをと。飯山氏、此教化に感激して、十箇年の間を限り、普門品三十三巻の日課、杜多(ずだ)修行者を供養すること十万人と。斯の如く發願して厳寒の指を落すにも、大暑の金鐵を沸かすにも、稍退倦の心なく、誠に堅固の精行なり。その満願の比に至て、一の老僧来たりて宿す。終夜法談の序に、旅僧の曰く、主人は観音を信仰せらるるや、我笈佛は大和の長谷寺の像材にて、行基大士の彫刻なり。懇望あらば附嘱すべし。清浄の土地を擇で安置せよと。飯山氏、是を聞きて念願成就の時至れりと、手の舞足の踏を覚ず。領地の山にて清浄の所を占、彼の旅僧に地鎮の法を修せしめ、寶庫を傾け材穀を盡し、不日に堂舎経営せしかば、忽ち近里の伽藍郡中の霊場たり。その落慶供養の後、旅僧は何地へ飛錫し玉ふか、そのゆくへを知るものなし。唯笈の中に一箇の五股を残せり。爰に於いて飯山氏思説、かの旅僧は東寺の空海師ならん。忝くも我が愚願を助ん為に、此の陋居に来現し玉ふ哉と。倍す道義堅固にして、終に冠をかけ禄を辞す。尚又染衣入道して生涯大悲者に奉仕せしなり。

此の濫觴に凭て飯山と号すとぞ。淡州三原郡にも飯山寺と云霊地あり。祭神は九頭竜なりと。

御詠歌「飯山寺、たち初しより無盡(つきせぬ)は、入相ひびく松風のおと」

此の歌の意は、當寺靈鐘の因縁にて、自ら分る、本尊降靈の昔より、大悲の利生掲焉にして、霊鐘の隠れたる後には松風の音に鐘の響を貽(のこ)して、永く度生の方便止時なしと。入相の鐘の鐘と云は、凢そ詩歌に鐘を称するの常なり。

當寺の鳴器は坂東札所三靈鐘の随一なり。筑波、千葉と當寺也。

相傳ふ往古権化の人鋳造せしと。故に朝には衆善奉行の音を出し、暮れには諸行無常の響在り。鐘の聲に經陀羅尼を唱ふることは、感通傳に云、西國修多羅院に靈鐘あり、周匝に十つ方諸佛の初成道の像を作る。日の出る時に至って鐘の上に諸の化佛有りて、十二部経を説く。舎衛城の童男女悉く来たりて之を聴く。乃至佛滅度に及て、鐘先ず唱て言く、却後三月當に般涅槃すべし、と。時に鐘の周匝の諸天の像、聞きて皆涕泣す、と。(「法苑珠林・鳴鍾部第六」に以上の経緯は大体載せる。又以下の様にあり「復有別院名修多羅院。有一石鍾形如呉樣。如青碧玉可受十斛。鼻上有三十三天像。四面以金銀隱起。東西兩面有大寶珠。陷在腹中。大如五升。八角分曜。状若華形。周匝作十方諸佛初成道像。至初日出時。鍾上有諸化佛説十二部經。舍衞城童男童女。悉來聽之聞法證聖」。)

聞く者自ずから善念を起こし菩提道に趣く者少なからず。若し病者此の響を聞て至心に大悲者を念ずれば病の痊ること、流れに物を洗ふが如し。

斯る靈鐘なれば日夜の利益廣大なりしに、一時の住僧故障ありて晨昏の例鳴を怠れり。而るに不時風雨雷鳴して其夜靈鐘が行方を失ふ。是は護法神の我怠慢を咎玉ふかと。鳴鐘に踈意なる者は必ず護法神の祟りあり。諸經要集に云。鐘を聞て起きざれば護法善神の現在には福薄く、来世は蛇身を受く。故に鐘を聞て偈を誦すべし云々(諸經要集・鳴鍾縁第九に「又雜經説偈云 聞鍾臥不起 護塔善神瞋 現在縁果薄 來報受蛇身  所在聞鍾聲 臥者必須起 合掌發善心 賢聖皆歡喜 洪鍾震響覺群生 聲遍十方無量土 含識群生普聞知 拔除衆生長夜苦 六識常昏終夜苦 無明被覆久迷情 晝夜問鍾開覺悟 怡神淨刹得神通」)。

住僧驚き周章尋れども更にその甲斐あらざれば、本尊観世音へ帰命して、若し善神の祟りならば我罪障を懺悔を矜み玉へ。若し諸魔賊徒の奪ならば大悲四十七の眷属を以て、速に取返し給はれと、精誠に祈念すれども曽ってその験あることなし。然るに其比より山頭の松吹く風の音さながら鐘の響に聞へしは、不思議と云も尚餘りあり。郷人等或は怪み、或は喜て各々歩を運て尋るに、鐘は失たる侭の空楼にて、唯嶺の松風の音のみなり。皆人未曾有の感をなせりと。

山海経に曰く、豊山に九鐘有り。霜降れば則ち自ら鳴る、と云々。

註に云、霜降れば則ち鳴れば、金気應ずれば也。愚按るに霜は秋の氣に入て初めて降るものなり。秋は五行に配するに金にあたる。是金氣應ずるの由なり。又人の意も秋に至ては(人は小天地と云)揺落の氣に催されて、自ら無常の念も起る時なり。彼の霜降て自ら鳴鐘の意なり。都て鐘の音は無常を勧むるものなれば、朝暮鐘の響の耳に入毎に、時刻の移り易く死期の付つ゛くことを思ひ、些は慳貪邪見の角も折れ、後世を憂慮念の起るも皆これつき鐘の功徳なり。古歌に「今日もはや 暮ぬとばかり 鐘聞て身の行末を知人ぞなき」。「何れの日、何の時にか聞きはてん、我すむ山の入相のか子」「今日の日も 命のうちに暮にけり、明日もや聞ん入相の鐘」。

或人鐘の聲を聞ては、必ず經文偈頌、又は佛名を唱るものと、知識の教化を受けてより、鐘の聲を聞毎に稱名誦経せり。一打鐘聲、當願衆生、脱三界苦、得見菩提、の増一阿含経の文と。願諸賢聖、同入道場、願諸悪趣、俱時離苦、の資持記に出る頌文等なり。

然るに、此の人宿悪の盡ざるにや、死して地獄に堕して苦を受る。時に獄卒呵責の鉄槌の音を聞き、不意念佛誦経せしかば、倐ち地獄變じて清涼の功徳池となり。我及び餘の罪人俱に苦趣を免れたり。是鐘の音を信じて自ら心薫習の善種と成しぞ(性㚑集抄)。付法傳に云、昔安息王、罽膩吒王(けいにだおう)を伐つ。両陳交り戦て罽膩吒王已に勝。安息王、人を殺すこと凢そ九億なり。厥後(そのご)馬鳴菩薩の説法を聴縁に由て、大地獄を免れ、大海の中に生まれ、千頭の魚となる。然るに剣輪廻り注て其の首を斬、斬れば復生ず。須臾の間、に頭大海に満。其苦患無量なり。時に羅漢あり。之の為に犍稚を打つ、之を聴間は苦痛小息、斯に於いて王、羅漢に長く鳴らし玉へと願ふ。之に依り長く打たまへば七日過ぎて苦患盡息り云々。増輝記曰く、人終に臨む時、長く馨を打つ、其れをして聲を聞かしめ、善悪思を發し、善處に生ずることを得せしむ。智者大師、臨終の時、維那に語て曰く、人命終の時、馨聲を聞くことを得て、其の正念を増す。惟長く惟久しく聲を絶しむること勿れ。氣の盡るを以て期と為すと云。倶舎に云、臨終に善念を生ずる中に死せしめんが為に、鐘を打ち、馨を鳴らす。善心を引生するが故なり。

近代の住僧、善願を發し、鳴鐘は佛場の要器なり、衆を集め道を行ずる、是より先なるはなし、昔失ふたる代を造んと。頻に道俗男女を募り新に二尺餘の銅鐘を鋳て、是を古楼に簨て参詣の人毎に三下を撞かしむ。是詠歌の意に叶ひ、當寺不共の善業なり。此事本尊の冥慮に契たるや。住僧夢想の靈告を蒙り、地を掘ること七尺余にして、古し失ふたる靈鐘を得たり。見聞の道俗、大悲不思議の方便を感じ、それより諸人貴みて、飯山の隠鐘と稱せり。仍って寺の傍に新楼を簨簴(かまへ)て、大法執行の用器となす(𦾔記、傳記)。

又一條の縁起に云、人王四十五代聖武帝の神亀二年(725年)の比、此の飯山の地に岩洞の清泉あり。或時此の水、五色に変り、又風なきに波瀾を涌す。是の故に樵夫

怪み怖れて、その流を掬する者なし。その比、行基大士、遊化して此の里に至り、野人農夫の怪談を聞き、山に登りて岩洞を見玉ふに、果して水変り、波たちて、泉の中より十一面の金像出現し、大士の鉄鉢の中に飛入り玉ふ。大士希有の感得を蒙り、末世度生の悲願を発し、其の邊の樟を伐て、新に三像を彫み出現の㚑躯を胎中に篭奉る。夫れより貴賤歩を運び来り、大悲願水に浴する者多し。彼の泉の流を服するに、諸病の愈ざる者なし。何なる旱魃にも枯ることなく、大雨洪水にも溢ることなし。宲に不増不減の㚑水なり。大同年中、」「弘法大師

の遊化しより、真言の道場となり、千年の于今密法繁昌の浄刹たり。

建久年中、右大将家御再建、秋田城の介義景奉行なりと。山州栂尾山に登り、明恵慧上人の門に入り出家して、名を覚知と改め、上人に常隨給仕し、私に其の道を淑すと。本朝僧傳幷に行者用心集に見たり。(二終)

 

 

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