3、南都修学(延暦七年、西暦七八八年ころ)・・
・大安寺・石淵寺、このころ大師は南都修学され大安寺(大安寺市)・石淵寺(奈良市白毫寺町に白毫寺として残る)を訪れられたと思われます。大安寺は三論宗の根本道場で道慈勤操、良弁、最澄、大師等多くの名僧をだしています。このころ大師は勤操大徳より大虚空蔵法と能満虚空像法を受けられました。凝然は『三国仏教伝通縁起』で、「道慈、真言の法を以って善議・慶俊に授け、議公これを勤操僧正に授け、勤操、求聞持の法を弘法大師に授く」と書いています大師の勤操大徳嘆徳文
・空海寺、ここは旧奈東大寺境内といわれ、初めて四国を出られて南都御修行のころここに草庵を構えられたという伝説があります。(弘法大師空海の御足跡、鳥越正道)
・大安寺・石淵寺、このころ大師は南都修学され大安寺(大安寺市)・石淵寺(奈良市白毫寺町に白毫寺として残る)を訪れられたと思われます。大安寺は三論宗の根本道場で道慈勤操、良弁、最澄、大師等多くの名僧をだしています。このころ大師は勤操大徳より大虚空蔵法と能満虚空像法を受けられました。凝然は『三国仏教伝通縁起』で、「道慈、真言の法を以って善議・慶俊に授け、議公これを勤操僧正に授け、勤操、求聞持の法を弘法大師に授く」と書いています大師の勤操大徳嘆徳文
・空海寺、ここは旧奈東大寺境内といわれ、初めて四国を出られて南都御修行のころここに草庵を構えられたという伝説があります。(弘法大師空海の御足跡、鳥越正道)