福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「佛縁に導いていただいたこと 」鈴木さんが3月4日の記録をつくってくださいました。

2012-03-13 | 開催報告/巡礼記録
佛縁に導いていただいたこと

東日本大震災の慰霊のために3月4日に福聚講の佛道仲間と宮城へ行き、そこでたいへん不思議なことがありました。 7人で仙台駅に集合、先ごろ建立された若林区荒浜の「慰霊碑」へジャンボタクシーで向かいます。すると講元の高原師が驚きの声を上げました。そこは震災直後に師がひとりで慰霊に訪れたまさにその場所だったというのです。当時は慰霊碑もなく、たまたまその日のタクシーの運転手さんに連れられて行った海岸だった、という。逆に言えば師が読経をされた場所に後日になって慰霊碑が建立された、ということになるのかもしれません。荒浜小学校からそのまま海岸へ向かう道路の先なので、地元の方々にとってはわかりやすく象徴的な場所なのかもしれませんが、我々にとっては意味があることでした。前日までの積雪が残り、海からの強い風が吹く中、師が一周忌の法要の次第を行ったほか、我々も般若心経や光明真言を唱えて供養としました。

福聚講は関東36不動尊巡礼を続けていることもあり、その後は秋保温泉の先にある秋保不動尊へ向かいます。こちらも高原師の発案でしたが、「せっかく仙台まで行くのだから、どこかにお参りもしようと思い、ネットで『仙台、不動尊』と検索をかけてたまたま見つけた」というご縁だったもの。1時間ほどの道中、助手席に座っていた私がたまたま「福聚山慈眼寺」という看板を見つけたのです。我々福聚講の語源は観音経の「福聚海無量」から。こちらの福聚山もおそらく同じでしょう。「同じ名前ですねえ」などと車内の軽い話題になりました。そこでiPhoneを持っていた私がたまたま「慈眼寺」を検索したところ、ご住職は吉野の大峯千日回峰行を満行された塩沼亮潤大阿闍梨さまと分かり、一同ビックリです。千日回峰行といえば比叡山のそれが有名ですが、吉野・金峯山寺で成し遂げたのは1300年で塩沼大阿闍梨さまが2人目(長らく途絶えていたということが大きいらしい)、最近では著書「人生生涯小僧のこころ」が話題になった現代仏教界のスーパースターのお寺が秋保不動尊のすぐ近くにあったのです(あとになって塩沼大阿闍梨さまは仙台出身と知りました)。まず予定に沿って秋保不動尊さまを参拝(威厳がある素晴らしいお姿でした)、その後塩沼大阿闍梨さまの慈眼寺へ回ったのが午後1時半ごろでした。

たまたま毎週日曜の午後1時からお護摩と法話があるということも勿論知らなかったわけですが、お護摩の最後のところと法話を伺うことができました。終了後にはお堂の外で参拝者をお見送りされる塩沼大阿闍梨さまが法衣姿の高原師を見つけて話しかけてくださいました。我々一同も「南無大師遍照金剛」の白衣姿だったので目立っていたのでしょう。最後には大阿闍梨さまを囲んで記念撮影までするという「最高の一日」(高原師談)となったのです。大阿闍梨さまはなんとも神々しいお姿の方でした。高原師は「以前から塩沼大阿闍梨さまには是非お目にかかりたいと思っていたところだったのです」と感激ひとしおです。

このようにこの日はさまざまな「偶然」によって素晴らしい一日になりました。大震災の慰霊碑がたまたま師が以前訪れた場所に建立されていたこと、たまたま参拝することになった不動尊への道中で偶然我々とご縁のある名前のお寺の看板を見つけたこと、更にたまたまスマホでこの寺が塩沼大阿闍梨さまのお寺と知ったこと、その上、週に一回のお護摩と法話に遭遇、塩沼大阿闍梨さまに言葉を交わしていただけたこと。これはすべてが単なる「偶然」でしょうか?それともお大師さま、あるいはお不動さまが導いてくださったのでしょうか?

参加:高原、高橋、岡村、関口2、角田、鈴木(敬称略)
文責:鈴木

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