福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「宿業」について

2016-09-30 | 法話
最近、自他の運勢を見ていると、つくずく、宿業からはにげられないものだと
実感します。自分の場合でいえば、いままで俗世の現役時代は自らの過去を振り返る余裕はありませんでしたし、振り返っても表面的なことしか思い浮かびませんでした。十善戒を唱えても本気で懺悔することはできませんでした。しかし、いくら取り繕ってみても宿業を持ってない人はいません。自分には業は無いと考えること其のことがすでに救いようのない宿業の真只中にいることを告白しているようなものです。歎異抄一三条には有名な「故聖人(親鸞)のおおせには、『卯毛・羊毛のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずということなしとしるべし』とそうらいき。(塵ばかりの罪も宿業によるものである、と親鸞上人はおしゃった。)」とあります。「業」のない人はいないのですが凡夫はこれを感じ取れぬまま、あるいは見て見ぬふりをして結果として生死(苦)を繰り返すことになるのでしょう。

自分は最近七〇近くなり、やっと時々、深く自らの罪業を観ずる気持ちが出てきました。また感ぜざるを得ない事柄にも突き当たります。十善戒を唱える時も、一つ一つの戒を噛みしめていかに幼少時代から今日まで罪業を繰り返し積み重ねてきたかを反省する時があります。そして次にいままでの自分の犯して来た深い罪業に対して全く償いができてないことに思い至ります。 これが過去世から積み重なって「宿業」と成っていくのだと思うと居たたまりません。またその根本にある自らの愚かさにもあきれ果てます。

こういう愚かさ(宿業)が発現した現在の「不条理」に多くの人が泣いています。「不条理」が今は発現してなくてもその恐ろしさに気が付く時なんとか救われたいと思わない人はいません。

お釈迦様もお大師様もこの宿業による「凡夫の眼には不条理とみえる運命」をどう救ってやるか、を永遠の御誓願にされているのです。この御誓願を受け止めるだけの「資格」が現世で形成できるかどうか、が我々に課せられた「持って生まれた宿題」なのです。


そこで密教には、例えば、曼荼羅を拝す、秘密呪を唱える等、の宿業脱出方法が用意されているのです。

・「この曼荼羅を礼拝し一度瞻仰する輩は即時に無始の罪業を消滅して無辺の福聚を満足すといへり。(真言安心勧善義)」

・大師の性霊集には、「前の清旦州、亡妻の為の達嚫(だっしん)」には「伏して願わくは此の法力をもって先霊を開悟せしめむ」とあります、「「諸行無常云々」もし男女あって一度此の偈を聞けばよく罪業を滅して早く善果に登る。(涅槃経の「諸行無常、是生滅法、生滅滅己、寂滅為楽」の偈を聞くとその霊魂は罪業を滅して成仏する)・・伏して願わくは此の法力をもって先霊を開悟せしめむ、妙偈加持して早く知見の源を證し、没駄護念してすみやかに本覚の殿にあそばむ。(お釈迦様が霊魂を守ってくださり悟りにみちびいてくださる)有情の業寿、この日ながく断じ、菩提の智牙、この辰に弥布せむ(前世の業による宿命は断ずることができ、悟りの芽生えがひろくひろがるのである。)」とあります。

・「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経金剛吉祥大成就品第九」には
「(佛眼呪を)若し常に持せば、當に是の如く金剛の相を得るべし。若し大阿闍梨となって密法印等を教授せんと欲せば、當に須く先ず此明一千遍を誦すべし。一切諸佛・菩薩・金剛薩埵、皆悉く歡喜したまふ。一切有情見者父母の想の如くならば、福は輪王の如くして七寶具足し、壽命長久千萬倶胝ならば、若し常に此明を持せば金剛薩埵および諸菩薩、常に隨衞護せん。大神通を得て所作の事業、皆悉く成辦せん。急難の中には日の如く昇空せん。一切宿業重障七曜二十八宿破壞することあたわず、大安樂を得む。若し百萬遍を持すれば大涅槃の處を得む。・・」
とあります。
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