今日は興福寺180世別当・大乗院第20代門跡、尋尊の入滅された日です。尋尊はウイキぺヂアによると、永享2年8月7日(1430年8月25日)生まれ永正5年5月2日(1508年5月31日)没となっています。父は一条兼良、母は中御門宣俊の娘という名門です。
大乗院は法相宗(注)興福寺塔頭の一つで寛治元年(1087年)、隆禅(藤原政兼の子)が創建。その後、焼失したが、室町時代には経覚・尋尊が相次いで登場して大いに栄えたとされます。明治の廃仏毀釈により最後の門跡隆芳(九条尚忠の子)が還俗して消滅しています。廃仏希釈はこういう由緒ある寺をも廃寺に追い込みました。明治政府の罪業恐るべしです。(注、法相宗は唯識の教え。一切は心の一番底にある阿頼耶識に蔵する種子より現出せらる(唯識所変)としています。私達の認識している世界は総て自分自身が作り出したものであるということです。)