福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

法句経より

2012-05-11 | 諸経
第七 阿羅漢の部



 九〇 經べき途を已に過ぎ、憂を除き、一切に於て解脱し、一切の縛を斷てる人には苦惱あることなし。(經べき道―有爲の輪廻を指す。)


 九一 彼等は精勤し、熟慮して住宅を喜ばず、鵝の小池を棄つるが如く、彼等はあらゆる住處を棄つ。(住宅―生死界。住處―生死界。)


 九二 若し人蓄積する所なく、受用度あり、(心)空、無相、解脱に遊ぶときは、其人の行跡は尋ぬべきこと難し、猶ほ虚空に於ける鳥の跡の如し。(行跡尋ぬべきこと難し―已に變化的存在なる迷界を出で涅槃界に入れるを云ふ。)


 九三 若し人心の穢を盡し、飮食を樂著せず、(心)空、無相、解脱に遊ぶときは、其人の行跡は尋ぬべきこと難し、猶ほ虚空に於ける鳥の(跡の)如し。

 九四 若し人感官を制し、御者に善く馴らされたる馬の如くし、貢慢を斷ち、心の穢を盡せば、諸神すら、斯かる如なる人を羨む。(如なる人―佛の羅漢弟子を指す。)


 九五 如なる人は地の如く爭はず、閾の如く能く愼しみ、淤泥なき池の如し、如なる人に輪廻なし。(地の如く爭はず―世の毀嗤貶黜を甘受するを云ふ。閾の如く愼しみ―俗に所謂踐みつけられても身口に怒を發せざるなり。)


 九六 意寂靜、語も業も亦寂靜なる如なる人は、正智にて解脱し、安穩を得たる人なり。

 九七 (餘の)信を離れ、無作を證し、(續生の)結を斷ち、誘惑を斥ぞけ、希望を棄てたる人こそ眞の最上士なれ。(無作―涅槃の異名。)


 九八 村落に於ても、將た林中に於ても、平野に於ても、高原に於ても、阿羅漢の住する處は樂しからざるなし。

 九九 林は愛樂すべし、これ俗人の好まざる所、離欲の人は此を樂しむ、彼等は愛欲を求めざるが故なり。
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