福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

往生兜率密記(無量壽院尊海)・・5

2021-03-05 | 諸経

往生兜率密記(無量壽院尊海)・・5

巻上往生難易第四

上生経疏に往生難易の一科を立てて云く、且く西方の如きは天親の浄土論、無着の往生論に俱に報土には女人及び根欠二乗の種生ぜずと言ふ。又阿弥陀経には少善根の因縁の而も彼に生まれることを得るに非ず、と。又言く、其の中には皆是阿鞞跋致の諸の大菩薩のみなり。乃至又仏の毫相五須弥のごとくならば、豈に凡の地前、能く此の相を見んや。身量の大小の得べきは初地の所見なり。凡そ若し能く見れば皆超越すと為んや。又彌陀弥勒を念ずる功徳、差別あることなし。国を現し、身を現ずるに勝劣を相成す。但し、弥勒は悪処の行化慈悲深きが故に。阿弥陀仏は浄土の化物、慈悲の相浅きを以てなり。乃至知足天宮(兜率天)は同じく此の界に在て、外道内道大乗小乗共に信許する所なり。既に是化身決定して生まれることを得。又云く、生まれんと欣ふ上聖上賢みなこの業を為す。下凡下位なんぞ之を越ることを得んや。故に行同の者は皆まさに専ら修すべし。又云く、業行残缼にて西方に往と願はば、万が一にも生ぜず。恐らくは自ら悞ることを成し、故に己が行に當ってまさにこの業を修すべし。。又云く、業浅く識微に智量踈拙にして封土に生まれんと願はば、分を越えて所望かなはず。行に病むのみ云々。誠に其れ華厳報佛の会に於いて利根の二乗見聞を隔てて聾の如く盲の如し。何に況や我等如きの愚悪の凡夫何ぞ報身の土に及ばんや。兜率の如きは欲界の中の変化等流の土なりなりと雖も、高才聞こえある獅子覚猶以て外院に生ぜり。豈慎み思はざるべけんや。又諸経要集に曰く、玄奘法師の云く、西方の道俗並びに弥勒の業を作す。同じく欲界たれば其の行なりやすし。大小乗の師、皆此の法を許す。彌陀の浄土は恐らくは凡鄙穢にして修行成じ難し。旧経論の如きは十地已上の菩薩、分に随って報身の浄土を見、新論の意に依らば三地の菩薩始めて報佛の浄土を見ることを得る。豈下凡の凡夫即ち往生することを得べけんや。此れは是別時の意なり。未だ定と為すべからず。所以に西方には大乗は赦し、小乗は許さず。故に法師一生已来常に弥勒の業を作す。臨終の時、願いを発し上生して弥勒佛を見たてまつらんと。群疑論に云く。古今の成徳碩学高僧ことごとく生じがたしと謂て弥勒の業を作す云々。但し懐感禅師西方兜率対辨の章を立てて、而して十二箇の義を設け、兜率を劣と為し,西方を勝と為す。又基法師の西方要決には十箇の条数を挙げて浅深を判ず。是大抵兜率の外院に対して論を作す。唯し是仏陀の設教に浅深を存し、菩薩の化導に表裏あるが故に西方有縁の機に対しては兜率を排して西方を讃し、兜率有縁の根に向かっては西方を辟けて兜率を歎ず。皆是一機一縁の衆生を洩らさざるの方便なり。何ぞ彼を会釈し之を非とさんや。所以に慈恩法師は西方要決を造りて兜率を斥し、上生経疏を製して西方を廃す。又懐感は兜率と西方と所修の行に十五の同を立つ。一には観行同じ、二には持戒同じ、三には十善同じ、四には懺悔同じ、五には造立形像有為功徳同じ、六には聖迎同じ、七には称念同じ、八には礼拝おなじ、九には廻向同じ、十には読誦経典同じ、十一には往生同じ、十二には見聖同じ、十三には帰敬同じ、十四には聞法同じ、十五には不退同じと。又懐感のいわく理、聖教を究むるに、一の法門に於いて或いは讃し、或いは毀す。是道に入るを勧むるの方便なり。堅執の愚を捨よ。今此の意による。請ふ、之を審詳せよと。又云く、然も此の二処の往生並びに是仏経に讃せり。人の所願に随い教に依って修行するは、並びに往生を得。咸く利益を蒙る。もし願って兜率を志求せん者、西方の行人を毀ること勿れ。西方に生ぜんと願ふ者、兜率の業を謗ること莫れ。各、性欲に随ひ情に任せて修学せよ。相是非すること莫きを仏法と為す。たがひに相撥すれば便ち魔業を行ずる也。何ぞ但だ勝処に生ぜざるのみならんや、乃ち三途に輪転しなむ。諸の修学士、まさに思て勉励すべし云々。

なかんずく、十方の浄土法性平等にして而も功徳また等し。各の彼に生ずる者、修行成就して神境通を得。互いに食頃において十方浄土に詣で一切の諸仏を供養す。智度論にいわく、是の間に死して彼の間に生るる。彼に於て五神通を以ての故に一佛國より一佛國に至り諸仏を供養すと云々。往生要集にいわく、若し滴々極楽に生ずる者、昼夜に念に随って都率宮を往来し、乃至龍華會の中に新たに対揚の首と為らんこと

猶し富貴にして故郷に帰るが如し。誰人かこのことを欣楽せざらんや。若し別縁あらば余の方また佳し。凡そ意楽に随ふべし。異執を生ずる勿れ云々。殊に密教の意は浅深難易を論ずべからず。是則ち十界の依正は毘盧の身土、十方の国土は曼荼の境界也。地獄天堂なに者か自心佛にあらざらんや。何に況や彌陀弥勒は一心の異名、安養史は自己の浄刹なり。之に依りて大日経の疏に謂く、如来有応の處に随って此の宮に非ざるなし。独り三界の表に在るにあらず。又いわく、十方一切世界に於いて一一に皆仏の加持身を現すと。鑁上人の密厳観の釈に曰く、十方の浄土を前栽と為し、諸仏の妙刹を後國となす云々。是の如くの自境界に於いて豈に浅深勝劣を論ぜんや。秘密念仏鈔に曰く、秘教の意、花蔵とは是れ理也。胎蔵なり。密厳とは是れ智なり、金剛なり。極楽は即ち花蔵、兜率は即ち密厳、理は万徳を含蔵すること猶し大地の萬物を出生するが如し。故に無盡荘厳妙寶の楽あり。仍って極楽と名く。智は人法二我の妄執を断浄して二空所顕の万徳を証得すること猶し虚空の萬像を含容するが如し。故に都率は空中にあり。極楽は地にあり。兜史天にあるの深意、之を以て測知するべし。又兜史多此には喜足といふ。俱舎に云く、身に在るを楽と名け、心に在るを喜と名く。胎はこれ身に属し、金は心に属す。仍ち極楽喜足の名は自ら両部身心の二義を表す。理智各々万徳を具し、有空互に二諦を収むる故に極楽に三三品の荘厳、兜史に七七重の寄妙を示す。之を以て之を思ふに安養都率の難易を論ずべからず。彌陀慈氏の隔別を存すべからず。我等が無始本具の身土也云々。

 

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