福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

金山穆韶『大日経綱要』の要約その29

2014-11-19 | 諸経
二、十地の深秘釈
十地(法雲・善想・不動・遠行・現前・難勝・焔光・発光・離垢・歓喜)とは、一般仏教の説からいえば、菩薩が修行して仏果に至る行位中の最上位である。即ち、十信(①信心・②念心・③精進心・④慧心・⑤定心・⑥不退心・⑦廻向心・⑧護心・⑨戒心・⑩願心)十住(①発心住・②治地心住・③修行心住・④生貴心住・⑤方便心住・⑥正心住・⑦不退心住⑧童真心住・⑨法王子心住・⑩灌頂心住)十行(①歓喜心行・②饒益心行・③無瞋恨心行(無違逆行)・④無尽心行(無屈撓行)・⑤離癡乱心行⑥善現心行・⑦無著心行・⑧尊重心行(難得行)・⑨善法心行・⑩真実心行)の四十位の修行により真実智を起こし法性の体を体得するに至る位を十地という。華厳の十地品、竜樹菩薩の十住毘婆娑論、十地経論等によれば十地の菩薩が自證化他の徳を成就しついに真実無上の仏果に到達すべきことは、例えば阿耨達池から四河が流れ出し、四天下を灌沃して後に大海に入るように、菩薩もまた菩提心から善根大願の水を出し、四摂(布施、愛語、利行、同事)を以て衆生を利益し、十地次第に順行し、ついに一切智智の仏果に趣向することを明かしている。これらの説は十地は菩薩の最上位ではあるがなおこれは因位であって、仏果ではない。しかし密教に於いて四十二位あるいは五十一位の位階をたてるときは仏果の道のりであるとしているのみ。・・密教に於いては初地に自証円満するゆえに十地に高下浅深はない。秘蔵記にも「初地と十地に高下なし」とされる。・・大日経に初地の位に如来の果体を体得すといい、或はこの生に十地を満足すというのは皆このことである。即ち一切衆生はそのままで如来大覚の境に住するのである。この秘義を自覚すれば凡夫の身を捨てずして如来の家に生じ、菩薩たるべきであある。真にこの自覚に住すれば一切の動作みな如来の功徳の表現である。これを十地の因位即仏果位という。
 

 
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