福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

神仏一体資料、20

2020-01-20 | 護国仏教
•四国60番札所 横峰寺(本尊大日如来)
蔵王権現を祀る別当寺だったが廃寺になり、1909年(明治42年)再興しています。したがっていまも本尊、大日如来、向って右脇佛は石仙菩薩(しゃくぜんぼさつ、横峯寺の開基)、同左脇佛は蔵王権現をお祀りしています。境内にも蔵王権現の祠があります。
澄禅「四国辺路日記」には
「承応二年十月三日
横峰寺、先麓の小松より坂のかゝり一里大坂を上る、 夫より小坂を上下する事三つ、又大坂を上りて少平地なる所に、二王門在り、爰に仏光山と云額在り、銅にて文字を入たり、 本堂南向、本尊大日、又権現の社在り、 寺には加賀の国の僧住持す、 社壇の後薗を通りて未申の方の峯に上る事五町、 爰に鉄の鳥居在り、爰にて石槌山を拝して札を納て読経念誦す、 石槌山には大雪降積て白妙なり、 一昨日、里方は時雨したりしか、山々は皆雪也と、 夫より元の如く坂を下て保寿寺に還たり、其夜は此寺に宿す、上下六里、
石槌山太権現、本地阿弥陀如来、 嶽迄は十二里也、 然れとも六月一日に山上す、余時は山上不成也、右横峰に札を納るなり、 石槌より吉祥寺迄へも十二里也
承応二年十月五日
夫より一里斗行て前神寺とて札所在り、 是は石槌山の里坊也、 爰にも札を納る也」とあります。

・61番香園寺は鎮守社は横の高鴨神社。いつもここで横峯寺への道を間違えます。

・62番札所 宝寿寺(本尊十一面観音)。真念「四国徧禮道指南」には「六十二番一宮・・本尊十一面観音」とあり。文政八年の「神社仏閣順拝帳」では「六十二番霊判 伊豫國一宮大明神 別当寶壽寺」とあります。線路を挟んで伊予小松駅の向かい側がすぐ一宮神社。四国八十八所ホームページによると「・・縁起によると、天平のころ聖武天皇(在位724〜49)は諸国に一の宮を造営した。その折、この地に伊予の一の宮神社が建立され、大和の僧・道慈律師(〜744四)が勅命をうけて法楽所としての別当寺を創建したのがはじめとされる。このとき天皇は『金光明最勝王経』を奉納され、寺名は「金剛宝寺」と称して、現在地ではなく中山川下流の白坪という地にあったと伝えられる。弘法大師がこの地方を訪ねたのは大同年間(806〜10)で、寺に久しく留まり聖武天皇の妃である光明皇后の姿をかたどった十一面観世音菩薩像を彫造した。これを本尊とし、寺名を「宝寿寺」と改めて霊場とされた。そのころ国司の越智公夫人が難産で苦しんでいた。大師が本尊に祈願した霊水・玉の井で加持したところ、無事出産したことから安産の観音様としても信仰されたという。ただ、中山川のたび重なる洪水の被害を受け、天養2年(1145)に堂宇を再建し、山号も「天養山」と改めている。
以後、大山祇神社(祭神大山積神)の別当寺として栄えた・・。」とあります。

•63番 吉祥寺、鎮守社は天満天神


•64番札所 前神寺。ここも石鎚大権現の遥拝所だったということがわかります。ウイキぺヂアによると「前神寺は里前神寺と称されることもあるが、これは海抜1500mあたりにある前神寺の出張所を奥前神寺と呼び区分するためでもある。奥前神寺は本来、現在の成就社であったが、本寺の神社部門が、明治の神仏分離令により分離独立し、奥前神寺と里前神寺ともに石鎚神社となり、当寺は廃寺となる。その後、1878年(明治11年)に現在地に里前神寺が再興され、さらにロープウエイ山上駅の上に奥前神寺ができて現在に至る。
真念「四国徧禮道指南」には「六十四番里前神寺・・本尊阿弥陀如来」とあり。悔焉房澄禅「四国辺路日記」では、「承応二年十月三日
横峰寺、先麓の小松より坂のかゝり一里大坂を上る、 夫より小坂を上下する事三つ、又大坂を上りて少平地なる所に、二王門在り、爰に仏光山と云額在り、銅にて文字を入たり、 本堂南向、本尊大日、又権現の社在り、 寺には加賀の国の僧住持す、 社壇の後薗を通りて未申の方の峯に上る事五町、 爰に鉄の鳥居在り、爰にて石槌山を拝して札を納て読経念誦す、 石槌山には大雪降積て白妙なり、 一昨日、里方は時雨したりしか、山々は皆雪也と、 夫より元の如く坂を下て保寿寺(いまの62番札所宝寿寺)に還たり、其夜は此寺に宿す、上下六里、石槌山太権現、本地阿弥陀如来、 嶽迄は十二里也、 然れとも六月一日に山上す、余時は山上不成也、右横峰に札を納るなり、 石槌より吉祥寺迄へも十二里也
•承応二年十月五日、夫より一里斗行て前神寺とて札所在り、 是は石槌山の里坊也、 爰にも札を納る也」
「和漢三才図会」巻七十九にも「里前神寺(六十四) 在同郡[新居郡] 山上東向
 本尊 阿弥陀(秘仏)本札所は石槌山と号して麓より十二里甚高山也、 毎六月三日可登、 其余不能登故に里前神寺に於て納札す、 石槌山の華表前横峯寺に有り」とあります。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 金光明最勝王經・全訳・・2... | トップ | 金光明最勝王經・全訳・・21/32 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

護国仏教」カテゴリの最新記事