後宇多天皇(13世紀)は深く仏教に帰依し、ご出家後は大覚寺に住み密教僧としてすごされた。
この紫紙金字の金光明最勝王経は、伏見天皇へ譲位して7年後の永仁2年(1294)11月15日、上皇みずから斎戒書写されたもの(「永仁二載仲冬三五。堅持齋戒。奉寫既訖」とあり)で、聖武天皇の国分寺経の先例にならって諸国に班置し、鎮護国家・万民撫育を祈ったものである。後宇多上皇はこのときまだ28歳。
体裁は紫紙に金泥で界線が施され、金泥で1紙26行に謹厳な書風で書写されている。本巻は巻第二の残巻で、巻首100行分。京都の北野神社に、宝永7年(1710)に奉納された巻第一(重要文化財)が所蔵されている。
後宇多天皇御宸筆・金光明経
以下天皇の奥書
「永仁二載仲冬三五。堅持齋戒。奉寫既訖。
願此以典 班置諸州 以為國鎮 以為民寶
遥慕聖武 深発大悲 述脩祖業 撫育民俗
百王福田 百姓帰依 金光以照 如寶無盡
以斯功徳 遍施一切 本有金剛 五智各具
佛子太上天皇世仁」
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