福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

密宗安心教示章(明治十七年三月二十一日仁和寺三十二世別所栄厳大和上示衆)其の八

2022-03-08 | 密宗安心教示章

第二十章 密教殊勝章
我等は佛前佛後に生れて出離解脱の因縁も泣く、悲しみても亦悲しむべきは佛世に漏れたるの哀み、恨みても猶恨むべきは苦界に沈めるの恨みなり。まして目廣(一字で「こう」)劫より以來、今に至るまで、惑業深重にして既に十方恒沙の佛國にも生ぜず、罪障猶厚くして、今又五濁濫漫の邊地にきたれり。かく薄福重障なりと雖、「冒地の得がたきに非ず、此法に遭うことの易からざる也。」(性霊集にある 「大唐神都青龍寺故三朝の国師潅頂の阿闍梨恵果和尚の碑文」)と称歎したまひし。金剛一乗の教法に遭い奉り、辱くも此度出離解脱の時を期することを得るは、今生の歓び、何事か之に如かん。抑も此の密宗教意の殊勝なる旨をいはば、能説の教主、既に諸佛の本祖にして、三世常恒の大日如来なるが故に、其所説の真言も亦是法爾常恒なるが故に、其の所説の真言も亦是法爾常恒にして、一切佛法の本体なり。されば余教に云が如く、正像末の三時の異を論ずることなし。故に仮令今の世といへども、上根勝慧の者ありて、如説に修業する時は、皆一生に成佛することを得るなり。是を以って高祖大師は「人法法爾なり、興廃何れの時ぞ、機根絶絶たり、正像末何ぞ分たん」(大師『法華経開題』)。と述べ給へり。かかる尊き御法ゆゑ、いかなる下根劣慧の者と雖、大悲教益の殊勝なるに、往生の信を決定する時は順次往生は更に疑いなき者なり。

第二十一 真言得名章
凡そ宗名を立てるに、宗祖の意樂区区にして、祖師住所の土地に寄せて名くる者あり。或は祖師の名称を取りて名ずくる有り。又は所依の経論に就てなずくる等、種種ありと雖、皆是人師の仮説なり。然るに吾真言宗と云は、金剛頂瑜伽分別聖位経に、真言陀羅尼宗とは、是一切如来秘奥の教、自覚証智修証の法門と説きたまふ所の宗名にして、隋他仮説の称に非ず。且此宗の教意は三密の妙行を修して、一生に成佛するを以て正意とするがゆえに、三密宗と名ずくべきを、如来ことさらに真言宗と名ずけ給ふは、深く所以あることなり。何となれば、余教は皆是四言所説の教法なれども、今真言宗教は、如義真實語の所説なるが故に、佛みずから宗名を真言陀羅尼宗と説き給へるなり。言う所の真言陀羅尼は、一字千里を含むのゆえに、此法に依て如説に信修すれば、上は即身成仏より、下は世間の悉地に至るまで、願として満せずということなし。今我等かかる尊き甚深秘密の教法に値遇し奉る宿因の深きことを歓び、真言念誦相続すれば、二世の勝益空しからずと、深く信ずべきなり。

十善は是人道の常法、佛法の通義也、緇素ともに護持すべし。
三寶尊崇を旨とし、異教非義の道に親近すべからず。
四恩報謝を専とし、修身斉家の道怠るべからず。
難思議の法を誤解して、邪見に堕せざるやう、因果応報の真理を深く信ずべし。
宗意安心は、往生成仏の大要なり、平生に決定して、二世の勝益を全くすべし。
右教示する二十一章の旨、并に五箇の條目を熟得し、宗意安心の大義を誤らず、王法佛法の制禁に背かざるやう、深く注意し、一期の間、信心相続肝要なる者なり。

明治十七年三月二十一日 大教正 苾蒭榮厳

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