・552、 仏教伝来、『日本書紀』欽明天皇13年10月条(552)
「百済聖明王。更名聖王。遣二西部姫氏達率怒唎斯致契等一。献二釈迦仏金銅像一躯。幡蓋若干経論若干巻一・・」
・698、 多気大神宮寺(伊勢神宮の神宮寺)を度会郡に遷す。『続日本紀』文武二年(698年)12月、乙夘に「遷多氣大神宮于度會郡 (多気大神宮を度会郡に遷す)」とあり。天平神護二 年 七月廿三日丙子。《廿三》「遣使造丈六佛像於伊勢大神宮寺。」とある。伊勢神宮に神宮寺があり朝廷に大切にされていたことがわかる。
・715、気比神宮寺創建。,「藤氏家伝(とうしかでん)」に藤原武智麻呂(むちまろ)が715年(霊亀1)越前の気比(けひ)神の託宣(「仏教により我が宿業を救え))をうけて創建。(『藤氏家伝』下・武智麻呂伝(715)「改二和銅八年一為二霊亀元年一。公嘗夢遭二一奇人一。容貌非レ常。語曰。公愛二-慕仏法一。人神共知。幸為レ吾造レ寺。助二-済吾願一。吾因二宿業一。為レ神固久。今欲下帰二-依仏道一修中-行福業上。不レ得二因縁一。故来告之。公疑二是気比神一。欲レ答不レ能而覚也。仍祈曰。人神道別。隠顕不レ同。未レ知二昨夜夢中奇人是誰者一。神若示レ験必為レ樹レ寺。於レ是神取二優婆塞久米勝足一置二高木末一。因称二其験一。公乃知レ実。遂樹二一寺一。今在二越前国一神宮寺是也。」)
・723、若狭比古神宮寺創建。『類聚国史』180(仏道7諸寺)・天長6年3月乙未(16日)条(829)(若狭国比古神は神と生れた苦しみから疫病をはやらせたが、佛教により救われたいと神宮寺を建立した)「若狭国比古神。以二私朝臣宅継一為二神主一。宅継辞云。拠二-検古記一。養老年中。疫癘屡発。病死者衆。水旱失レ時。年穀不レ稔。宅継曽祖赤麿。帰二心仏道一。練二身深山一。大神感レ之。化レ人語宣。此地是吾住処。我禀二神身一。苦悩甚深。思下帰二-依仏法一。以免中神道上。無レ果二斯願一致二災害一耳。汝能為レ吾修行者。赤麿即建二道場一造二仏像一。号曰二神願寺一。為二大神一修行。厥後年穀豊登。人無二夭死一云々。」