福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

寶在心

2018-12-26 | 法話
以前某師にいただいた秘仏の前で修法をしているときふと「宝は心にあるぞ」という仏様のお諭を受けた気がしました。最近貪瞋痴の三毒に相当深く侵されている自分自身に気が付いていたのですがなかなかその渦から抜け出せなくて鬱々としていたのです。しかしこの簡単なお諭でそれまでの重苦しい心が嘘のように一気にすっーと晴れてきました。
そしてふと以前土佐の遍路宿で信貴山管長の「寶在心」という色紙を見たことを思い出しました。

上杉神社には上杉謙信公家訓「宝在心」16ヶ条というのがあるということです。禅の修行をし、更に高野山金剛峯寺の清胤から伝法潅頂を受け密教僧となっている謙信の素養がうかがえるものです。

「『宝在心』一、心に物なき時は心広く体泰なり。一、心に我儘なき時は愛敬失わず。一、心に欲なき時は義理を行う。一、心に私なき時は疑うことなし。一、心に驕りなき時は人を教う一、心に誤りなき時は人を畏れず。一、心に邪見なき時は人を育つる。一、心に貪りなき時は人に諂うことなし。一、心に怒りなき時は言葉和らかなり。一、心に堪忍ある時は事を調う。一、心に曇りなき時は心静かなり。一、心に勇みある時は悔やむことなし。一、心賤しからざる時は願い好まず。一、心に孝行ある時は忠節厚し。一、心に自慢なき時は人の善を知り。一、心に迷いなき時は人を咎めず。」

華厳経「十地品」には有名な「三界は虚妄にして、但是一心の作なり。」(すべては心が造り出している)という言葉があります。
心さえ制御できれば宝は思うが儘ともいえます。十善戒も最後の「不邪見」がもっとも大切で根本の戒と言えるようです。しかしこの心の制御程難しいものもないのです。自分自身も心の制御の難しさを感じない日はありませんがそういうときは努めて「いい情報」に接するようにする他はありません。
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