第三十 高祖恩徳章(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・39
高祖大師一代の行果を伺い、無比の誓願を仰ぎ奉るに悉く是れ摂化の妙業大悲の本願ならざるはなし。其の発心の初め、仏前に祈誓して不二法門を感得し命を万里の蒼海に殉へて鉄塔の教風を承け真言秘密の法、曼荼灌頂の道を吾が扶桑国に流伝し給えり。遂に乃ち龍華三会の暁を期し身を百千に現じ影を万億に分かちて広く法界の衆生を利益せんがための故に長しえに肉身を高野の樹下に留めて金剛不壊の大定に入らせ給う。宣べなるかな神力難思の用、大悲利生の徳、機に感じ縁に随いて日に弥弥新たなるものあり。其の恩徳巍々として言心の能く及ぶところに非ず。大日如来の化身、大権の聖者に非ずんばなんぞよくこの如くなることを得んや。誠にこれ苦海の船筏、暗夜の明竹、二佛中間の導師なり。この故に先師良基和尚(明治8年真言宗管長、華厳・神道・国典・和歌に秀でた、著に「密宗安心鈔」等)の曰はく「夫れ前佛すでに滅し、後佛未だ下生せず。二佛の中間に當り,跡を吾日東に垂れ、津梁を虚空に誓ひ、能事を五十六億七千万歳竜華の春に期し給うは其れ吾宗祖大師遍照金剛乎」と。謹んで高祖大師の御遺告を繙くに其の中に曰はく「門徒数千万ありと雖も、併らわが後生の弟子なり」、(弘法大師行状記の「門人遺誡」に「・ ・・承和二年三月十五日、重ねて諸の御弟子達に遺告あり。『天長九年十一月十二日より、深く穀味を厭ひて専ら座禅を好む。是、皆、令法久住の勝計、ならびに末世・後生の弟子門徒のためなり。諸の弟子らあきらかに聞け。汝等、慎みて教法を守るべし。吾入滅に擬せんこと来る二十一日寅の刻なり。諸の弟子ら、悲泣すること勿れ。吾仮令世を去るというとも両部の諸尊を信敬せば、自然に吾に代わりて拳顧し給うべし。吾始は思いき、一百歳世に住して教法を守らんと。然れども汝達を憑みていそぎて永く即世に擬するなり。門徒数千万なりというとも、併わせて吾が後生の弟子たらん。祖師吾が顔を見ずというとも心あらんもの必ず吾が名号を聞きて、恩徳の深きことを知れ。是、吾が白屍の上に人の労わりを得んと思ふにあらず。密教の寿命を守り継ぎて、龍華の三庭にいたらしむべき謀なり。吾閉眼の後、必ずまさに都率陀天に往生して、弥勒慈尊の御前に下生して、吾が先跡を問うべし。又、且且いまだ下らざる間も、微雲菅より見て、信非を察すべし。この時、勤めあるものは佑を得、不信のものは不幸ならん。』」)と。吾等は深く底下の非器を愧ずといえども如何なる宿世の善根に依りてか幸いに凡身即佛の妙法に遇ひ奉り親り高祖大師の門葉に列なることを得たり。真に是れ盲亀浮木を得たるがごとく窮子の長者に遇えるが如し。又曰はく「吾閉眼の後は方に兜率他天に往生して弥勒慈尊の御前に侍るべし。五十六億余年の後には必ず慈尊とともに下生し祇候して吾先跡を問ふべし、未だ下らざる間は微雲管より信否を察すべし、この時に勤めあらん者は祐を得ん、不信の者は不幸ならん。努々後に疎かに為ること勿れ」と。若し夫れ幸いに凡身即佛の妙法に遇ひ親り大師の門葉に列なる事を得ると雖も大師の冥慮に契はず大師の加持力を蒙らずんば曼荼諸尊の加持力を蒙りて悉地を成就する事能わず。この故に我らは親しく大師の尊顔を拝し大師の慈音を聴き奉ることを得ずといえども須らく其の形像を拝する毎に生身の想いを作して恭敬供養し其の遺訓を聴く毎に言音の恩に作して随時渇仰し日夜に其の深重の誓願を信じ寤寐に其の広大の恩徳を念じ奉るべし。然れば必ず大師の神力に加持せられて速やかに二世の求願を満ずることを得ん。疑うこと勿れ、疑うこと勿れ。(大正五年、真言宗各派連合法務所、代表森田龍僊)以上終り。
」