東寺国宝談義本尊御影について(水原堯栄「弘法大師御影」及び「宸翰英華」より)
「絹本着色。竪四尺五寸八分、横二尺五寸、桐箱裏に寛延二巳巳年十月補修。于時年預。寶菩提院法印大僧都覺空。軸の表装に後宇多院宸翰談義本尊。八祖様式、・・・線は潤達遒倒である。念珠は百八果半装束様である。床冗は四脚唐草模様金具附上に茵(しとね)をしいてある。衣袈裟は香染衣である。東宝記には「大師御影一鋪一幅、後宇多院宸筆、右談義本尊となして法皇施入これあり」等とあるによって明らかである。・・・御影の上段には大師「御遺告」の中から後宇多院宸翰(大師流の流麗な筆致)で「竊以大法同味興廢任機。師資累代付法在人。鷲峯視聽傳流中洲鐵塔傳教利見烏卯。探流尋源鑒晃討本。大唐曲成既有血脈。日本末葉何無後生。吾初思及于一百歳住世奉護教法。然而恃諸弟子等忩永擬即世也。但弘仁帝皇給以東寺。不勝歡喜。成祕密道場。努力努力勿令他人雜住。非此狹心護眞謀也。雖圓妙法非五千分。雖廣東寺非異類地。以何言之。去弘仁十四年五月十九日以東寺永給預於少僧勅使藤原良房公卿也勅書在別。即爲眞言密教庭既畢。師師相傳爲道場者也。豈可非門徒者猥雜哉・・・」
(以下、書き下し文「ひそかにおもんみれば、大法は同味にして興廃は機に任せり。師資累代付法は人にあり。鷲峯の視聽(お釈迦様が霊鷲山で説法された法は)傳を中州(インド各地)に流る。鐵塔の傳教(南天の鉄塔からでた密教は)烏卯に利見す(すみやかにひろまった)流を探り源を尋ね晃を鑒みて本を討ぬ。(法の流れを探り、源泉を尋ね、暗夜に光の所在をよく考えてそのもとを求める)大唐の曲成に既に血脈有り。日本の末葉、何ぞ後生無んや(日本の真言宗の末徒としても、この教えを後世に伝えないことがあろうか)
吾れ初めは思ひき一百歳に及まで世に住して教法を護り奉らんと。然而れども諸弟子等を恃んで永く即世んと擬す也。但し弘仁の帝皇給ふに東寺を以ってす。歡喜に勝えず。祕密道場と成す。努力努力他人をして雜住せしむる勿れ。此れ狹き心にあらず。眞を護るの謀也。圓かなる妙法なりと雖ども五千の分に非ず。廣き東寺といえども異類の地に非ず。何を以ってか之を言ん。去じ弘仁十四年正月十九日東寺を以って永く少僧に給預はる。勅使は藤原良房公卿也。勅書在別。即ち眞言密教の庭となること既に畢ぬ。師師相傳して道場とすべきもの也。豈に非門徒の猥雑すべきならんや。門徒数千万、併しながら吾後生の弟子等祖師吾顔を見ずと雖も心有る者は必ず吾の名号を聞き、恩徳の由を知れ。是吾、白屍の上に更に人の勞を欲するに非ず。密教寿命を護り継ぎ、龍華三庭に開かしめん謀なり。微雲間より見て信否を察すべし。是の時懃有る者は祐を得、不信の者は不幸ならん、努々」)
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