観音霊験記真鈔27/33
観音霊験記真鈔巻四
西國二十六番播州法華寺千手像
釋して云く、千手經に云く、諸の善神及び龍王神母女等各五百の眷属大力の夜叉有り。常に随って大悲神呪を誦持する者を擁護す。人若し空山曠野に在りて獨り宿り孤り眠るに、是の諸善神番に代わりて宿衛し災障を辟除す(千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經「是諸善神及神龍王神母女等。各有五百眷屬。大力夜叉常隨擁護。誦持大悲神呪者。其人若在空山曠野獨宿孤眠。是諸善神番代宿衞辟除災障。若在深山迷失道路。誦此呪故善神龍王。化作善人示其正道。若在山林曠野乏少水火。龍王護故化出水火」)。
されば大悲呪(「のうぼう。あらたんのうたらやあや。のうまくありや。ばろきていじんばらや。ぼうじさとばや。まかさとばや。まかきゃろにきゃや。おん。さらばらばえいしゅ。たらだきゃらや。たすめい。のうばそきりたば。いまんありや。ばろきていじんばら。たばにらけんた。のうまくきりだや。まばりたいしゃみ。さらばあらたさだなん。しゅばんあぜいえん。さらばぶたなん。ばばまらぎゃびしゅだかん。たにゃた。おんあろけい。
あろうきゃまち。ろうきゃちきゃらんてい。ちい。ちい。かれい。まかぼうじさとば。さんまらさんまら。きりだや。くろくろ。きゃらまん。さだやさだや。どろどろ。びじゃえんてい。まかばじゃやえんてい。だらだり。んどれしゅばら。しゃらしゃら。あまら。びまら。あまらぶくてい。えいけいき。ろけしゅばら。らがびし。びなしゃや。どべいしゃびしゃ。びなしゃや。もうかしゃらびしゃ。びなしゃや。ころころ。まらころかれい。はんどまなば。さらさら。しりしり。そろそろ。ぼうじやぼうじや。ぼうだやぼうだや。まいとりや。にらかけんた。きゃましゃ。だらしゃなん。はらからだまやな。そわか。しつだや。そわか。まかしつだや。そわか。しつだゆけい。しゅばらや。そわか。にらけんたや。そわか。ばらかぶきゃ。そわか。ぶきゃや。そわか。はまかしつだや。そわか。しゃきゃらあしつだや。そわか。 はんどまかさたや。そわか。しゃぎゃらゆくたや。そわか。しょうきゃしゃぶたねい。ぼうだのうや。そわか。まからくただらや。そわか。ばまそけんたじしゃしちたきりしっだじなや。そわか。びぎゃらしゃらまにばさなや。そわか。
のうぼう。あらたんのう。たらやあや。のうぼうありや。ばろきてい。じんばらや。そわか。しっしゃじんとう。まんたらばだや。そわか。」)の効能不可思議なる故に此の神呪を誦持する衆生を諸の善神幷の五百の眷属の夜叉常に守護し或は諸善神番に代って外護して災難を除かんとなり。之に就いて大呪小呪あり。大呪は經に長行に説き玉ふ故にこれを略す。小呪(オンバザラダラマキリク)は初巻に挙るが如し。何れも其の功能等しきもの歟。若し大呪小呪並べて呪せば猶好し。大呪に堪叵き者は小呪のみ誦しても其の利益ある者なり。西國二十六番目播磨國印南郡法華寺千手の像は空鉢上人(法道仙人(兵庫県加西市にある一乗寺を中心に活躍したという伝説上の 仙人。 6世紀半ばに、天竺(インド)の霊鷲山から渡来した仙人で、方 術を駆使し、特に「飛鉢の法」を行ったことで知 られている)の開基なり。此の仙人は元天竺の人なり。始め霊鷲山の中に住む。後日本に来たり播州印南郡法華山に下る。其山八朶故に名とす。時に渓谷五色の雲を出す。空鉢是を見て観音靈區なりと知り千手の呪を誦すること毎日一萬遍。あるとき千手観音南方より光を放ちて言く、汝と我と天竺霊鷲山會上に在りて釋尊の法を助く。今亦此に見ること因縁あり。汝我が形像を刻み當山に安置せば遐代の靈地として衆生を浄刹に引導すべしと言て化し去り玉ひぬ。法道跡を礼拝して則ち千手の像を刻み一宇を建立す。今に至って観音の霊應日にあらたにましますなり。さて此の法道は常に千手空鉢の法を得玉ふ故に天龍鬼神来たりて仕え奉る鉢を飛ばして供を受るに依て國中の人空鉢上人と稱ずと云々。
歌に
「春は花 夏は橘秋は菊 早晩絶せぬ法の華山」
私に云く、歌の意は解し安し。説法実相の理にして草木までも法身説法の妙文なることを詠じ玉ふと見へたり。古歌に
「武蔵野は 桔梗刈萱女郎花 誰が作りなす 己が品々」
又歌に
「春は花 夏は涼しき秋紅葉 冬寒(ひやや)かな法の水哉」已上。
西國の歌に引き合わすべし。