(大智度論釋初品中戒相義第二十二之一)
(不妄語)
妄語とは不淨心により他を誑かさんと欲する他。、実を覆隠し異語を出し口業を生ず是れを妄語と名づく。
妄語之罪は言聲によって相解するより生ず。若し相解せざれば不實語といえども妄語の罪なし。是の妄語は知を不知と言ひ不知を知と言ひ、見るを不見と言ひ不見を見と言ひ、聞を不聞と言ひ不聞を聞と言ふ。是を名て妄語となす。
若し作さざれば是を不妄語と名く。
問曰。「妄語に何等の罪ありや」。
答曰。「妄語之人は先ず自ら身を誑かし然る後に人を誑かす。實を以て虚となし虚を以て實となす。虚實顛倒して善法を受けず。譬ば覆瓶の水は入るをえざるが如し。妄語之人は心に慚愧なし。天道涅槃之門を閉塞す。此罪を觀知す是の故に作さず。復次に
實語を觀知すれば其利は甚だ廣し。實語之利は自ら己より出でて甚だ易得しとなす。是れ一切の出家人の力と為す。如是の功徳は、居家・出家人共に此の利有れば、善人の相なり。
復次に實語之人は其心端直なり。其心端直にして苦を免るを得やすし。譬ば稠林(密林)の木を曳くに直きは出易きがごとし。問曰「若し妄語に如是の罪あらば人は何を以っての故に妄語すや」。答曰「有る人は愚癡少智にして事苦厄に遭へば妄語して脱せんことを求め事の發するを知らず。今世に得罪して後世に大罪報あるを知らず。復た有る人は妄語の罪を知るといえども慳貪瞋恚愚癡多き故に妄語を作す。復た有る人は不貪恚なれども妄りに人罪を證し心に實に爾なりと謂ひ死して地獄に墮す。提婆達多の弟子倶伽離(くかり・提婆達多の弟子、常に仏、舎利弗、目連、梵天等を毀謗したので後に身体に悪瘡を生じて、命終して八寒地獄に堕つ)のごときは常に舍利弗・目揵連の過失を求む。是時二人は夏安居竟って諸國を遊行し大雨に値ひ陶作の家に到りて盛陶器の舍に宿す。此舍中に先に一女人あり。闇中に在って宿りしが二人は不知。此女人其夜夢に不淨を失し、晨朝水に趣き澡洗す。是時倶伽離偶ま行きて之を見る。倶伽離能く人の交會の情状を相知るも而も夢と不夢とを知らず。是時倶伽離顧みて弟子に語る。此の女人は昨夜人と情を通じぬ。即ち女人に問う「汝何處にありて臥せしや」と。答言。「我陶師屋中に在りて寄宿せり」。又問ふ「誰と共にか」。答言「二比丘なり」。是時二人は屋中より出ず。倶伽離見おわって又以って之を相驗し意に謂へらく「二人は必ず不淨をなせり」と。先に嫉妬を懷きて
既に此事を見て遍く諸城邑聚落に之を告ぐ。次に祇洹に到って此惡聲を唱ふ。是の中間において梵天王來りて佛にまみえんと欲す。佛は靜室入り寂然として三昧せり。諸比丘衆亦た各房を閉じて三昧す。皆覚る可からず。即ち自ら思惟す。「我故に來って佛にまみゆるに佛は三昧に入りたまふ。且つ還去せんと欲す」と。即ち復た念じて言く「佛定より起ちたまはんこと亦た將に久しからじ」と。是においてしばらく住り、倶伽離房の前に到る。其の戸を扣ひて而言く、「倶伽離・倶伽離。舍利弗・目揵連は心淨柔軟なり。汝之を謗して長夜に苦を受くるなかれ」と。倶伽離問うて言く。「汝は是れ何人ぞ」。答言「我是梵天王なり」と。問言「佛は汝が阿那含道(欲界の煩悩を断った声聞)を得ると説きたまへり。汝何を以っての故に來るや」。梵王は心に念じて偈を説ひて謂く
無量法を量らんと欲するも 應に以って取るべからず
無量法を量らんと欲するも 是の野人は覆沒す
此偈を説き已って仏所に到り具に其の事を説く
仏の言く、『善哉、善哉、快く此の偈を説けり』と。爾の時、世尊復た此の偈を説きたまわく、
「無量の法を量らんと欲せば、応に相を以って取るべからず、
無量の法を量らんと欲せば、是の野人は覆没せん。」
梵天王は、仏の説きたもうを聞き已りて、忽然として現ぜず、即ち天上に還る。
爾時、倶迦離は佛所に到り頭面に佛足を禮して却って一面に住す。
佛、倶伽離につげたまはく「舍利弗・目揵連は心淨柔軟なり。汝之を謗する莫れ、而れば長夜に苦を受く」と。倶伽離白佛言「我は佛語において敢て不信なるにあらず。但し自ら目見すること了了なり。定て知る、二人は實に不淨を行ず」と。佛如是に三呵す。倶伽離亦た三たび受けず。即ち坐より起ちて去り其房中に還るに擧身に瘡を生ず。始は芥子の如く漸く大なること豆の如く棗の如く奈のごとし。轉た大にして苽のごとし。翕然(きゅうねん・突然)爛壞して大火燒の如し。叫喚嗥哭(きょうかんごごう)して其夜即死し、大
蓮華地獄に入る。一梵天あり、夜來って佛にもうす「倶伽離は已に死せり」と。復た一梵天ありて言く「大蓮華地獄に墮す」と。其の夜過ぎ已りて、仏は僧に命じて集らしめ、之に告げて言わく、『汝等、倶伽離の墮つる所の地獄の寿命の長短を知らんと欲すや、不や』、と。諸比丘の言わく、『願楽くは聞かんと欲す』と。
佛言。「六十斛の胡麻あり。人ありて百歳にして一胡麻を取る。如是にして至り盡さんに阿浮陀(あぶだ)地獄中の壽はさらに未だ盡きず。二十の阿浮陀地獄中の壽を一尼羅浮陀(にらぶだ)地獄中の壽となし、二十尼羅浮陀地獄中の壽を一阿羅邏(あらら)地獄中の壽となし、二十阿羅邏地獄中の壽を一阿婆婆(あばば)地獄中の壽となし、二十阿婆婆地獄中の壽を。一休休(ふふぶ)地獄中の壽となし、二十休休地獄中の壽を一漚波羅(うとぱら)地獄中の壽となし、二十漚波羅地獄中の壽を一分陀梨迦(ふんだりか)地獄中の壽となし、二十分陀梨迦地獄中の壽を一摩呵波頭(まかはどま)摩地獄中の壽となす。倶伽離は是の摩呵波頭摩地獄中に堕し、其の大舌を出して以って百釘之を釘し、五百具犁もて之を耕す。
爾時世尊は、此の偈を言きたまはく、
『 夫れ士の生れるや 斧口中にあり。
身を斬る所以は其の惡言による。 應に呵すべき を讃じ 應に讃ずべきを呵し、口に諸惡を集めて 終に楽を見ず。
心口業は悪を生ぜば 尼羅浮獄に堕して
具に百千世に満ちて 諸毒苦痛を受く。
若しくは阿浮陀に生じて 具に三十六世を満たして別に更に五世ありて 皆な諸苦毒を受く。
心、邪見に依りて 賢聖の語を破するは 竹の實を生じて自ら其形を毀るが如し。』
如是等の心に疑謗を生じ、遂に決定に至るも亦た是の妄語なり。妄語の人は乃ち佛語すら不信受に到る。罪を受くること如是なり。是を以ての故に妄語すべからず。復次に佛子羅睺羅の如きは其年幼稚にして
未だ愼口を知らず。人來りて之に問ふ。「世尊在や不や」。詭りて「不在」という。若し不在時に人羅睺羅に「世尊在や不や」と問へば、詭りて言く「佛在と」。人ありて仏に語る。佛羅睺羅に語りたまわく、「澡槃に水を取りて、我が与に足を洗え」と。足を洗い已るに、羅睺羅に語りたまわく、「此の澡槃を覆(おお)え」と。勅の如く即ち覆へるに仏の言わく「水を以って之に注げ」と。注ぎ已るに問うて言わく「水は中に入るや不や」と。答えて言わく「入らず」と。仏羅睺羅に告げたまわく「慚愧無き人、妄語して心を覆わば、道法の入らざることも亦復た是の如し」と。
仏の説きたまへるが如く妄語に十罪有り。何等か十と為す。一には口気臭し。二には善神、之を遠ざけ、便を得。三には実語有りと雖も人は信受せず。四には智人の語議に参与せず。五には常に誹謗せられ醜悪の声周く天下に聞こゆ。六には人に敬われず、教勅有りと雖も人は承用せず。七には常に憂愁多し。八には誹謗の業の因縁を種う。九には身壊れ命終りて当に地獄に堕つ。十には若し出でて人と為れば常に誹謗せらる。是の如く種種を作さざる、是れを不妄語と為し、口の善律儀と名づく。
(不妄語)
妄語とは不淨心により他を誑かさんと欲する他。、実を覆隠し異語を出し口業を生ず是れを妄語と名づく。
妄語之罪は言聲によって相解するより生ず。若し相解せざれば不實語といえども妄語の罪なし。是の妄語は知を不知と言ひ不知を知と言ひ、見るを不見と言ひ不見を見と言ひ、聞を不聞と言ひ不聞を聞と言ふ。是を名て妄語となす。
若し作さざれば是を不妄語と名く。
問曰。「妄語に何等の罪ありや」。
答曰。「妄語之人は先ず自ら身を誑かし然る後に人を誑かす。實を以て虚となし虚を以て實となす。虚實顛倒して善法を受けず。譬ば覆瓶の水は入るをえざるが如し。妄語之人は心に慚愧なし。天道涅槃之門を閉塞す。此罪を觀知す是の故に作さず。復次に
實語を觀知すれば其利は甚だ廣し。實語之利は自ら己より出でて甚だ易得しとなす。是れ一切の出家人の力と為す。如是の功徳は、居家・出家人共に此の利有れば、善人の相なり。
復次に實語之人は其心端直なり。其心端直にして苦を免るを得やすし。譬ば稠林(密林)の木を曳くに直きは出易きがごとし。問曰「若し妄語に如是の罪あらば人は何を以っての故に妄語すや」。答曰「有る人は愚癡少智にして事苦厄に遭へば妄語して脱せんことを求め事の發するを知らず。今世に得罪して後世に大罪報あるを知らず。復た有る人は妄語の罪を知るといえども慳貪瞋恚愚癡多き故に妄語を作す。復た有る人は不貪恚なれども妄りに人罪を證し心に實に爾なりと謂ひ死して地獄に墮す。提婆達多の弟子倶伽離(くかり・提婆達多の弟子、常に仏、舎利弗、目連、梵天等を毀謗したので後に身体に悪瘡を生じて、命終して八寒地獄に堕つ)のごときは常に舍利弗・目揵連の過失を求む。是時二人は夏安居竟って諸國を遊行し大雨に値ひ陶作の家に到りて盛陶器の舍に宿す。此舍中に先に一女人あり。闇中に在って宿りしが二人は不知。此女人其夜夢に不淨を失し、晨朝水に趣き澡洗す。是時倶伽離偶ま行きて之を見る。倶伽離能く人の交會の情状を相知るも而も夢と不夢とを知らず。是時倶伽離顧みて弟子に語る。此の女人は昨夜人と情を通じぬ。即ち女人に問う「汝何處にありて臥せしや」と。答言。「我陶師屋中に在りて寄宿せり」。又問ふ「誰と共にか」。答言「二比丘なり」。是時二人は屋中より出ず。倶伽離見おわって又以って之を相驗し意に謂へらく「二人は必ず不淨をなせり」と。先に嫉妬を懷きて
既に此事を見て遍く諸城邑聚落に之を告ぐ。次に祇洹に到って此惡聲を唱ふ。是の中間において梵天王來りて佛にまみえんと欲す。佛は靜室入り寂然として三昧せり。諸比丘衆亦た各房を閉じて三昧す。皆覚る可からず。即ち自ら思惟す。「我故に來って佛にまみゆるに佛は三昧に入りたまふ。且つ還去せんと欲す」と。即ち復た念じて言く「佛定より起ちたまはんこと亦た將に久しからじ」と。是においてしばらく住り、倶伽離房の前に到る。其の戸を扣ひて而言く、「倶伽離・倶伽離。舍利弗・目揵連は心淨柔軟なり。汝之を謗して長夜に苦を受くるなかれ」と。倶伽離問うて言く。「汝は是れ何人ぞ」。答言「我是梵天王なり」と。問言「佛は汝が阿那含道(欲界の煩悩を断った声聞)を得ると説きたまへり。汝何を以っての故に來るや」。梵王は心に念じて偈を説ひて謂く
無量法を量らんと欲するも 應に以って取るべからず
無量法を量らんと欲するも 是の野人は覆沒す
此偈を説き已って仏所に到り具に其の事を説く
仏の言く、『善哉、善哉、快く此の偈を説けり』と。爾の時、世尊復た此の偈を説きたまわく、
「無量の法を量らんと欲せば、応に相を以って取るべからず、
無量の法を量らんと欲せば、是の野人は覆没せん。」
梵天王は、仏の説きたもうを聞き已りて、忽然として現ぜず、即ち天上に還る。
爾時、倶迦離は佛所に到り頭面に佛足を禮して却って一面に住す。
佛、倶伽離につげたまはく「舍利弗・目揵連は心淨柔軟なり。汝之を謗する莫れ、而れば長夜に苦を受く」と。倶伽離白佛言「我は佛語において敢て不信なるにあらず。但し自ら目見すること了了なり。定て知る、二人は實に不淨を行ず」と。佛如是に三呵す。倶伽離亦た三たび受けず。即ち坐より起ちて去り其房中に還るに擧身に瘡を生ず。始は芥子の如く漸く大なること豆の如く棗の如く奈のごとし。轉た大にして苽のごとし。翕然(きゅうねん・突然)爛壞して大火燒の如し。叫喚嗥哭(きょうかんごごう)して其夜即死し、大
蓮華地獄に入る。一梵天あり、夜來って佛にもうす「倶伽離は已に死せり」と。復た一梵天ありて言く「大蓮華地獄に墮す」と。其の夜過ぎ已りて、仏は僧に命じて集らしめ、之に告げて言わく、『汝等、倶伽離の墮つる所の地獄の寿命の長短を知らんと欲すや、不や』、と。諸比丘の言わく、『願楽くは聞かんと欲す』と。
佛言。「六十斛の胡麻あり。人ありて百歳にして一胡麻を取る。如是にして至り盡さんに阿浮陀(あぶだ)地獄中の壽はさらに未だ盡きず。二十の阿浮陀地獄中の壽を一尼羅浮陀(にらぶだ)地獄中の壽となし、二十尼羅浮陀地獄中の壽を一阿羅邏(あらら)地獄中の壽となし、二十阿羅邏地獄中の壽を一阿婆婆(あばば)地獄中の壽となし、二十阿婆婆地獄中の壽を。一休休(ふふぶ)地獄中の壽となし、二十休休地獄中の壽を一漚波羅(うとぱら)地獄中の壽となし、二十漚波羅地獄中の壽を一分陀梨迦(ふんだりか)地獄中の壽となし、二十分陀梨迦地獄中の壽を一摩呵波頭(まかはどま)摩地獄中の壽となす。倶伽離は是の摩呵波頭摩地獄中に堕し、其の大舌を出して以って百釘之を釘し、五百具犁もて之を耕す。
爾時世尊は、此の偈を言きたまはく、
『 夫れ士の生れるや 斧口中にあり。
身を斬る所以は其の惡言による。 應に呵すべき を讃じ 應に讃ずべきを呵し、口に諸惡を集めて 終に楽を見ず。
心口業は悪を生ぜば 尼羅浮獄に堕して
具に百千世に満ちて 諸毒苦痛を受く。
若しくは阿浮陀に生じて 具に三十六世を満たして別に更に五世ありて 皆な諸苦毒を受く。
心、邪見に依りて 賢聖の語を破するは 竹の實を生じて自ら其形を毀るが如し。』
如是等の心に疑謗を生じ、遂に決定に至るも亦た是の妄語なり。妄語の人は乃ち佛語すら不信受に到る。罪を受くること如是なり。是を以ての故に妄語すべからず。復次に佛子羅睺羅の如きは其年幼稚にして
未だ愼口を知らず。人來りて之に問ふ。「世尊在や不や」。詭りて「不在」という。若し不在時に人羅睺羅に「世尊在や不や」と問へば、詭りて言く「佛在と」。人ありて仏に語る。佛羅睺羅に語りたまわく、「澡槃に水を取りて、我が与に足を洗え」と。足を洗い已るに、羅睺羅に語りたまわく、「此の澡槃を覆(おお)え」と。勅の如く即ち覆へるに仏の言わく「水を以って之に注げ」と。注ぎ已るに問うて言わく「水は中に入るや不や」と。答えて言わく「入らず」と。仏羅睺羅に告げたまわく「慚愧無き人、妄語して心を覆わば、道法の入らざることも亦復た是の如し」と。
仏の説きたまへるが如く妄語に十罪有り。何等か十と為す。一には口気臭し。二には善神、之を遠ざけ、便を得。三には実語有りと雖も人は信受せず。四には智人の語議に参与せず。五には常に誹謗せられ醜悪の声周く天下に聞こゆ。六には人に敬われず、教勅有りと雖も人は承用せず。七には常に憂愁多し。八には誹謗の業の因縁を種う。九には身壊れ命終りて当に地獄に堕つ。十には若し出でて人と為れば常に誹謗せらる。是の如く種種を作さざる、是れを不妄語と為し、口の善律儀と名づく。