福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

佛説諸徳福田經

2024-01-08 | 諸経

「佛説諸徳福田經 西晋沙門法立法炬共譯」

「聞如是、一時佛、舍衞國祇樹給孤獨園に在して大比丘千二百五十・菩薩萬人・大衆無數に圍繞せられて説法したまふ。

爾時、天帝釋、諸欲天子三萬二千と各の營從を将いること。稱(あげ)て數ふべからず。佛所に來詣して地に稽首して皆な一面に坐す。

爾時、天帝、衆坐定れるを察して、佛の神旨を承け、坐より起ち、服を整へ作禮し長跪叉手して世尊に白して曰さく、「所問有んと欲す。唯だ願くは彰(あきら)かに演べて世に軌則を垂れたまへ」と。

佛、天帝に告げたまはく、「譬へば冥室の如し。燈火を求めずんば焉んぞ所見あらんや。善哉問ふこと矣。吾當に汝が為に分別して之を説かむ」と。

天帝、佛に白さく、「夫れ人の徳を種うるは影福を求めんと欲してなり。豈に良田の果報限りなき絲髮(あおあおとした髪の様)の徳本を植へて、無量の福を獲るあらん乎。唯だ願くは天尊、惠訓を敷揚し、此の愚曚をして福報無量ならしめたまへ」と。

天尊歎じて曰く「快哉天帝、意を開きて問ふ所の法は無上なり矣。諦聽善思せよ。吾當に

具さに演べて汝をして歡喜せしむべし」と。

天帝と大衆は教を受けて聽く。

佛天帝に告げたまはく、「衆僧の中に五の淨徳あり。名けて福田といふ。之を供すれば福を得、進んで成佛すべし。何を謂ひて五と為すや。

一には發心して俗を離る。道を懷佩するが故に。

二には其の形好を毀す。法服に応ずるが故に。

三には永く親愛を割く。適莫なきが故に。

四には躯命を委棄す。衆善に遵ずるが故に。

五には大乗を志求す。人を度せんと欲するが故に。

此の五徳を以て名けて福田といふ。良たり美たり。旱喪あることなし。之を供すてば福を得ること喩を為し難し」。

爾時、世尊、偈頌を以て曰く、

    「形を毀りて志節を守り 愛を割きて親しむ所なし

    出家して聖道を弘め 願って一切人を度す

    五徳は世務を超ゆ 名けて曰く最福田と

    供養すれば永安を獲る 其福は第一尊なり。」

佛、天帝に告げたまはく、「復た七法の廣施あり。名けて福田といふ。行ふ者は

福を得て梵天に即生す。何をか謂って七と為すや。

一には佛圖・僧房・堂閣を興立す。

二には園果浴池に木を樹へて清涼ならしむ。

三には常に醫藥を施し衆病を療救す。

四には牢堅船を作り人民を濟度す。

五には橋梁を安設し羸弱を過度す。

六には近道に井を作り渇乏に飮むを得しむ。

七には圊厠(トイレ)を造作し便利處を施す。

是を梵天の福を得る七事と為す。

爾時世尊、偈頌を以て曰く

    「塔を起て精舍を立て 園果に清涼を施し

    病には則ち醫藥で救ひ 橋船で人民を度し

    曠路に好井を作り 渇乏に安身を得せしめば

    生ずる所には甘露を食し 無病にして常に安寧なり。

    厠を造りて清淨を施し 穢を除きて輕悦を致し

    後に便利の患ひ無く 穢惡者を見ることなし、

    譬へば五河流の 晝夜無休息なるが如く

    此の徳も亦た斯の如し 終に梵天に昇ることを得」

 

時に座中に一比丘あり。名けて聽聰といふ。聞法欣悦し即ち坐より起ち佛に作禮し長跪叉手して、世尊に白して曰さく、「佛の教は眞諦なり。洪潤無量なり。所以者何。我、宿命の無數世を念ずる時、波羅奈國に生じ長者の子と為る。大道の邊に小精舍を作り、床臥漿糧を衆僧に供給し、行路の頓乏なるも亦た止息するを得る。此の功徳により命終して天に生じて天帝釋と為り、世間に下生して轉輪聖王と為ること各三十六反。天人を典領し、足下に毛を生じ、虚を躡(ふみ)て遊ぶこと九十一劫、食福自然なり。今世尊に値ひたてまつり、衆生を顧臨して、我が愚濁を蠲(のぞ)き、安んずるに淨慧を以てし、生死の栽(うけき)枯れ、號して眞人といふ。福報は誠に諦(あきらか)なること其れ然りと為す矣。爾時、聽聰は偈頌を以て曰く

   「過去世を惟念するに 供養すること輕微なるに

    報を蒙むること遐劫を歴たり 餘福をもって天師に値(あ)ふ

    淨慧をもって生死を斷じ 癡愛の情は遺(のこ)ることなし

    佛の恩流は無窮なり 是の故に重ねて自から歸したてまつる。」

時に聽聰、禮し已りて還坐す。復た一比丘あり。名を波拘盧といふ。座より起ち服を整へ作禮し長跪叉手して世尊に白して曰さく「我、宿命を念ずるに。拘夷那竭國に生まれて、長者の子と為る。時に世は無佛なり。衆僧が教化し大會に説法す。我れ往きて経を聽き、法を聞きて歡喜す。一藥果、名けて呵梨勒、を持し衆僧に奉上す。此の果報によりて命終して昇天し世間に下生して恒に尊貴に処り端正雄傑にして衆に超絶すること九十一劫なり。未

だ曾って病あらず。餘福によりて仏、癡冥を先導して我に法藥を授くに値(あ)ふ。應眞を逮得し、力能く山を移し、慧能く惡を消す。善哉、福報は眞諦たり矣。爾時、波拘盧、偈頌を以て曰く

    「慈澤は枯槁を潤し 徳勳は苦患を濟(すく)ふ

    一果の善の本も 福を享(うる)こと今にいたる迄で存す

    佛は眞諦義を垂れ 教を蒙むりて淵を超出す

    聖衆の祐(たすけ)は極(きはま)り無し 上福田を稽首す。」

時に波拘盧、禮し已りて還坐す。復た一比丘あり。名を須陀耶といふ。即ち座より起ち服を整へ作禮長跪叉手して世尊に白して曰さく、

「我自ら先世之時を惟念するに、維耶離國に生じて小家の子と為る。時に世は無佛なり。衆僧が教化す。我時に酪を持し、市に入りて賣らんと欲し、たまたま衆僧の大ひに會して法を講ずるに遇ふ。過ぎて立ちて聽くに、法言微妙なり。之を聞くに歡悦し、即ち瓶酪を挙げて衆僧に布施す。衆僧呪願するに益すます欣踊を懷く。此の福報によりて壽終りて天に生じ、世間に下生し、財富無限。九十一劫に豪尊榮貴なり。末後の餘愆よげん、世間に生まれ、母妊むこと數か月し病を得て命終し母を塚中に埋める。月滿ちて乃ち生じ塚中に七年、死母の乳を飲み用って自ら濟活し、微福にて佛に値ひ、明法を開闡し死地を超度し應眞を逮得す。諦あきらかなる哉、罪福、誠に佛の教の如し。爾時、須陀耶、偈頌を以て曰く

    「前に小家の子たり 酪を賣りて以って自ら存す

    欣踊して施こすこと微薄なるに 三苦の患を離ることを得たり

    罪にて塚中に生ると雖も 飮乳して活ること七年、

    因縁、解脱を得たり 聖福田を歸命す。」

 

時に須陀耶、禮し已りて還坐す。復た一比丘あり。名を阿難といふ。即ち座より起ちて服を整へ作禮し長跪叉手して、世尊に白して曰さく「我、宿命を念ずるに羅閲祇國に生じ、庶民の子たり。身に惡瘡を生じ、之を治するに差(いへ)ず。親友に道人あり。來りて我に語りて言く、「當に衆僧を浴し其の浴水を取りて以って洗瘡に用ひよ。便ち除愈すべし、又た福を得べし、と。我即ち歡喜し、往きて寺中に到り、敬を加へて至心に更に新井・香油・浴具を作り、衆僧を洗浴し、汁を以て瘡を洗ふに尋ぎて除愈することを蒙れり。此の因縁により、所生端正にして金色の晃昱(こうりゅう・清らかな輝き)ありて、塵垢を受けず。九十一劫、常に淨福を得たり。僧の祐廣(たすけ)遠にして今復た佛に値ひたてまつり、心垢消滅し、應眞を逮得す。阿難、佛前に於いて 頌して曰く

    「聖衆は良醫なり 苦惱の患を救濟し

    洗浴清淨を施し  瘡愈へて安を得ることを蒙る

    所生は常に端正にして 殊異紫金の顏なり

    徳潤は崖限(かぎり)無し 良福田に歸命す」

 

阿難は禮し已りて還坐す。

爾時、座中に一比丘尼あり。名を奈女と曰ふ、即ち座より起ち、服を整へ作禮し長跪叉手して佛に白して言さく「我、先世を念ずるに、波羅奈國に生じ、貧女人となる。時に世に佛あり。名を迦葉と曰ふ。時、大衆に圍繞せられて説法したまふ。我、時に座にあり、經を聞きて歡喜し布施を意欲す。顧みるに所有なし。自ら貧賤なるを惟(おもふ)て、心、用もって悲感す。他の園圃に詣でて果蓏を乞求す。當に以って仏に施す、と。時に一奈を得たり。大にして香り好し。盂水并に奈一枚を迦葉佛及諸衆僧に奉ず。佛、至意を知りたまひて、呪願して之を受け、水奈を分布して一切に周普したまふ。此の福祚によりて、壽盡きて天に生じ、天后と為るを得、世間に下生して、胞胎によらず、九十一劫、奈華中に生じ、端正鮮淨にして常に宿命を識る。今世尊の道眼を開示したまふに値ふ。爾時、奈女、偈頌を以て曰く

  「 三尊の慈潤普ねし 慧度に男女なし

    水果を施せる弘き報ひ 縁って衆苦を離れることを得て

    世に在りて華中に生まれ 上れば則ち天后と為る

    自ら聖衆の祐に帰す 福田最も深厚なり。」

比丘尼奈女は禮し已りて還坐す。時に天帝、即ち座より起ち佛に作禮して、世尊に白して曰さく「我れ先の世の時、拘留大國に生まれ長者の子となる。青衣抱行して城に入って遊觀し、衆僧の街巷に分衞するに値遇す。時に人民を見るに施者甚だ多し。即ち自ら念じて言く『願くは財寶を得て衆僧に布施せむ。亦た快ならず乎。即ち珠瓔を解き衆僧に布施し、同心に呪願し歡喜して去る。此の因縁により壽終りて即ち忉利天上に生じ天帝釋と為ること九

十一劫。永く八難を離る。時に天帝、偈頌を以て曰く

    「徳高く過なき者は 福を開きて禍元を塞ぐ

    聖衆神定の力 童幼歡喜を発す

    衆に悦意の施を致して 神を遷して二天を典(つかさど)れり

    自ら世の最厚に帰す 世世願くは奉尊せん」

 

佛、天帝及諸大衆に告げたまはく「我れ宿命の所行を説くを聴け。昔我前世、波羅奈國に於いて、大道の邊に近く圊厠を安施するに國中の人民の輕安を得る者、義を感ぜざる莫し。此の功徳によって所生は淨潔、累劫道を行じて、穢染に汚されず。功祚は大ひに備へり。自ら成佛を致し、金體光耀、塵水不著、食自ら消化し、便利之患無し。是に於いて世尊、偈頌を以て曰く、

    「穢を忍びて福事を修し 人の汚さざる所となる

    厠を造りて便利を施し 煩重するに輕安を得さしむ

    此の徳、貢高を除き 因りて生死の縁を解き

    進みて佛道に登り 空淨巍巍たる尊となれり」

佛、天帝に告げたまはく「九十六種の道に佛道は最尊なり。九十六種の法に佛法は最眞なり。九十六種の僧に佛僧は最正なり。所以者何。如來は阿僧祇劫より發願誠諦して殞命積

徳し誓ひて衆生の為に、國財妻子頭目血肉、以って布施し、戀愛之心なし。心は虚空の如くして覆はざる所無し。六度四等(四無量心)の衆善は普く備はり、徳慧成滿して乃ち佛と為ることを得。身色紫金・相好無比・去來現在照達せざるなし。三界の尊天も能く及ぶ者なし。言は信に徳は重にして天地を震動す。若し衆生有りて一たび敬心を発して如來に向ふ者は、大千世界之珍寶を獲るに勝る矣。三十七品・十二部經を説きて、罪福を分別する言皆至誠なり。三乘教を開き各の奉行することを得。聞者は歡喜し作沙門に作ることを樂ふ。佛を信じ法を行ずる者は、志清高なるを尚ぶ。衆僧之中に四雙八輩(四向四果)十二賢者あり。世の貪諍を捨て世を導き福を開き天人の路を通ず。衆僧の由よる所なり。是を最尊無上之道と為す。諸佛・菩薩・縁覺・應眞、皆な中より出て一切を教化し群生を度脱す。佛是を説く時、天帝釋衆、皆な無上正眞道の意を発して、計かぞふるべからざるの人、法眼淨を得たり。是に於いて阿難、長跪叉手して佛に白して言さく「此を何の經と名ずけ云何んが奉持すべきや」。佛、阿難に告げたまはく「是の經の名は曰く『諸徳福田』。常に之を奉持せよ。明かに經道を宣伝べて、缺減せしむること勿れ。佛、經を説き已り、天帝釋衆一切衆會、歡喜せざるなし。作禮して去る。佛説諸徳福田經」

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