「問。菩薩名を稱するに何が故に脱苦と苦を脱せざるとある耶。
答。至心なれば則ち脱す、不至心なるが故に脱せず。
問。菩薩自ら應に之を救ふべきに何ぞ須らく至心ならんや。
答。
・至心を以ての故に則ち罪滅す。菩薩は方に之に應ずるを得る耳。故に須く至心なるべし。
・二は罪輕ければ則ち苦を脱す。罪重ければ則ち苦を脱せず。
・三は習因に厚薄あり。薄は苦を脱し、厚は苦を脱せず。
・四は業に定・不定あり。定は脱せず、不定は脱す。
問。不定者は稱名すべきも定者は應に稱名を用ふるべからずや。
答。今無益なりと雖も後世の因と作る也。
・五は密益と顯益とあり。則ち苦を脱する者は謂く顯益なり。則ち脱せざる者は謂く密益なり。
・六は利益ある者は苦を脱し、無利益なる者は脱せしめざる也。
(吉蔵「法華義疏卷第十二」)