第二愚童持齋心
夫れ禿(かむろ)なる樹、定にで禿なるにあらず。春にえば則ち榮え花さく。増なれる氷何ぞ必しも氷ならん。夏にはいれば則ちとけ注ぐ。穀牙濕を待ち、卉菓(きか)時に結ぶ。戴淵たいえん心を改め周處忠孝あつしがごときにいたっては、礦石忽に珍となり、魚珠夜を照らす。物に定まれる性なし。人何ぞ常に惡ならん。縁に遇うときは則ち庸愚(ようぐ)も大道を庶幾(こいねがい)。教に順ずるときは則ち凡夫も賢聖に齊しからんと思う。羝羊自性なし。愚童もまた必しも愚にあらず。
是故に本覺内に薫じ、佛光外に射して欻爾(こつじ・・たちまちに)に節食し、數數(さくさく)に檀那す(ときどき布施する)。牙種疱葉之善相續して生じ、敷花結實の心探湯不及なり(善行をみては及ばざるを悔い、悪行をみてはすみやかにすてさること思う)。
五常漸く習い、十善鑚仰す。五常といっぱ仁義禮智信なり。仁をば不殺等に名ずく。己を恕って物に布施す。義は則ち不盜等なり。積んで能く施す。禮は曰く不邪等なり。
五禮序あり(周礼(春官、大宗伯)五つの礼。吉礼(祭祀)・凶礼(喪葬)・賓礼(
賓客)・軍礼(軍旅)・嘉礼(冠婚)の五つ)。智は是れ不亂等なり。審に決し能く理(こと)わる。信は不妄の稱なり。言って必ず行う。能く此の五を行うときは則ち四序玉燭し五才金鏡(きんけい)なり(四季調和し、木火土金水の五行も調和する)。國に之を行えば則ち天下昇平なり。家に之を行えば則ち路に遺たるを拾わず。名を擧げ先を顯すの妙術、國を保ち身を安んずるの美風なり。外には五常と號し、内には五戒と名ずく。名異にして義融じ、行同じうして益別なり。斷惡修善の基漸(きぜん・・きほん)脱苦得樂之濫觴なり。故に經(起世経)に云く。「下品の五戒は贍部洲に生じ、中品の五戒は勝身國、上品は牛貨、上上及無我とは欝單越(うったんおつ)なり」と。廣く説之。
四洲の人民に各の王者あり。王に五種あり。粟散と四輪王となり。此五種王は必ず十善に乗じて來御す。故に仁王經に云く。「十善の菩薩大心を發して、長く三界の苦輪海を別る。中下品の善は粟散王、上品の十善は鐵輪王、習種は銅輪にして二天下なり(十住の菩薩は銅輪王として二天下を治める)。銀輪は三天、性種性なり(十行の菩薩は銀輪王として三天下を治め、)。道種堅徳の轉輪王は七寶の金輪にして四天下なり(聖道の種を植える十回向位の転輪王は七寶を具し四天下を治める)。
今此文を案ずるに王者及び民は必ず五戒十善を行じて人中に生じることを得。未だ此を棄てて能く得るものはあらじ。前生に善を修して今生に人を得。此生に修せずんば還って三途に墜ちなん。春の種を不さずんば秋の實何でか獲ん。善男善仰がずんばあるべからず。仰がずんばあるべからず。十惡十善の報、聖王凡王の治。つぶさには十住心論の如し。
頌にいわく
、
愚童少しく貪瞋毒を解して
欻爾(こつじ・・やがて)持齋の美を思惟し、
種子内に熏じて善心を發す。
牙疱相續して英軌を尚ぶ(め、ふくらみが相次いで生じてよいおきてをたっとぶ)。
五常十善漸く修習すれば
粟散輪王も其旨を仰ぐ。
問う、此住心は亦た何の經によってか説くや。
答う、大日經。彼經に何んが説く。經云。「愚童凡夫或時に一法の想生ずることあり。所謂ゆる持齋なり。彼れ此少分を思惟して歡喜を發起し、數數に修習す。祕密主。是初種子善業發生するなり。復た此をもって因として六齋日において父母男女親戚施與する、是第二の牙種なり。復た此施をもって非親識者に授與する、是第三の疱種なり。復た此施をもって器量高徳者にあたうる是第四の葉種なり。復たこの施をもって歡喜して伎樂人等に授與し、及び尊宿に獻ずる、是第五の敷花なり。復た此施をもって親愛心を發し、しかもこれを供養す、是れ第六の成果なり。
夫れ禿(かむろ)なる樹、定にで禿なるにあらず。春にえば則ち榮え花さく。増なれる氷何ぞ必しも氷ならん。夏にはいれば則ちとけ注ぐ。穀牙濕を待ち、卉菓(きか)時に結ぶ。戴淵たいえん心を改め周處忠孝あつしがごときにいたっては、礦石忽に珍となり、魚珠夜を照らす。物に定まれる性なし。人何ぞ常に惡ならん。縁に遇うときは則ち庸愚(ようぐ)も大道を庶幾(こいねがい)。教に順ずるときは則ち凡夫も賢聖に齊しからんと思う。羝羊自性なし。愚童もまた必しも愚にあらず。
是故に本覺内に薫じ、佛光外に射して欻爾(こつじ・・たちまちに)に節食し、數數(さくさく)に檀那す(ときどき布施する)。牙種疱葉之善相續して生じ、敷花結實の心探湯不及なり(善行をみては及ばざるを悔い、悪行をみてはすみやかにすてさること思う)。
五常漸く習い、十善鑚仰す。五常といっぱ仁義禮智信なり。仁をば不殺等に名ずく。己を恕って物に布施す。義は則ち不盜等なり。積んで能く施す。禮は曰く不邪等なり。
五禮序あり(周礼(春官、大宗伯)五つの礼。吉礼(祭祀)・凶礼(喪葬)・賓礼(
賓客)・軍礼(軍旅)・嘉礼(冠婚)の五つ)。智は是れ不亂等なり。審に決し能く理(こと)わる。信は不妄の稱なり。言って必ず行う。能く此の五を行うときは則ち四序玉燭し五才金鏡(きんけい)なり(四季調和し、木火土金水の五行も調和する)。國に之を行えば則ち天下昇平なり。家に之を行えば則ち路に遺たるを拾わず。名を擧げ先を顯すの妙術、國を保ち身を安んずるの美風なり。外には五常と號し、内には五戒と名ずく。名異にして義融じ、行同じうして益別なり。斷惡修善の基漸(きぜん・・きほん)脱苦得樂之濫觴なり。故に經(起世経)に云く。「下品の五戒は贍部洲に生じ、中品の五戒は勝身國、上品は牛貨、上上及無我とは欝單越(うったんおつ)なり」と。廣く説之。
四洲の人民に各の王者あり。王に五種あり。粟散と四輪王となり。此五種王は必ず十善に乗じて來御す。故に仁王經に云く。「十善の菩薩大心を發して、長く三界の苦輪海を別る。中下品の善は粟散王、上品の十善は鐵輪王、習種は銅輪にして二天下なり(十住の菩薩は銅輪王として二天下を治める)。銀輪は三天、性種性なり(十行の菩薩は銀輪王として三天下を治め、)。道種堅徳の轉輪王は七寶の金輪にして四天下なり(聖道の種を植える十回向位の転輪王は七寶を具し四天下を治める)。
今此文を案ずるに王者及び民は必ず五戒十善を行じて人中に生じることを得。未だ此を棄てて能く得るものはあらじ。前生に善を修して今生に人を得。此生に修せずんば還って三途に墜ちなん。春の種を不さずんば秋の實何でか獲ん。善男善仰がずんばあるべからず。仰がずんばあるべからず。十惡十善の報、聖王凡王の治。つぶさには十住心論の如し。
頌にいわく
、
愚童少しく貪瞋毒を解して
欻爾(こつじ・・やがて)持齋の美を思惟し、
種子内に熏じて善心を發す。
牙疱相續して英軌を尚ぶ(め、ふくらみが相次いで生じてよいおきてをたっとぶ)。
五常十善漸く修習すれば
粟散輪王も其旨を仰ぐ。
問う、此住心は亦た何の經によってか説くや。
答う、大日經。彼經に何んが説く。經云。「愚童凡夫或時に一法の想生ずることあり。所謂ゆる持齋なり。彼れ此少分を思惟して歡喜を發起し、數數に修習す。祕密主。是初種子善業發生するなり。復た此をもって因として六齋日において父母男女親戚施與する、是第二の牙種なり。復た此施をもって非親識者に授與する、是第三の疱種なり。復た此施をもって器量高徳者にあたうる是第四の葉種なり。復たこの施をもって歡喜して伎樂人等に授與し、及び尊宿に獻ずる、是第五の敷花なり。復た此施をもって親愛心を發し、しかもこれを供養す、是れ第六の成果なり。