新義真言宗の祖、興教大師覚鑁上人 (1095~1143)は康治2年12月12日入滅されました。
無常観と浄土教が広がる世に、大日如来を中心とするマンダラ思想を説き高野山金剛峯寺の座主でしたが、真言宗総本山金剛峯寺の内紛を憂い、金剛峯寺内の「密厳院」において3余年に及ぶ無言行の後、密厳院発露懺悔文を書き上げました。やがて高野山を追われ、根来(ねごろ)にて独自の教義を展開しまた。これを新義真言宗と呼びます。
古義真言宗の、大日如来が自ら説法するとする本地身説法に対して、大日如来が説法のため加持身となって教えを説くとする加持身説法 を説くことが教義上の違いとされます。また弘法大師は「即身成仏義」において、手に印を結び、口に真言を唱え、心に仏を念ずることで、宇宙と感応しあう 時、速やかに悟りの世界が現れてくる(「三密加持すれば、即疾に顕わる」)と説かれましたが、覚鑁上人は衆生の機根に応じて一密成仏(
三密のうち一つが佛と一体化するだけでよいとするもの)・順次成仏を説き、鎌倉新仏教に大きな影響を与えました。
高野山奥の院への途中参道に密厳堂があり覚鑁上人をお祀りしています。私も求聞持行の前などここをお参りしました。いくといつもだれかがお参りした跡があります。
覚鑁上人の密厳院発露懺悔文です。じぶんも昔高野山真別所で毎夕これを読誦しました。
豊山派の総本山長谷寺でも毎朝一山の僧侶の方々が本堂の舞台に勢ぞろいして麓にむかってこの文句を大声で唱和されています。
密厳院発露懺悔文
「我等懺悔す 無始よりこのかた妄想に纏はれて衆罪を造る
身口意の業 常に顛倒して 誤って無量不善の業を犯す
珍財を慳悋して施を行ぜず 意に任せて放逸にして戒を持せず
しばしば忿恚を起して忍辱ならず 多く懈怠を生じて精進ならず
心意散乱して坐禅せず 実相に違背して慧を修せず
恒に是の如くの六度の行を退して 還って流転三途の業を作る
名を比丘に仮って伽藍を穢し 形を沙門に比して信施を受く
受くる所の戒品は忘れて持せず 學すべき律義は廃して好むこと無し
諸佛の厭悪したもう所を慚(は)じず 菩薩の苦悩する所を畏れず
遊戯笑語して徒らに年を送り 諂誑詐欺して空しく日を過ぐ
善友に随がはずして癡人に親しみ 善根を勤めずして悪行を営む
利養を得んと欲して自徳を讃じ 名聞を欲して他愚を誹る
勝徳の者を見ては嫉妬を懐き 卑賤の人を見ては驕慢を生じ
富饒の所を聞いては希望を起し 貧乏の類を聞いては常に厭離す
故に殺し誤って殺す有情の命 顕はに取り密かに盗る他人の財
触れても触れずしても非梵行を犯す 口四意三互に相続し
佛を観念する時は攀縁(はんねん)を発し 経を読誦する時は文句を錯る
若し善根を作せば有相に住し 還って輪廻生死の因と成る
行住坐臥知ると知らざると犯す所の是の如くの無量の罪 今三宝に對して皆発露し奉る
慈悲哀愍して消除せしめ賜え 乃至法界の諸の衆生 三業所作の此の如くの罪
我皆 相代って尽く懺悔し奉る 更に亦 その報いを受けしめざれ」
無常観と浄土教が広がる世に、大日如来を中心とするマンダラ思想を説き高野山金剛峯寺の座主でしたが、真言宗総本山金剛峯寺の内紛を憂い、金剛峯寺内の「密厳院」において3余年に及ぶ無言行の後、密厳院発露懺悔文を書き上げました。やがて高野山を追われ、根来(ねごろ)にて独自の教義を展開しまた。これを新義真言宗と呼びます。
古義真言宗の、大日如来が自ら説法するとする本地身説法に対して、大日如来が説法のため加持身となって教えを説くとする加持身説法 を説くことが教義上の違いとされます。また弘法大師は「即身成仏義」において、手に印を結び、口に真言を唱え、心に仏を念ずることで、宇宙と感応しあう 時、速やかに悟りの世界が現れてくる(「三密加持すれば、即疾に顕わる」)と説かれましたが、覚鑁上人は衆生の機根に応じて一密成仏(
三密のうち一つが佛と一体化するだけでよいとするもの)・順次成仏を説き、鎌倉新仏教に大きな影響を与えました。
高野山奥の院への途中参道に密厳堂があり覚鑁上人をお祀りしています。私も求聞持行の前などここをお参りしました。いくといつもだれかがお参りした跡があります。
覚鑁上人の密厳院発露懺悔文です。じぶんも昔高野山真別所で毎夕これを読誦しました。
豊山派の総本山長谷寺でも毎朝一山の僧侶の方々が本堂の舞台に勢ぞろいして麓にむかってこの文句を大声で唱和されています。
密厳院発露懺悔文
「我等懺悔す 無始よりこのかた妄想に纏はれて衆罪を造る
身口意の業 常に顛倒して 誤って無量不善の業を犯す
珍財を慳悋して施を行ぜず 意に任せて放逸にして戒を持せず
しばしば忿恚を起して忍辱ならず 多く懈怠を生じて精進ならず
心意散乱して坐禅せず 実相に違背して慧を修せず
恒に是の如くの六度の行を退して 還って流転三途の業を作る
名を比丘に仮って伽藍を穢し 形を沙門に比して信施を受く
受くる所の戒品は忘れて持せず 學すべき律義は廃して好むこと無し
諸佛の厭悪したもう所を慚(は)じず 菩薩の苦悩する所を畏れず
遊戯笑語して徒らに年を送り 諂誑詐欺して空しく日を過ぐ
善友に随がはずして癡人に親しみ 善根を勤めずして悪行を営む
利養を得んと欲して自徳を讃じ 名聞を欲して他愚を誹る
勝徳の者を見ては嫉妬を懐き 卑賤の人を見ては驕慢を生じ
富饒の所を聞いては希望を起し 貧乏の類を聞いては常に厭離す
故に殺し誤って殺す有情の命 顕はに取り密かに盗る他人の財
触れても触れずしても非梵行を犯す 口四意三互に相続し
佛を観念する時は攀縁(はんねん)を発し 経を読誦する時は文句を錯る
若し善根を作せば有相に住し 還って輪廻生死の因と成る
行住坐臥知ると知らざると犯す所の是の如くの無量の罪 今三宝に對して皆発露し奉る
慈悲哀愍して消除せしめ賜え 乃至法界の諸の衆生 三業所作の此の如くの罪
我皆 相代って尽く懺悔し奉る 更に亦 その報いを受けしめざれ」