福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・7/27

2024-11-17 | 諸経

観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・7/27

七、涅槃普門勝劣の事

此の品(普門品)の勝たる事をいはば、昔大唐に岐州といふ國(南北朝時代から唐代にかけて、現在の陝西省宝鶏市一帯に設置されていた)に二人の僧あり。一人は常に涅槃経を信じ読むなり。又一人は普門品を信じて読むなり。此の二人ともに死して焰魔王廳にをもむくなり。而るに閻魔王は銀の高座をかざり上に寶の天蓋をつり、是れは涅槃経を讀みたる僧を請せらるなり。又金の高座を厳り上に七寶の天蓋をつり是は普門品を讀みたる僧を禮し玉ふなり。其時冥官一人進出て大王に問申す様は、涅槃經は四十巻の大部なり、普門品はわずか一品なり。況や又持經の僧も涅槃経を讀みたる僧は戒行勝れたり。普門品を讀む僧は戒行劣なり。而も何ぞ普門品讀たる僧人をば銀よりも勝れたる金の高座に請じて而も禮し給ふやといへり。大王宣はく、涅槃経は大部の経なりといへども其の徳をとるなり。普門品は一品なりといへどもそも功徳勝るるなり。

「爾時無盡意菩薩即從座起。偏袒右肩合掌向佛而作是言」是より入文なり。この品に二段あり。初めは問答次には聞品の得益なり。問答に付ては両重の問答あり。文の初めより「福徳之利」までは初めの問答なり。次に「無盡意菩薩白佛言」より下は後ろの問答なり。初問に二あり。「爾時」より「而作是言」迄は經家の語なり。それに取て「爾時」といふは妙音品(妙法蓮華経妙音品第二十四で我等も妙音菩薩であると説いた)を説畢って今此の普門品を説き玉ふ時のことなり。無盡意菩薩と云は東方不瞬世界の教主普賢如来の補處の菩薩なり。「偏袒右肩」といふは甫に云く外国には肩を袒はすを以て敬とす。右を露すは犱拳を示すを便と為す。弟子師に事(つか)へ・役の義を表す故に袒を以て恭と為すなり。此の方には袒を以て恭と慢と為すといへり。天竺には貴人などの前には右肩をぬぐを敬とするなり。其の故は、右は用を作す手なり。何事にもあれ用あらば召仕んと云心なり。唐土日本には人前にて大肩ぬぎするはいましむるなり。さて實義の時は右は智慧、左は定なり。智慧といふは説法の實義を沙汰し、徳を顕す義なり。禅定はいかにも密かなる義なり。故に右を智慧の方にあらはし左の定の方を陰とするなり。仍って此の無盡意菩薩東方不瞬世界より霊山に来て釈尊説法の会座に列なりて法華経を聴聞し玉ふ。佛妙音品を説き畢りて此の普門品を説き玉ふとき、八万の大衆の中より進み出て右の肩を顕し合掌して観音の因位をたずね申さる、餘の羅漢達之を見玉ふ。そのをもむき経文にのせられたるが經家のことばとはいふなり。其れに付きて多くの菩薩の中にとりわけ無盡意菩薩の進み出て問玉ふ事を疏に云、無盡とは境なり。意とは智なりといへり(妙法蓮華經文句 ・智顗説・釋觀世音菩薩普門品「淨名云。夫無盡者。非盡非無盡故名無盡。總三經。用三觀三智。釋無盡也。意者智也。無盡者境也。智契於境。單從於境應言無盡。單從於智應言於意。境智合稱故言無盡意也」)無盡意菩薩といふは境智冥合の菩薩といふことなり。さて観音といっぱ慈悲の菩薩なり。よって境智冥合すればかならず任運慈悲があらはるるなり。故に無盡意菩薩観音の因縁を問ひあかし玉ふ事は境智が冥合して自然と慈悲のあらはるる姿なり。

「世尊観世音菩薩以何因縁名為観世音」此の文は無盡意菩薩の正しく問玉ふことばなり。物を問ふに三様あり、一には本より知らず問ふなり。二つには知れども知らざる躰をしてわざと問ふことあり。三つには、我は知れども知らざる人に知らしめんために問ふ事あり。無盡意も等覚の菩薩なれば観音の因縁をよく知り玉へども一會の衆に悉く観音の由来をしらしめんがために対告衆となりて問玉ふとき、何の因縁を以て観世音と名くるやと問玉ふなり。されば薬王菩薩は雪山の薬を以て衆生に與へ玉ふ故によく王菩薩と名く。又妙音菩薩も浄華宿王智佛の國土(妙音菩薩品第二十四に説く、浄光荘厳で説法されている佛。)より此の娑婆世界に来たり玉ふ時、八万四千の妓楽を奏するゆえに此の楽の因縁に依りてとひ玉ふなり。総じて一切のものには名義躰の三あるなり。しかるに十二とて躰をも問はず義をもとはずして但名をとひ玉ふぞといふに唯識論には名は自性を詮すといへり(「名詮自性」とは名はそのものの本質を自ずから表すということ。成唯識論卷第二に「然依語聲分位差別而假建立名句文身。名詮自性句詮差別。文即是字爲二所依。此三離聲雖無別體。而假實異亦不即聲。由此法詞二無礙解境有差別」)名をいへば即ち千躰も義もあらはるるなり。されば名といふ字を夕といふ字の下に口を書くなり。心は譬へば夜人の来たるを誰ぞと問へば名を答ふ。その時やがてその人の躰がしれるなり。その如く名をいへばやがて躰があらはるるゆへなり。故に観音の名の因縁を問玉ふなり。

「佛告無盡意菩薩。善男子。若有無量百千萬億衆生受諸苦惱。聞是觀世音菩薩。一心稱名。觀世音菩薩即時觀其音聲皆得解脱。」此の文は佛の答なり。此に三あり。一には総荅、二には別荅、三には勧持名荅なり。初めに総荅とは「佛告」より「皆得解脱」までなり。「受諸苦惱」といふは四苦八苦等常の苦悩なり。地獄餓鬼畜生修羅

の苦を受くる時も一心に南無観世音と唱れば解脱すべきなりと云々。

「若有持是觀世音菩薩名者。設入大火火不能燒。由是菩薩威神力故。」此の文は別答なり。此れより下に七難(火難・水難・羅刹難 ・刀杖難・鬼難・枷鎖難・怨賊難)三毒(貪瞋痴)をはなれて二求両願(福徳・智慧の男子と端正有相の女子を得ること)を満足する相を説き玉ふなり。先ず七難といふは一つには此の一段の文は火の難なり。文の如し。両巻の疏に見へたり。

 

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