39、大師御入定・・大師六十二歳、(承和二年、八三五)・・龍光院(和歌山県伊都郡高野町高野山147)大師のご住房といわれ、山内最古の寺院。古くは「中院」といわれ、ここで大師が入定されたといわれます。高野山中興明算上人のときに当寺の池から如意宝珠を抱いた龍が出現したので「龍光院」としたといわれます。
・・・高野山奥の院、大師は承和二年三月二一日に入定され、四九日間諸弟子がお守りし、五十日目夕刻、高弟らによって担がれ奥の院に祀られました。、そして後に宝珠造の御廟ができた。
『弘法大師行状絵巻第十巻』には「承和二年三月二一日寅の刻に、宴座して秘印を結び、恬然として禅定に入りたまふ。その間、お弟子達、弥勒の宝号を唱う。只、御目の閉ずるを以て入定の期とす。偏に生身の如し。春秋六十二、夏臘四十一まり。則ち、御庵室より奥の院へ移し奉るに、実恵、真雅、真如、真済、真紹、真稔然、御輿を書かせたたまふ。世間の法に準えて、七七毎にお弟子達参りて、拝みまいらせられければ、顔色おとろえず、鬚髪ながくならせ給いけり。後に石壇を畳みてわずかに人の出入りするほどにせり。その上に五輪の塔を立て、梵本の陀羅尼を納め、また更に宝塔を立て、仏舎利をぞ安置せられける。・・」
・・・高野山奥の院、大師は承和二年三月二一日に入定され、四九日間諸弟子がお守りし、五十日目夕刻、高弟らによって担がれ奥の院に祀られました。、そして後に宝珠造の御廟ができた。
『弘法大師行状絵巻第十巻』には「承和二年三月二一日寅の刻に、宴座して秘印を結び、恬然として禅定に入りたまふ。その間、お弟子達、弥勒の宝号を唱う。只、御目の閉ずるを以て入定の期とす。偏に生身の如し。春秋六十二、夏臘四十一まり。則ち、御庵室より奥の院へ移し奉るに、実恵、真雅、真如、真済、真紹、真稔然、御輿を書かせたたまふ。世間の法に準えて、七七毎にお弟子達参りて、拝みまいらせられければ、顔色おとろえず、鬚髪ながくならせ給いけり。後に石壇を畳みてわずかに人の出入りするほどにせり。その上に五輪の塔を立て、梵本の陀羅尼を納め、また更に宝塔を立て、仏舎利をぞ安置せられける。・・」