「一生を終えて後に残るものは我々が集めたものではなくて、我々が与えたものである。」(ジェラール・シャンドリー)
我々は生きているうちはともすればいろいろなものを集めたがるものです。財産はその第一です。マスコミでもお金の話ばかりです。知らず知らずのうちに財産を持っている人、収入の多い人が偉くて少ない人は偉くない人という分類をしてしまいそうです。自分自身もお金に対する執着心が年を取るにつれて増大している気がします。しかし一方訃報欄を見るとき、資産家が死んでも哀悼の念は起きません。それより先日の千日回峰行者酒井雄哉師の訃報の方がはるかに哀悼の念にかられました。身近な人の場合も、やはりお世話になった方には強い哀悼の念がいつまでも続くものです。幸田露伴も徳について書いていて、惜徳(徳を自分のために無駄使いしない)分徳(徳を分け与える)植徳(徳をあらたに植える)といい、この「植徳」が大切といっています(努力論)。
我々は生きているうちはともすればいろいろなものを集めたがるものです。財産はその第一です。マスコミでもお金の話ばかりです。知らず知らずのうちに財産を持っている人、収入の多い人が偉くて少ない人は偉くない人という分類をしてしまいそうです。自分自身もお金に対する執着心が年を取るにつれて増大している気がします。しかし一方訃報欄を見るとき、資産家が死んでも哀悼の念は起きません。それより先日の千日回峰行者酒井雄哉師の訃報の方がはるかに哀悼の念にかられました。身近な人の場合も、やはりお世話になった方には強い哀悼の念がいつまでも続くものです。幸田露伴も徳について書いていて、惜徳(徳を自分のために無駄使いしない)分徳(徳を分け与える)植徳(徳をあらたに植える)といい、この「植徳」が大切といっています(努力論)。