福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

西普一郎先生の語録から・・2

2014-10-12 | 法話
・「立派な人と成るか否かは、その人の精神の置き所によるのである。欲望・利益・名誉などに寄りかかっているような人は立派な精神はおこらないのである。」(今回ノーベル平和賞を受賞したインドの児童労働根絶の運動家カイラスさん等といわゆる世の大金持ちと言われる人たちを比べると此の感を深くします。)
・「修養の要点は隙間なく油断なく行うことである。「『直』をもって養ふ」という孟子の言葉があるがこのようにこころがけて不断に行えば精神が統一されて旺盛な意欲が出てくる。」(注、「『直』をもって養ふ」という言葉は「孟子・公孫丑」にある「敢えて問う、何をか浩然の気と謂う。曰く、言い難し。その気たるや、至大至剛、直を以て養いて害なうことなければ、則ち天地の間に塞ちる(みちる)。その気たるや、義と道とに配す。是なければ餒うるなり。是れ義に集まって生ずる所の者にして、義襲いてこれを取れるに非ざるなり。行い心に慊ざる(こころよからざる)あれば、則ち餒う。(孟子・公孫丑)」に依っています。意味は、公孫丑が孟子に修行の方法を尋ねると、孟子は「我善く吾が浩然の気を養う」と答えるのだが、さらに「では浩然の気というのは一体どのようなものを指すのですか」と重ねて質問されると、孟子は次のように答えます。
「これを言葉に出して説明することは、誠に困難である。しかしその本体を言うと、分量は至りて広大(至大)で限りなく、又至りて堅固(至剛)であって屈し撓(たわ)ますことの出来ぬものである。そしてこれを養成するには、平生自ら反省してその心常に直くして義理に合し、その直き義理を以って養成して傷つける所が無ければその至りて広大に、至りて堅固なものは自然に拡大して、天地の間にも充ち塞(ふさ)がるに至る。・・」と答えています。)
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