なぜ若者がイスラム国へ行こうとするかと問われた、日本の仲介者はマスコミに 「簡単に言ってしまえば、世界がおかしいから。イスラムの世界もおかしいし、世界全体がおかしい。」からと答えています。この仲介者によると、「イスラームでは本来、個人は組織を作らず、イスラーム法という共通のコードに従って個人同士がつながっていく。つまり、イスラームであれば、国籍にかかわらず、同じ価値観によって信徒はつながっていく。主権国家や民主主義、近代といった、欧米諸国が社会の基盤とする概念は意味を持たなくなってきているため」としています。
しかしこういう考えの根底には「外の世界によって自分の生き方を決めてもらいたい」という幼児性・極端な甘えの構造があります。歴史上、自分の外の世界が個人をみちびいて幸せにするなどと云うなどという事象が起こったことはありません。集団は個人の業の肩代わりはできないからです。個人は個として連綿とした尚且つ独立した業を背負って生まれてきているからです。運命は個人ごとに違わざるを得ないのです。これを捨象して現世だけ集団に融けこめば自分が救われる、というのは幼児の考えです。お釈迦様も「自灯明・法燈明」とおしゃっています。自分は自分で救わねばならないのです。オウムの時など社会を震撼させる犯罪のときは、その場その場で尤もらしい社会批判的な理屈がいわれますが、要は人間は「業縁」につかまればどこまでも下落すると言うだけの事です。この「業縁」にいかにしてつかまらないようにするか、つかまってもいかに早く逃げ出せるか、ということこそが大切なのです。