高野山とご縁の深い、丹生都比売神社についてご紹介します。
今回の高野山結縁灌頂で壇上伽藍の参拝をしましたが、その折、金堂に向かって左奥にひっそりと佇む神社のことを覚えておられると思います。この水彩画は、昨年春のお参り時に何人かの方と参拝に訪れた丹生都比売神社(水彩画)ですが、壇上伽藍にお祀りされている丹生都比売大神と高野御子大神が鎮座されている元のお社です。
この神社は、昔は高野山参道の表参道であった町石道の中間地点にあり、高野山詣ではまずこの神社に参詣してから参ることが慣習であったとのことです。
すでに御存じのことかとおもいますが、弘法大師がこの高野山を開かれるときに黒と白の二匹の犬を連れた狩人が現れて高野山へ導いたといわれています。
この狩人は、高野御子大神(狩場明神)が化身されたお姿で、丹生都比売大神(丹生明神)の御子です。丹生都比売大神は、天照大御神の御妹神で稚日女命と伝えられています。弘法大師は、この丹生都比売大神よりその御神領である高野山を借り受け、高野山を開いたとのことです。高野山とは深いつながりをもった大神であり、その大神が祀られているのが丹生都比売神社(天野大社)です。
この地は、紀ノ川から山地へ入った標高450メートルほどの盆地、天野の里(白州正子さんの「隠れ里」に紹介されています。)で、丹生都比売神社は「天野大社」とも云われています。創建は凡そ1700年前で、全国の丹生神社180余社の総本社です。ちなみに、この建物は重要文化財で、宝物の多くは国宝(国立博物館で展示されている)です。
この高野山とご縁の深い丹生都比売神社を、一度訪ねられるのもまた宜しいのではないでしょうか。
今回の高野山結縁灌頂で壇上伽藍の参拝をしましたが、その折、金堂に向かって左奥にひっそりと佇む神社のことを覚えておられると思います。この水彩画は、昨年春のお参り時に何人かの方と参拝に訪れた丹生都比売神社(水彩画)ですが、壇上伽藍にお祀りされている丹生都比売大神と高野御子大神が鎮座されている元のお社です。
この神社は、昔は高野山参道の表参道であった町石道の中間地点にあり、高野山詣ではまずこの神社に参詣してから参ることが慣習であったとのことです。
すでに御存じのことかとおもいますが、弘法大師がこの高野山を開かれるときに黒と白の二匹の犬を連れた狩人が現れて高野山へ導いたといわれています。
この狩人は、高野御子大神(狩場明神)が化身されたお姿で、丹生都比売大神(丹生明神)の御子です。丹生都比売大神は、天照大御神の御妹神で稚日女命と伝えられています。弘法大師は、この丹生都比売大神よりその御神領である高野山を借り受け、高野山を開いたとのことです。高野山とは深いつながりをもった大神であり、その大神が祀られているのが丹生都比売神社(天野大社)です。
この地は、紀ノ川から山地へ入った標高450メートルほどの盆地、天野の里(白州正子さんの「隠れ里」に紹介されています。)で、丹生都比売神社は「天野大社」とも云われています。創建は凡そ1700年前で、全国の丹生神社180余社の総本社です。ちなみに、この建物は重要文化財で、宝物の多くは国宝(国立博物館で展示されている)です。
この高野山とご縁の深い丹生都比売神社を、一度訪ねられるのもまた宜しいのではないでしょうか。