福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

五輪九字明祕密釋一卷(全)1/2

2023-05-30 | 諸経

 

五輪九字明祕密釋一卷      亦は頓悟往生祕觀と名く。(興教大師覚鑁上人

(ここで「五輪」とは「地あ」「水ば」「火ら」「風か」「空きゃ」(あばらかきゃ、は大日如来の御真言)を指し、「九字」とは阿弥陀如来の御真言「おん・あ・みり・た・てい・せい・か・ら・うん」を指し、大日弥陀一体論です。この書は興教大師最晩年の御著書で自らの成仏体験の書ともされています。構成は、序文、正宗分十門、跋文より成ります。

・序文には毘盧遮那如来と阿弥陀如来は一体で極楽と密厳浄土も同處と説き、

・第一門(擇法權實同趣門)では、総説と十住心と顕密差別を書き、

・第二門(正入祕密眞言門)では体の五臓が即五如来であるから我が身即仏身とし、大師の成仏された史実を挙げ自らも成仏したと宣言。又最極深秘の曼荼羅を図示(ここでは省略)し因果を逆回転して因人たる興教大師が諸仏菩薩を眷属とする旨を暗示。

・第三門(所獲功徳無比門)には真言行者の得る功徳は最勝であると示し、

・第四門(所作自成密行門)では平生の行為が直に秘密行であると説き、

・第五門(纔修一行成多門)では阿弥陀一尊法のみでも密教の広大な供養法を修する功徳を得ると説き、

・第六門(上品上生現證門)では極楽往生した人の例示として、韋提希夫人、月蓋長者、龍樹菩薩、護法論師、戒賢、提婆、南嶽、智者、賢首、清涼、實慧、眞然を列挙。

・第七門(覺知魔事對治門)には魔を退治する方法を説き、

・第八門(即身成佛眞行門)には、口密のみで他の二密を具せずとも成仏すると説き、

・第九門(所化機人差別門)では、現身往生、順次往生の二機根を説き、

・第十門(發起問答決疑門)では、一門即普門を説く。

・跋文では、興教大師がこの書をお書きになり、三摩地に入る時、師の教尋阿闍梨が金色世界より来影して称賛された旨記されてあります。) 

 

 

 

             

 

竊に惟みれば、二七の曼荼羅は大日帝王の内證、彌陀世尊の肝心、現生大覺の普門、順次往生の一道なり。所以者何。纔見纔聞の類は見佛聞法を此生に於いて遂げ、一觀一念の流(たぐひ)は離苦得樂を即身に果たす。況んや復た信根清淨にして慇懃に修行せば、是れ則ち大日如來の覺位、證得を反掌に取り、彌陀善逝の淨土、往生を稱名に期す。稱名の善、猶ほ如是なり。觀實の功徳、豈に虚ならん哉。顯教は釋尊の外に彌陀有り。密藏には大日即ち

彌陀極樂教主なり。當に知るべし十方淨土は皆な是れ一佛の化土、一切如來は悉く是れ大日なり。毘盧・彌陀は同體異名、極樂・密嚴は名異にして一處なり。妙觀察智の神力加持を以て大日體上に彌陀の相を現ず。凡そ如是の觀を得れば、上は諸佛菩薩賢聖を盡し、下は世天龍鬼八部に至るまで、大日如來の體に非ざる無し。五輪門を開きて自性法身を顕はし、九字門を立てて受用報身を標す。既に知んぬ、二佛平等なり。豈に終に賢聖差別あらん哉。安養・都率は同佛の遊處、密嚴・華藏は一心の蓮臺なり。惜ひ哉、古賢、難易を西土に諍ふこと。悦ばしき哉、今愚、往生を當處に得ること。重ねて祕釋を述ること意は只だ此れに在り。往生の難易、有執の然らしむる處而已。方に今、此の眞言を釈するに、略して十門と作す。

擇法權實同趣門 正入祕密眞言門

所獲功徳無比門 所作自成密行門

纔修一行成多門 上品上生現證門

覺知魔事對治門 即身成佛眞行門

所化機人差別門 發起問答決疑門

第一擇法權實同趣門とは、若し此の最上祕密不二大乘に入って修行せんと欲する者は、先ず須らく深般若心を發起すべし。然る後に當に三密行を修すべし。若し善男善女ありて纔に

此門に入れば則ち八萬四千の迷軍は率黨して歸伏し、一百六十の妄賊は引伴して馳走す。四重八重の群山は風に随て飄去し、三障五障の衆海は波に應じて消滅す。茲に由りて流轉生死の業縛は解脱を刹那に證し、沈淪苦海の因絢は破壞を須臾に成ず。之に加へて五種有爲の妄

風は厭はざるに自滅し、三部無相の覺寶は求めざるに忽に得。豈に妙ならず哉。快ならず乎。如是の深義は何經論に依りて此の心義を説くや。頌曰

    佛道權實の岐を簡擇して 劣を捨て勝を取るを勝義と名く。

    法海淺深の區を分別して 妄執を起こすこと無きを般若と称す。

    自性法身遍照尊 受用變化諸佛陀

    金剛薩埵妙徳尊 古佛龍猛菩薩等

    如是の變化佛菩薩 所説の經論に分別して説きたまふ

    若し頓悟成佛せんと欲する者は 應當に此心に依りて修行すべし。

 

問。佛道に何等の數有りて、幾くか權、幾くか實、何れか淺、何れか深なるや。頌に曰

    異生羝羊は悪に耽る基 愚童持齋は善を修する始。

    嬰童無畏は即ち天乘、 唯蘊無我は是れ聲聞、

    拔業因種は縁覺の城、 他縁大乘は法相の家、

    覺心不生は三論宗、 一道無爲は法華宮、

    極無自性は華嚴の教、 祕密莊嚴は眞言の法なり。

    前の九住心を淺權と名け、 後の一心佛を深實と號す。

    各の妙覺と称すれども實の佛に非ず。 水中の圓鏡は何ぞ實か有らんや。

    並に圓教と名くれども皆な半乘なり。 池上の玉泡は其の眞無し。

    從淺向深の次第路は 劣を捨て勝を取る相續の位なり。

 

問。前の九種の教道の佛と、後の一種の眞言證道の尊と、何の差別か有る。

頌に曰く、

    顯佛は倶に無明にして明に非ず。 密佛は迷妄を盡して餘無し。

    顯教は應化二身の説、 密教は法身一佛の説なり。

    顯教は隨他意の教を立て、 密は判じて隨自意の教と為す。

    顯教は方便權施の教、 密教は眞實理盡の教なり。

    顯教は三劫を経て成佛し、 密教は一生に佛道を証す。

    顯は一二の法身の名を説き、 密は略すれば四五、廣すれば無際なり。

    顯は一分の理祕を説くに似たり、 密は事理倶密の相を説く。

    顯は遮情門の義を説くに似たり、 密は兼ねて具さに遮表の徳を説く。

    顯教をば名けて散説門と為す。 眞言は唯だ三摩地を説く。

    顯教は因分可説の談、 眞言は果分可説の談なり。

    顯教は修行種因海、 眞言は性徳圓滿海なり。

    顯は一心眞如の本を説き、 密は三密平等の旨を説く。

    顯佛は諸の一心を説かず、 密は無量の一一心を説く。

    顯佛は無量の如を説かず、 密は重重帝網の理を説く。

    顯は理を以て衆色の本と為す、 密は色を壞せずして是れ理なりと説く。

    顯は理は定めて言語無しと説き、 密は理に無量の語有りと説く。

    顯教は法身不説法、 密教は四身同じく説法す。

    顯は四弘を説きて行願を盡し、 密は五誓を立てて行願と為す。

    顯は法身獨にして眷屬無し、 密は四種法身の伴を具す。

    顯は理智の佛は利生無し、 密は恒に三世に衆生を度す。

    顯佛は一眞如の理を証し、 密は過恒重重の理を証す。

    顯は重障を具すれば佛を見ず、 密は設ひ具すと雖も必ず佛を見る。

    顯は智觀に非ざれば成佛せず、 密は唯だ呪を誦して亦た成佛す。

    顯宗は菩薩人師の説、 密藏は四種法身の説なり。

    顯教は正像末の興廢あり、 眞言は常住不變の教なり。

    顯教は因縁所生の法、 密教は法爾自性の法なり。

    顯教は多名句を以て一を説き、 密は一字門に諸義を含む。

    顯教は他受應化の説、 密教は自受法樂の説なり。

    顯は理一事多の義を説き、 密教は倶同倶別の談なり。

    顯教は纔かに字相門を説く、 密教は字相字義の理なり。

    顯は四印を説かず、 密は説く。

顯は五相を説かず、 密は説く。

    顯は五智を説かず、 密は説く。

顯は六大淺く、 密は深廣なり。

    顯は三密に暗く、 密は明明なり。

顯は三部に暗く、 密は能く達す。

    顯は兩界を闕し、 密獨り説く。

顯は一觀成佛の義無し。

    顯は觀字成佛の門無し。

顯は結印成佛の義無し。

    顯は五百塵點の始を指し、 密は本不生の成道を談ず。

    如上の差別を勝義と名く。

第二に正入祕密眞言門とは、此に三門有り。一には身密修行門。二には語密修行門。三には意密修行門なり。今且く語密修行門に就きて亦た三門有り。一に誦持門。二に觀字門。三に解字門なり。誦持門とは懃に其の明を暗誦して、文句をして謬誤せしめざるが故に。觀字門とは明の字字の形相を観ずるが故に、鼻端に「オン」字を観じて後夜分に於いて菩提を得るが如くなるが故に。解字門とは一一の字門の如實の義門を解了するが故に。此の解了字義門中に亦た分ちて二と爲す。一には略釋各各字義門。二には總攝法界法身門なり。初は五輪

五智法身門。後は九字九品報身門なり。且く法身門とは摩訶毘盧遮那本地法身、一切如來一體速疾力三昧に入って、法界體性三昧を説きて曰く「我、本不生を覚りて、語言道を出過し、諸過、解脱を得、因縁を遠離し、空は虚空に等しと知る」。又毘盧遮那佛、降伏四魔金剛戲三昧に住して、四魔を降伏し、六趣を解脱する滿足一切智智金剛句を説きたまふ。nama@hsamantabuddh@ana@m@a@hvirah@u@mkha@m(のうまくさまんだぼだなんあくあびらうんけん)。此の五字は即ち是れ四魔降伏の眞言句也。初句は歸命三寶等の義。「あく」字は是れ行の義、本不生なり。(梵字あく字)傍の二點は是れ淨除の義なり。能く四魔を降伏し及び一切苦を除く。廣釋すること下の如し。地の萬物を生ずるが如く、a字は大地の六

度萬行を出生すること亦復た如是なり。地は堅固の義。大菩提心堅固不退にして必ず萬徳の果を結ぶ。若し眞言行者、投華を得る時に於いて、a字の心地本有菩提心の上に於いて、始覺菩提心の種を植て、永く疫病等の横墮の因を離れて、速かに無上菩提に至る。當に知るべし是の人は一字頂輪王の種姓なり。故に己身を軽んぜずして菩提行を行ずべし。此の眞言法に於いては、疑謗の逆縁は猶ほ三乘教の順行に勝れたり。何ぞ況んや投華を得るをや。何ぞ況んや修信行人をや。是れ則ちa字生長の義なり。vi字は是れ縛なり。畫は是れ無礙三昧なり。即ち不思議解脱なり。va字は水大能く煩惱塵垢を洗て心身精進して菩提の萬行不散亂なり。va字は水大不散の義なり。是れ則ち性徳圓海なり。ra字は淨六根の義。能く業煩惱の薪を焼き六根罪障を淨除し、菩提の果を證す。h@u@m(うん)字に三義あり。hauma(かうま)也。具には吽字義の如し。又三解脱門なり。風大の能く輕重の塵類を掃ふが如く、ha(か)字の風大も能く八萬の塵勞を掃って四涅槃の理を證す。ha字因縁の風止息する時、是を大涅槃安樂と名く。kha@m(けん)字は大空の義なり。周遍法界等空無礙の義なり。空大の能く萬有を障へずして生長するが如く、kha@m(けん)字の空大も淨穢國に遍して能く凡聖の依正を成ず。善無畏三藏の云く「金剛頂之肝心、大日經之眼精、最上の福田、殊勝の功徳、唯だ五字金剛眞言に在り。若し受持すること有らば、所獲の功徳は不可比量なり。永く災障及諸病苦無く、重罪を消滅し、衆徳を雲集す。又、父母所生の身に速かに大覺位を證す。若し日に一遍を誦し、或は二十一遍乃至四十九遍を誦ずる、一遍を校量するに藏經一百萬遍十二分教を転ずるが如し」と。此眞言の能讃の文なり。

(五大五輪六大法界十界輪圓一切衆生色心

實相自身成佛圖云 安立器世界

    盡上方世界    盡下方世界

     上方      下方

世界依正

          竪三世 横十方

法曼

三曼

大曼

五趣

          五輪爲五部

         五部爲五智

         五智爲五方

          空輪二點肉髻

         智拳印標金剛界。定印標胎

         藏界。是兩部不二曼荼羅也)

 

右五輪名又、頂輪面輪胸輪腹輪膝輪と名くるは、行者に依りて名を立つ。金剛界はva@m(ばん)の一字を以て變じて五輪を成じ、胎藏界はa@h2(あく)字の一字を以て五輪を現ず。或は共じてavarahakha(あばらかきゃ)を以て五輪世界を成ず。若し行者に約せば、白淨信心を以て五輪の種子と為す。白淨信心とは淨菩提心なり。是れ則ち如實知自心なり。竪には十重の淺深を顕し、横には塵數の廣多を示す。余、生國を出でし時の如きは、三毒の罪業、羝羊の妄想に任せば、三途八難に堕すべし。如實に自心の惡業を知りて、無明の父母の家を別れしより已來、更に名利心を捨てて深く無盡莊嚴恒沙の己有を信ず。是れ則ち一重の如實知自心なり。周處が三害を離れ、未生の三途を悔ひし(周處中国三国時代から西晋の武将、地元の三害の一人と言われ反省し人格を磨く)如きは、實の如く持齋節食之理を知り、時時八關を受け、倍倍成果を願ふ、然りと雖も紫宸殿は前生の舊所、五欲の妙境は眼前に厭ふ所と、實の如く自心を知る。初禪の高臺は過去の慢所、離生喜樂は久しく受けて新ならず、と。如實に嬰童の自心を知り、漸く火宅の薪を知りて聲縁の室に眠る、實の如く二乘の小滅を知りて、生空の理に味著する勿れ。他縁の廢詮は性に差別有り。覺心不生は獨空慮絶す。如實に有病空疾を知りて、三大遠路を出て芥石の盡きんことを期す。法華の本佛は猶ほ五百始を指し、華嚴の果佛は亦た不談の説に留まる。是れ分の如實知自心にして未だ滿の如實

知自心ならず。五相五智之祕密、智界理界之莊嚴、自覺本初之住心、是を自然覺と名く。又、如實知自心と名く。深義は更に問へ。一切衆生の色心の實相は無始本際より毘盧遮那平等智身なり。色とは色蘊。開きて五輪と為す。心とは識大。合して四蘊と為す。是れ則ち六大法

身法界體性智なり。五輪各の衆徳を具す、故に名けて輪と為す。體相廣大なれば稱して大の名と為す。五佛は自覺覺他の故に名けて佛と為す。五智は簡擇決斷の故に名けて智と為す。色は不離心。五大即五智。心は不離色。五智即五輪。色即是空なれば萬法即五智なり。空即是色なれば五智即ち萬法なり。色心不二なるが故に五大即五藏、五藏即五智なり。圖に

云く、

「あ」地。肝藏は眼を主さどる。 阿頼耶識。大圓鏡智。寶幢佛。阿閦。藥師。發菩提心。東・木・春・青

「ば」水。肺藏は鼻を主さどる。 意識。妙觀察智。轉法輪智。無量壽。證菩提果

     西・金・秋・白

「ら」火。心藏は舌を主さどる。末那識。平等性智。華開敷。寶生。多寶。行菩提行。

     南・火・夏・赤

「か」風。腎藏は耳を主さどる。五識。成所作智。不空成就。釋迦。天鼓音。入涅槃理

     北・水・冬・黒

「きゃ」空。脾藏は口を主さどる。奄摩羅識。法界體性智。毘盧遮那。佛。具足方便

     中央・土・用・黄

    已上善無畏三藏傳

A(あ)土。地。鎭星。中央。黄。土公。堅牢地神

Vi(び)水。水。辰星。北方。黒。水天。龍神。江河水神

Ra(ら)火。火。熒惑星。南方。赤。火天。火神

h@u@m(うん)金。風。太白星。西方。白。金神。風天

kha@m(けん)木。空。歳星。東方。青。木神。虚空天。空神

    已上不空三藏傳

a(あ)自心發菩提。大圓鏡智。寶幢。阿閦。東方

@a(あー)即心具萬行。平等性智。華開。寶生。南方

a@m(あん)見心正等覺。妙觀察智。阿彌陀佛。西方

a@h(けん)證心大涅槃。成所作智。天鼓。不空。釋迦。北方

@a@m@h(あーんく)發起心方便。法界體性智。大毘盧遮那佛。中央

密嚴淨土理智不二の五佛五智、金剛界に即して是れ胎藏の五佛五智なり。

Va(ば)發菩提心。大圓鏡智。阿閦。寶幢

v@a(ばー)行菩提行。平等性智。寶生。華開

va@m(ばん)成菩提果。妙觀察智。阿彌陀佛

va@h(ばく)入涅槃理。成所作智。不空。天鼓。釋迦

v@a@m@h(ばーんく)方便具足。法界體性智。大日如來

 

金剛界不二摩訶衍の五佛心王。是れ胎藏に即して即ち是れ金剛界不二の五佛五智なり。此のva(ば)字の五輪を知るが如く、餘の字母も亦復た如是なり。各の五智を具する故に亦た無際智有り。圓鏡力の故に實覺智なり。此を自心成佛と名く。若し行者、四時中に於いて間斷せしめず、眠に在りても覺に在りても觀智離れずして三摩地に順せば、即身成佛、此生に難きに非ず。

Ra(ら)ha(か)kha(きゃ)肝。

r@ah@akh@a(らーきゃーか)心。

ra@m(らん)    寶部。五佛。     

ha@m(かん)    羯磨部。五佛。

kha@m(けん)  虚空部。五佛。   脾。 行者觀。

ra@hha@hkha@h肺。

r@a@m@hh@a@m@hkh@a@m@h腎。

三藏云。余、金剛智三藏に依りて此の五字を傳へて、信を起こし、之を修して千日に及ぶ。秋夜滿月に於いて忽然として除蓋障三昧を得、云云。 茲に因りて弟子、此の祕訣を聞くことを得、深信して多年之を修して既に初位の三昧を得たり。有信の禪徒、疑惑を生ずること勿れ。若しva@m(ばん、興教大師のこと)が虚言ならば、之を修して自ら知れ。唯だ願はくは一生をして空く過すこと勿れ。復た次にa(あ)字は金剛部阿閦、肝藏・眼識を主どる、

所謂a(あ)字は即ち是れ大日如來理法身自性清淨畢竟本不生不可得空なり。大悲地輪の種子、金剛部曼荼羅也。若し色法に約せば地は是れ色法なり。五陰中の識陰の心、地を持す。其の種子、不淨を施せば、地識動取して能く愛有を招く。風空は能犯の體、火地は所犯の門なり。水空識の種子を下して子宮中に住して悉く五藏と成る。是の五藏中も識陰心、發する故に地と名く。是れ色法なり。今、肝は魂を主さどる。魂神の氣を東方木精と為す。青色なり。空は青なり。其の青色は本より生ず。木は水より生ず。肝は青氣及び腎より生ず。其の

形蓮華葉の如し。其中間に團珠を著く。團肉は胸左に在り。肝出でて眼と為る、筋を主さどる。筋窮りて爪と為る也。覺禪師云く、肝華は八葉青色にして五色を具す、と。va@mI(ばん)字は蓮華部阿彌陀佛、肺藏鼻識を主さどる。所謂va@m(ばん)字は是れ第十一

の轉聲なり(va字に12点をつけていくがその11番目がバン字)。vi12(び)字は是れ第三轉也(va字に12点をつけていくがその3番目がび字)。即ち大日如來の智水、彌陀の大悲、水輪の種子なり。神通自在之法なれば法身と名く。相應相對なれば亦た報身と名く。蓮華部曼荼羅なり。肺藏は魄を主さどる。魄神の形體は其れ鼻體の如し。西方金行なり。秋を主さどる。其色白色。肺鼻の中に自然に風息有り。即ち是れ風大なり。五陰中の想陰の心、風を持す。想陰の心は識より生ず。識心は過去二因より生ず。現在の五果なり。謂く無明行より識名色等を生じ、妄想展轉して輪轉無際なり。即れ是ち十二因縁なり。肺藏は意識を主さどる。意識は妄想を生ず。妄想の因縁を以て輪轉す。白氣及び肺、辛味多く肺に入れば肺を増し肝を損ず。若し肺中に魄神無ければ恐怖癲病し、心は肺を害して病を成ず。火の金を剋するが如く、心強く肺弱ければ、當に肺を心に止むべし。白氣を以て赤氣を攝取せば、肺病則ち差ゆ。白氣とは肺の名字也。肺華は三葉白色半月形なり。第三の推、左右一寸五分是

所在也。ra@m(らん)字は寶部寶生尊、心藏口内を主さどる。所謂、ra@m(らん)字は是れ大日如來の智火、寶生大悲、福徳身曼荼羅、火大の種子なり。一切衆生の無始の間隔無明妄執塵垢を梵燒して、菩提心芽種を出生す。即ち是れ如來福徳之身なり。實智の火を以って貧窮業因を燒き、福徳自在ならしむ。心火は夏を主さどる。其色赤。赤色より火を生ず。火は木より生ず。五陰中の受陰の心、火を持す。受心は想心より生ず。又心は赤氣及肝より生ず。心出でて舌と為り血を主さどる。血窮して乳と為る。又、耳識を主さどる。鼻喉鼻梁額頥等を轉じて苦味多く心に入れば心を増し肺を損ず。若し心中無神ならば、多く前後を忘失す。腎は心を害して病を成ず。若し水の火を剋する如く、腎強く心弱ければ、當に心を腎に止むべし。赤氣を以て黒氣を攝取せば、心病則ち差ゆ。赤氣とは心の名字也。心華は赤氣にして三角の形有り。第五の推の正しき左右一寸五分所在也。ha@m(かん)字は羯磨部不空成就佛、腎胃を主さどる、所謂ha@m(かん)字は是れha(か)字の十一轉聲也(ha(か)に十二点を打つ、その11番目)。廣釋すること餘の如し。三五の摩多(悉曇の母音)に通ず。

則ち大日如來常住の壽量釋迦の本地、大悲風大の種子、三解脱門三際不可得の義、羯磨身の事業曼荼羅なり。風は則ち想陰の心。五藏六府の海水を持す。肺風鼓動して生死海と為る。五藏とは肝・肺・心・脾・腎なり。胃とは六府の一名なり。胃は此れ肚、是れ脾の府なり。五藏六府の海水は皆な胃府に入る。五藏六府は流れて皆な胃に禀けて、五味各の走流して、其の嘉味は胃に入るが故に、腎は胃を禀くる也。第十二推の下、兩方各一寸半に在り。腎は第十四推の兩方各一寸半に在り。又、臍腰下の左を腎と名け、右を命門と名く。腎は心腹に敷ひて、窮寑して米精を寫す也。志を主さどる、北方及び水と為る。水は冬を主さどる。其の色は黒。五陰中の行陰の心、水を持す。行心は受心より生ず。受心は想より生ず。腎は黒及び肺より生ず。耳を主さどる。腎出でて骨と爲る。髓を主さどる。髓窮りて耳乳と為る。

骨窮きて齒と為る。鹹味多く腎に入れば、腎を増し心を損ず。若し腎中に志無ければ、多く悲哭す。脾、腎を害して病を成ず。土の水を剋する如く、脾強く腎弱ければ、當に腎を脾に止むべし。黒氣を以て黄氣を攝取せば、賢病則ち差ゆ。黒氣とは水の名字也。kha@m(けん)字は虚空部上方毘盧遮那大日如來、脾の藏、舌識を主さどる、所謂kha@m(けん)字は則ち大日如來の無見頂相・五佛頂輪王・大空智處寂滅眞如・十方三世諸佛所證

菩提・最上殊勝曼荼羅なり。脾藏は奄摩羅識を主さどる。中央と為す。又、季夏を主さどる。其色は黄色、a字眞金色なり。黄色は地より木を生じ、木より火を生ず。五陰中の識陰の心、

地を持す。或は木藏と為す。木は青し是れ空也。脾は黄氣及び心より生じて口を主さどる。志と為す。甘味多く脾に入れば、脾を増して腎を損ず。若し脾中に意神なければ、多く迴惑して、肝は脾を害して病を成ず。木の土を剋するが如し。肝強く脾弱ければ當に脾を肝に止むべし。黄氣を以て青氣を攝取せば脾病則ち差ゆる也。黄氣とは脾の名字也。脾華は一葉黄色にして四隅有り。五藏は蓮華の向下の如し。内の五藏、外の五行に出でて形體を成ず。此れ則ち名色なり。色は即ち是れ五大五根、名は即ち想等四陰の心也。色心は即ち是れ六大法身・五智如來・五大菩薩・五大明王なり。凡そ日・月・五星・十二宮・二十八宿、人の形體を成ず。山島大地はa字より出生じ、河海萬流はva@m(ヴァン)字より出生す。金玉珠・寶・日月星辰・火珠・光明はra@m(らん)字より出生し、五穀萬果・衆華の開敷はha@m(かん)字によりて結成す。秀香・美人・人畜の長養・顏色滋味・端正相貎・福徳富貴はkha@m(けん)字より莊嚴す。a字の意、甚深空寂の體にして、之を取るに取るべからず。之を捨つるに捨つるべからず。萬法能生之理母。灌頂本源之智體なり。a字を論ずるが如く、餘字

も亦復た如是なり。凡そ毘盧遮那經及金剛頂經に簡要を採集する深妙最上殊勝福田、甚深難解功徳の本體なり。應化所説の大乘小乘、一切の經典は唯だ五字にあり。若し一遍を誦すれば所獲功徳、比量すべからず、不可思議なり。乃至息災・増益・調伏・敬愛・鉤召衆徳、皆な悉く成就す。五字の眞言は諸佛之通呪。五印は薩埵之總印なり。之を修する行者、如是に當に知るべし。永く災難を止めて諸病生ぜず、五佛の髻珠、五智の深底、十方如來の利生の理母、三世賢聖の能護の智父なり。之に加て六大四曼之總體、四身三密之別相、四聖六凡之所歸、五趣四生之實相、四魔を降伏し、六趣を解脱す。a字は金剛の地、金剛座處を観ず。

va@m(ばん)字は金剛の水、心蓮華臺を観ず。ra@m(らん)字は金剛の火大、日輪觀を成ず。ha@m(かん)字は金剛の慧風、月輪觀を作す。kha@m(けん)字は金剛の定空、大空觀を造し、大空位に遊歩して身祕密を成ず。是れ則ち無生甘露之極漿、醍醐佛性之妙藥なり。一字、五藏之中に入れば、萬病萬惱即ち生ぜざることを得。故に大師の釋の中に、「一字入藏萬病不生」と云ヘり。若し日月輪を観ずれば、凡夫即ち成佛す。復次に凡人の汗栗駄心は形猶ほ合蓮華の如し。筋脈有り、八に分る。是れ八葉の心蓮華なり。八分の肉團是也。是の心蓮華に於いて観じて開敷八葉白蓮華と作る。臺上に@a@m@h(あーんく)字を観じて金剛色に作せ。是れ則ち方便具足究竟心王、大日如來、法界體性智、常寂滅相本地法身、華臺の總體にして、邊葉を超えて方に心言境に非ず。唯だ佛と佛のみ乃し能く之を知る。此方便を以て大空に同じて衆像を現ず。中臺心は空にして一切色を具し、無相法身にして色相を現ず。即ち是れ加持十方世界曼荼羅普門海會なり。無所不至にして、遍く法界に應ず。皆な是れ大日如來一體色身なり。衆徳を具足するが故に佛陀なり。佛陀は皆な是れ大日薩埵なり。薩埵は悉く是れ毘盧なり。天羅鬼神も是れ法身相なり。故に知る、五字は諸佛の總呪なり。若し衆生有りて此教法を傳へて當に供養を至すべきこと猶し制底の如くせば、應供の徳を備ふ。何ぞ況んや信修するをや。是れ人中の芬荼利華なり。是れ法身舍利なり。毘盧四身を積集す。即ち是れ自性清淨諸佛五智に等同なり。我性の九識は依正不二にして相性同如なり。眞言の大我は三密平等にして太虚空の如し。法界を宮と爲れば所處の通場は密嚴に非ざること無し。六大は本尊なれば、衆生は即ち是れ本尊に非ざること無し。本尊と行者は本來平等なれば、我れ本初を覚す。我は是れ古佛なり。智界・理界は我が心曼荼、五部三部は即ち是れ我身なり。能く五大に迷へば三界を城と作して、五藏五行生死に流轉す。a字迷本受苦無窮。能く五大を悟れば四曼の相を造りて五佛五智、涅槃を證得す。即れ是ち本初なり。萬法

總歸して一のa字に入りぬれば地獄・天堂・佛性・闡提・煩惱・菩提・生死・涅槃・邊邪・中正・空・有・偏・圓・二乘・一乘・苦樂之相、皆な是れ六大業影果報なり。既に是れ六大

の所作を員と爲す、還って六大所受を以て果と為す。實智に由るが故に能く六大を悟る。五智四身・四曼・三密、善心を熏修して能く顯はし、能く證して、無盡莊嚴大曼荼羅を成ず。妄執に由るが故に能く五趣に迷ふ。生死・煩惱・四重・八重・五逆謗罪、悪心を熏習して能く受け、能く悲みて、大苦果大那洛迦を感ず。迷悟己に在り。執無くして而も到る。餘字も亦た然なり。所謂va@mh@u@mtr@a@hhr@i@ha@h(ばんうんたらくきりくあく)。是は金剛界に約して又五藏を明かす。即ち肝・心・脾・肺・腎なり。肝藏は色青うして木を主さどる。h@u@m(うん)字を以て本覺と為す。hr@i@h(きりく)字を以て能破と為す。何となればh@u@m(うん)字は是れ木行、即ち肝藏の種子なり。hr@i@h(きりく)字は是れ金行、肺藏の種子なり。金能く木を剋す、故に肺も亦た肝を剋す。故に知りぬ、hr@i@h(きりく)字を以て能破と為す。h@u@m(うん)字を以て所破と為す也。行者當にhr@i@h(きりく)字の字義を観ずべし。白色觀を作して即ち本不生の理を思惟せば、金變じて智劍と為りて、h@u@m)(うん)字の字相の無明妄想所生の五障百六十心等の三重の青色妄執の木性を截破して都て盡す。即ち更にh@u@m(うん)字の字義の本不生の五智、金剛大菩提心木沙羅樹王に生長す。其色、漸漸に増長して大圓鏡智阿閦如來と為って即ち金剛菩提心三摩地門を見現せしむ。心藏の色は赤、火を主さどる。tr@a@h(たらく)字を以て本覺と為す。a@h(あく)字を以て能破と為す。何となれば水性は火を剋すれば、腎も亦た心を剋す。然れば則ちa@h(あく)字の字義を以てtr@a@h(たらく)字の字相を破すれば、是の故に本不生の五智黒色の水を以て、無明妄想所起五障百六十心等の三重の赤色妄執火を沃滅し、更にtr@a@h(たらく)字の本不生の五智福徳聚の金剛赤色の火を出生して、漸漸増長し、智火熾燃にして平等性智寶生如來と為て即ち福徳金剛三摩地門を見現せしむ。肺藏は色白し、金を主さどる。即ちhr@i@h(あく)字を以て其の本覺と為す。tr@a@h(たらく)字を以て

能破と為す。何となれば、火性は金を剋す。心も亦た肺を剋す。tr@a@h(たらく)字の字義を以てhr@i@h(あく)字の字相を破す。是故に本不生の五智金剛の赤色火を以て、無明妄想所起の五障百六十心等の三重の白色妄想の荒金を燒錬し變じて本不生の五智、金剛慧眞實の白色の金と為て、漸漸に増長成就して妙觀察智無量壽如來智慧金剛三摩地門と為る。腎藏の色は黒し、水を主さどる。a@h(あく)字を以て本覺と為す。va@m(ばん)字を以て能破と為す。何となれば、土性は水を剋し、脾も亦た腎を剋す。va@m(ばん)字の字義を以てa@h(あく)字の字相を破す。是故に本不生五智金剛不壞黄色の地を以て、無明妄想所起の五障百六十心等の三重黒色の水を埋み、更に本不生五智金剛の黒色の八功徳水を涌流して、漸漸溢盈して成所作智不空成就如來の身、羯磨金剛三摩地門を出生す。脾藏は色黄なり。土を主さどる。va@m(ばん)字を以て本覺と為す。h@u@m(うん)字を以て能破と為す。何となれば、木性は土を剋し、肝は脾を剋す。h@u@m(うん)字の字義を以てva@m

(ばん)字の字相を破す。是故に本不生五智金剛の木を以て、無明妄想所起の五障百六十心等の三重黄色妄想土を破壞して更にv@a@m@h(ばーんく)字本不生の五智金剛不壞那羅延黄色の本覺土を出生し、漸漸増長して法界體性智毘盧遮那如來を成ず。此れ即ち法界六大金剛三摩地門なり。若し念誦する時は、若し金剛界ならば、身、金剛波羅蜜定に入って彼の尊と為る。此れ即ち化身之體也。若し胎藏ならば、身、文殊定に入れ、謂く本尊を化身と為す也。自他冥會す是れ不壞法身也。膽は果位、名けて降三世と為す。大腸は果位、名けて軍荼利と為す。膀胱は果位、名けて焔鬘徳迦と為す。小腸は果位、名けて金剛夜叉と為す。胃は果位、名けて不動と為す。三膲は果位、名けて普賢と為す。

嵯峨天王仰せて云く「眞言宗の即身成佛、其證何にか在る」と。謹惶して弟子、五藏三摩地觀に入り忽然として出家の頭上に五佛の寶冠を現じ、肉身の五體に五色の光明を放つ。

爾の時に當り一人席を起ち萬民作禮す。諸宗旗を靡かせ、皇后衣を送る。故に五藏三摩地は祕の中の祕、座を起たずして三摩地現前の説、唯だ彌應(いよいよ)仰信すべき而已。

 

 

    五藏神形

一字入藏萬病不生、即身成佛の頌に曰く、

    若凡若聖 得灌頂者 手結塔印 口誦va@m(ばん)明 觀我大日

無疑惑者 現在生中 頓斷無明 及五逆罪 四重八重

    七逆越誓 謗方等經 一闡提等 無量重罪 皆悉斷滅

    無有少罪 即身成佛 永離生死 常利衆生 無有間斷

   十方如來 同入三昧 三世諸佛 自受法樂 自在神力

    見聞祕密 擧手動足 皆是密印 開口發聲 悉是眞言

    所有心念 自三摩地 萬徳妙用 自心曼荼 若結一度

    即越常結 一切印契 若誦一遍 亦過恒沙 無量眞言

    若觀一念 定勝三世 入無量定 修習妙觀 若有衆生  

    聞此功徳 不至信者 當知是人 定墮無間 能摧佛性 

    諸佛無救 何況餘人

   

已上の頌は鑁が灌頂時の所傳也。此の頌、他人の所傳と頗る文義相違す。仍って之を寫さず。此の頌は肺の一藏處なり。餘も亦た爾也。

已上五輪具足即身門畢る。

次に九字九品往生門。此門中に二有り。一に句義門。二に字義門なり。初の句義門とは、所謂o@mam@rtateseharah@u@m(おんあみりたていせいからうん)、此の九字に於いて略して五句あり。第一のo@m(おん)字に三義あり。一に三身の義。二に歸命頂禮の義。三に廣大供養の義なり。廣は守護經の如し。次の三字は甘露の義。十甘露の釋の如し。次の二字に六義あり。一に大威徳の義、六臂の威徳を具するが故に。二に大威光の義、遍照光明を具するが故に。三に大威神の義、神境通を具するが故に。四に大威力の義、六大の威力を具するが故に。五に大威猛の義、速滅怨家の徳を具するが故に。六に大威怒の義、怒入地の菩薩の徳を具するが故に。次の二字に又六義有り。一に作佛の義、是の心、作佛して久來、始覺の如くなるを得る故に。二に作業の義、來迎引接、間斷なきが故に。三に作用の義、神力自在あるが故に。四に作念の義、十念の衆生を迎ふるが故に。五に作定の義、妙觀察智の三摩地定に入るが故に。六に作願の義、六八の大願を発するが故に。末後の一字は四字合成す。Ahauma(あ・か・う・ま)也。摧破の義なり。佛法の怨家を破するが故に。能生の義、能く無量の眞如を生ずるが故に。恐怖の義、恐天魔外道を恐れしむるが故に。h@u@m6(うん)字義の釋、具さなり。之を用ふべし。a字は前の如し。又一百の義は經の如し。且く三諦の義に就きて略して十種有り。中に於いて有諦に一重の諦を出さば、頌に曰く

    縁起の三諦即空諦 縁起の三諦即假諦

    縁起の三諦即中諦 無量の一心即空諦

    無量の一心即有諦 無量の一心即中諦

    法界三密不生諦 法界三密本有諦

    法界三密即中諦 法界三密曼荼諦

如是は顯教の中には猶だ其の一義をも知らず。何に況んや具足して十諦の深義を知らんや。前の三諦は顯教所立の三諦の上に於いて不思議の三諦の妙觀を作す。即れ是ち遮情の三諦也。

次の三諦は密教淺略門中に於いて、且く一心に約して不思議三諦無量の名言を成立す。前の諸教は、若しは三乘、若しは一乘、皆悉く未だ一心の位に無量の數量あることを知らず。或は六識を知り、或は八識を知り、或は九識を知り、或は十識を知る。第二の三諦中に無量の三諦を置く而已。第三の三諦は直に事事理理に約して廣く三諦の理を談ず。第三の三諦の中に事理法界を攝して説く。猶ほ是れ諸法を攝すべし。未だ事事祕密自性不動の諸法ならざるが故に。今は直ち本來平等にして能所あることなき自性不生の離一離多の法佛の三密に約して、三諦の名義を建立する焉。第四の一諦は本有法界體性智自性法身に約す。不二大乘の曼荼羅深密の體相用の上の妙諦の義なり矣。次にu(う)字は一切諸法損減不可得なるが故に、六義を以ての故に、諸法損減と名く。所謂、苦空無常無我の故に、四相遷變の故に、不得自在の故に、不住自性の故に、因縁所生の故に、相觀待の故に、今此u(う)字の實義如是なり如是なり。當に知るべし、一切諸法は本來常樂我淨なれば、一如不動にして罣礙有ること無し。自性に安住して無來無去なり。因縁を遠離して本來不生なり。性、虚空に同なるが故に同一性なり。故に經に云く「u字は報身の義なり」。復た次に九種の損減有り。所謂、前九種の住心は未だ無邊の三密無盡の數量を知らざるが故に、後のma(ま)字は一切諸法吾我不可得の義なり。謂く、我とは自在の義。二種の主宰の義なり。自我は己なり。吾

我は一切の凡夫なり。外道二乘三乘同教一乘、別教一乘等、皆な此の吾我の執有りて、皆な自乘を計して究竟自在果佛の如くすれども、眞言門に於いては初心と為すが故に。復た次に

一切諸法本來平等不二智の境界は、能生に非ず、所生に非ず。能遍の所破に非ず。唯だ是れ三密の一心なるが故に、既に二相無し。何ぞ吾我あらんや。我とは他に對するが故に。而るに他相を離るるが故に。我も亦た不可得也。又ma(ま)字は化身の義なり。第三のm@r(みり)字門は此字二合なり。謂くma(ま)字に@l(り)字を加ふ。染不可得の義なり。

或は神通不可得の字、之を書く。m@r(みり)字は化身の義なり。神通變化の義、化身の義に近きが故に、此の義を以て勝と為す。又@l(り)字は是れ一切諸法本性清淨にして遠離染淨の義なり。又三昧の義なり。妙觀察智蓮華三昧也。第四のta(た)字門は、一切諸法如如不可得の故に、中論に云く「涅槃之實際。及與世間際。如是二際者。無毫釐差別」(中論・觀涅槃品第二十五)。差別なきを以ての故に一切諸法、怨對無し。怨對無きが故に執持無し。執持無きが故に亦た如如解脱無し。第五のte(てい)字門は、加ふる所のe(えい)字は是れ則ち求不可得の字なり。彼の頌に曰ふが如し。「同一を如と名く。多の故に如如なり。理理無數・智智無邊なり。恒沙も喩に非ず。刹塵も猶ほ少し。雨足多しと雖も、並に是れ一水なり。燈光一に非ざれども、冥然として同體なり。色心無量にして實相無邊なり。心王心數主伴無盡なり。互相に渉入して、帝珠錠光の如し。重重難思にして各の五智を具す。多にして不異なり。不異にして多なり。故に一如と名くれども、一は一に非ざるに一にして、無數を一と爲す。如は如に非ずして常なり。同同相似せり。此の理を説かざるは、即ち是れ隨轉なり(隨轉理門・権方便の説)。無盡の寶藏、之に因って秏竭し、無量の寶車、此に於いて消盡す。之を損減と謂ふ。地墨の四身(法華経に在る三千大千世界の地を磨て墨とすること。これから四身が無盡であることを言た)、山毫の三密、本より圓滿して、凝然として不變なり」(吽字義)と。

求不可得の義とは、頌に曰く、

    六道四生の諸衆生は 本來無盡の徳を具足せり。

    行住坐臥皆密印、 麁細の言語悉く眞言なり。

    若しは悟、若しは迷、是れ般若、 或は沈、或は動、即三昧なり。

    萬得已に我に具して遠からず、 何を以てか更に他處に求めん。

第六のse(せい)字門は、sa(さ)に亦たe(えい)點の畫を加ふる也。Sa(さ)字は一切諸法諦不可得の故に。Sa(さ)は梵には薩跢といふ也。此に翻じて諦と為す。諦は謂く諸法の眞相の如く知りて不倒不謬なり。日は冷かならしむべく、月は熱からしむべくとも、佛の説きたまふ苦諦は異ならしむべからず。集は眞は是れ因なり。更に異の因無し。因滅則ち果

滅なり。滅苦の道は即ち是れ眞の道なり。更に餘の道無し。

復次に涅槃に云く「解苦無苦。是故無苦有眞諦」(大般涅槃經卷第十二、聖行品之二)。餘の三も亦た爾なり。乃至、四諦を分別するに無量相及び一實諦あり。聖行品中に之を説くが如し。是を字門之相と為す。然も一切の法は本不生なり。乃至畢竟無相なるが故に、語言斷道の故に、本性寂靜の故に、自性鈍の故に、當に知るべし、無見無斷無證無修なり。

如是の見斷證修は悉く是れ不思議法界なり。亦空、亦假、亦中なり。不實不妄、定相として示すべき無し。故に諦不可得と謂ふ也。點畫は如上なり。第七のha(か)字門は、一切諸法

因不可得の故に、梵に係怛縛と云ふ。即ち是れ因の義なり。若しha(か)字門を見れば即ち一切諸法は因縁より生ぜざるは無と知る。是れを字相と為す。諸法は展轉して因を待ちて成ずるを以ての故に、當に知るべし、最後は因縁無きが故に、無住を説きて諸法の本と為す。然るゆえんは、中論に説くが如し。種種門を以て諸法の因縁を観するに、悉く不生なるが

故に。當に知るべし、萬法唯心なり。唯心の實相は即ち是れ一切種智なり。即ち是れ諸佛法界なり。法界即ち是れ諸法の體なり。因と為すことを得べからず。以って之を知る。因も是れ法界。縁も是れ法界。因縁所生の法も亦た是れ法界なり。前に説くa字門は從本歸末して畢竟如是の處に到る。今亦たha(か)字門も亦た從末歸本して、畢竟して如是の處に到る。a字は本より不生なれども一切法を生ず。今亦ha(か)字は無因を以て諸法の因と為す。始終同歸す。則ち中間の旨趣、皆な悉く知るべし。第八ra(ら)字門は、一切諸法は一切塵染を離るるが故に梵に羅逝と云ふ。是れ塵染の義なり。塵は是れ妄情所行の處なり。故に眼

等の六情、色等の六塵を行ず、と説く。若しra(ら)字門を見れば即ち一切の見聞觸知すべき法は皆な是れ塵相なりと知る。猶ほし淨衣の塵垢の為に染せらるるが如く、亦た遊塵紛動して太虚を昏濁して日月不明ならざらしむるが如し。是れを字相と為す。中論に「見法を諦求するに見者あることなし。若し見者無くんば誰か能く見法を以て外色を分別せん。見と可

見と、不可見と見法と無なるが故に。識觸受愛の四法も皆な無なり。愛なきを以ての故に、十二因縁分も亦た無なり。是の故に眼の色を見る時、即ち是れ涅槃相なり。餘も例するに亦た爾なり。復次に一切諸法は悉く是れ毘盧遮那淨法界なり。豈に如來の六根を染汚せん耶。鴦掘摩羅經に云く、佛は常眼具足して無減なるを以て、明かに常色を見たまふ。乃至意法も亦た如是等。是のれa(ら)字門の眞實の義也」。(大毘盧遮那成佛經疏卷第七・入漫荼羅具縁品第二之餘)

第九のh@u@m(うん)字門は三身の義を具す。極略して之を説かば、ha(か)は是れ

字體報身なり。中にa聲有り。是れ法身、uは是れ應身、ma(ま)は是れ化身なり。法身に之を攝するに略して四種有り。一に自性身。二に受用身。三に變化身。四に等流身なり。是の四種身共に法身と名くることは何の由ぞ。頌に曰く、

    六大普く諸凡聖に邊じて 平等成立して増減無し。

    一心は法身自性佛、 一體は報身受用身、

    一相は變化化身佛、 一用は平等等流身なり。

    能化の義に約すれば四種身、 所化の邊に就きては六凡夫なり。

    能化の三密は所化に具し、 所化の四曼は能化に渉る。

    一一互融して輪圓具足せり、 三三平等にして即ち成佛す。

    三密金剛、法界に遍じて、佛界非佛界を簡(きらは)ず。

    五祕の瑜伽、心宮に住して、 密嚴非密嚴を別つことなし。

復次に法身に五種有り。前の四身に法界身を并するが故に。曼荼羅に五種有り。前の四曼に法界曼荼羅を加ふるが故に。聖位經偈に曰く、自性及受用變化并に等流、佛徳三十六、皆な同じく自性身なり。法界身を并するが故に三十七と成る也(略述金剛頂瑜伽分別聖位修證法門)。又禮懺經に、自性身の外に法界身を立つ。此等の證文に依るに、四身の外に法界身有り。法界身とは六大法身なり。

復次に九字の眞言はm@rtamadara(あみりたていせいからうん)なり。常に觀じて心を誠にせよ。

心中にa字有り。 七寶樓觀と成る。 先ずva@m(ばん)水の觀を凝らし、

    次にa地觀を作せ。 瓔珞幡蓋を垂れ、 摩尼閼伽を飛ばす。

    天は妙衣服を雨ふらし 人は瞻蔔香を焼く。 華は四珍色を染め、

    鳥は六種の韻を発す。 雲路と樹下に樂あり。 内殿と外庭に舞ふ。

    説法句句妙にして 曼陀曼殊を散じ 入定窟窟靜にして

    二六の定水を湛ふ。 玉流八徳澄めり。 幢樂、六律に會(かな)ひ、

    池水は六度を説く。 寶瓶は五莖を開き、 燈明は五智を燃す。

    中臺、八葉を開き、 上に九のhr@i@h(きりく)字を観ず。 臺上に觀自在ゐまし、

    葉上に八佛定にしてゐます。 次の八葉の上に am@rtateseharah@u@m(あみりたていせいからうん)次の如し。 八尊の種子身なり。 觀音と慈氏尊と、

    虚空と普賢尊と、 金剛手と文殊と、 除蓋障と地藏となり。

    十二の大供養 次第に敷列せり。 衆生本有の蓮、覺悟極樂の體なり。

    清淨の大海衆、 二十五菩薩、華聚山海慧、日夜常に守護す。

    bhu@hkha@m(ぼくけん)の眞言力、此を變じて極樂と成す。

   

 

此の九字の曼荼羅は源、五輪門中のha(か)字門より出でたり。其ha(か)字門は曇摩伽菩薩(法蔵菩薩)の因位に、四十八願を発す。即ち是の教風はha(か)字門より出ず。ha字具足せば即ちhr@i@h(きりく・阿弥陀如来の御真言)字なり。此のhr@i@h(きりく)字より九字曼荼羅を出す。是より一百十三字の眞言(以下に述べる阿弥陀如来根本陀羅尼のこと)を出す。即ち是れam@rta(あみりた)の大陀羅尼なり。

問、此の陀羅尼の句義何か知らん。 大梵本の句義に曰く、

namoratnatray@aya(のうぼうあらたんのうたらやあや)歸命頂禮三身・三寶・度我・歸依歸敬等の義。

nama@harya(のうまくありや)無惑大聖   

mitabhaya(みだばや)無量壽・無量光・無量弟子・甘露神藥の義。

tath@agataya(たたぎゃたや)乘如來・乘如去。      

arhatesamyak@sa@mbuddh@aya(あらかていさんみゃくさんぼだや)殺賊不生應供成等正覺等の義。     

tadyath@a(たにゃた)即説呪曰。

o@m(おん)三身の義、成正覺の義、供養義歸命の義也。     

am@rte(あみりてい)甘露相續、壽命不老不死等の義。       

am@rtodbhave(あみりたどばんべい)寶座坐御、安樂安座。

am@rtasa@mbhave(あみりたさんばんべい)從生往生、來迎引接等の義。       

am@rtagarbhe(あみりたぎゃらべい)庫藏・虚空藏・地藏・金剛藏。 

am@rtasiddhe(あみりたしっでい)成就、散去、成果、成因。            

am@rtateje(あみりたていぜい)威徳、威光、威勢、威猛。  

am@rtavihr@i@mte(あみりたびきらんでい)極樂、安養、安樂、涅槃。         

am@rtavihr@i@mta(あみりたびきらんだ)但、諸樂を受く故に極樂と名く。  

Gamine(ぎゃみねい)虚空、往生、離苦界、正念安住。       

am@rtagaganakitikare(あみりたぎゃぎゃのうきちきやれい)等虚空、無障礙、無

對礙即得往生。  

am@rtadu@mnubhisv@are(あみりたどんどびさばれい)好音聲、説妙法、好

音樂、自受法樂。            

sarvarth@asadhane(さらばあらたさだねい)一切成就、滿足充樂三昧。sarvakarmaklezak@saya@mkale(さらばきゃらまきれいしゃようぎゃれい)作業周遍、珍

處生護、生情養育、出生嘉會至時等の義。  

sv@ah@a(そわか)有縁淨信の行者に於いては来迎の願を成就し、極惡罪人に於いては引接を成就す。       已上略句義畢り。

根本祕印。二手外に相ひ叉ひ中指は蓮華形の如くせよ。是を菩提心と名く。亦た決定往生印と名く。亦た九品往生總印と名く。

第三に所獲功徳無比門とは、眞言門に入って刹那に所修する功徳を顯示す。一切の六度四攝等の無盡なるに於いて、顯佛の智慧相は具さに無量阿僧祇劫に住して常恒修行して所得の中に眞言獨り最上と為す。今所修の三密は是れ眞實なるが故に。 

問。三密相應の修行に於いては所得の功徳は一向然るべし。若し行者有りて、唯だ眞言を誦し、唯だ印契を結んで智慧無く、設ひ智慧ありとも餘の二密を闕する偏修所得の功徳の分齊、如何が差別あるや。 

答。偏修偏念無智なりとも、信あらば所得の功徳は顯教の無量劫を経て得る所の功徳を超過す。若し眞言に於いて一たび疑惑を生ぜば、無間業となりて必ず無間に堕す。是の故に機に非ずんば篋を泉底に隱す。

第四に所作自成密行門とは、修眞言行者、深智無しと雖も、唯だ信と相應して唯だ誦し、唯だ結し、。唯だ纔かに字印形の三種の祕密身の相貎を観ずる時、亦た往昔の無量の重障、現在の無邊の重罪及び過現所起の無數恒沙無明妄想等ありと雖も、自ら此の密誦の明力・觀念力の故に、還りて清淨と成る。纔に此の門に入れば則ち三大僧祇を一念のa(あ)字に越へ、無量の福智を三密の金剛に具し、八萬の塵勞變じて醍醐と為る。五蘊の旃陀、忽ちに佛慧と為る。開口發聲の眞言は罪を滅し、擧手動足の印契は福を増す。心の起す所の妙觀自ら生じ。意の趣く所の等持は即ち成ず。貧女の穢庭に忽に如意幢を建て、無明の暗空に乍ちに日月燈を懸ぐ。四種の魔軍は旗を靡せて面縛し、六境の猾賊は黨を率いて入附す。心王の國土、無爲の樂、踵を旋せて期すべし。四種の法身恒沙の徳、即身に自ら得。又た瑜伽經の持誦眞言の功能に云く「一切の佛心の如く。一切の佛化身の如く、百千倶胝不可説不可説の佛説利攞の如く、佛の眞身の如く、佛の擧念の如し。所作の事業は皆な一切佛に同じ。所出言語便ち眞言と成り、支節を擧動せば便ち大印契と成る。目に視る所の處は便ち大金剛界と成り、身に觸る所の處は便ち大印と成る」。(金剛峯樓閣一切瑜伽瑜祇經卷下金剛吉祥大成就品第九)

如是の證文は其數一に非ず。一を以て萬を知れ。願はくは有智の人、疑惑を生ずること勿れ。

 

第五に纔修一行成多門とは、彌陀の一法を修して現當の悉地を期す。 

問。眞言教の中、所有の行業其數無量なり。金剛胎藏各の無量の門法有り。唯だ一部一界に入って修行する尚ほ以って無量なり。何ぞ況んや三部五部二十五部等の若干の行業、何ぞ能く修行すべけん。然れば則ち唯だ一行一法を修して成佛し又浄土に往生せんと欲すれば、教の意趣に違背すると為ん耶。

 答。全く以って此の教の意趣に違背すべからざる也。金剛頂大日經等、皆な此の理趣を説く。衆生の根機種種不同なり。或は入一門一尊の三昧に入って一印一明一觀にして悉地を成ずるあり。正像末の異を論ずることなく之を修する時、是れ即ち正法なり。悉地、時を簡ばず、信修是の時なり。

第六に上品上生現證門とは高く大日の悲願を仰ぎ、深く彌陀本願を信ずれば、更に以って往生の異路無し。韋提月蓋は現身に往生を遂げ、龍樹護法は順次往生を期す。 

問。但だ念密行の行人は何等の心願を以て往生の大願を遂ぐべきや。

答。四種の迴向、是れ則ち往生の親因なり。一には四無量眞言を誦し、此の功徳を以て一切衆生と共に四大菩薩に等同ならしめんと欲し、至心發願深信廻向す。二には佛法の滅相を見て大師の興隆佛法の大願に等同ならしめんと欲して至心發願深信廻向す。三には法界の一切衆生をして即ち無上大菩提果を證せしめんが為に至心發願深信廻向す。四には自他所有の善根をして臨終正念にして極楽に往生せしめんが為に至心發願深信廻向す。五輪九字を念誦し兼ねて臨終四印明を結誦して、志を極楽に懸け、相續心を止めて、當に斷末摩水の時を待つべし。往生此時也。臨終の四印明とは金剛合掌、金剛縛、開心入智、各の眞言往生の祕事也。 問。眞言行者の往生極樂とは九品の中の何の品ぞや。 

答。多くは是れ上品上生なり。經に現世證得歡喜地と云ふ(金剛頂經瑜伽修習毘盧遮那三

摩地法、金剛智譯にあり)。龍猛菩薩既に初歡喜地を證す。 

問。極樂に往生するに幾くの業あり耶。 

答。三歸五戒是れ往生の業なり。六行四禪十善無我の觀等、往生の業なり。四諦十二

因縁の觀、往生の業なり。他縁の行者は護法戒賢往生の人也。覺心不生の行者は樹那提婆往生の人也。一道無爲の行者はam@rta(あみりた)の三字の觀に於いて空假中、之を觀ず。南岳天台往生の人也。極無自性法界の行者は香象清涼往生の人也。祕密莊嚴は内證三密の行

者往生の人也。謂く、實慧眞然は先に極樂に生じ後に都率に往く。雜學心を惑はして一生をして空しく過さしむる勿れ。唯だ雜學の善根を以て極楽に廻向せば定んで懈慢の淨土に生れて娑婆び還らずして進んで極樂に生ぜん。自の善根に於いて疑惑の心を生じて極楽に廻向せば邊地の淨土に生まれて進んで極樂に生ぜん。 

問。大日經所説の住心品十住心は諸經論淺深の義を以て擬屬とせん為めの故か、復た眞言次第の行者の漸次轉證所經位の為なり耶。

答。正しくは眞言漸次行者所經位の為、兼ねては能く經論淺深の義を攝せんが為なり。覺心不生心の行者、八不の猶ほ暗きを捨て一道の轉た明らかなるを求め、無爲の寂光を見て本地常心を證す。靈山常住にして劫火も不燒、曼陀曼殊、晝夜に雨ふる。淨行菩薩の地より涌出するを見る云云。轉證次第所經顯然なり。求覺の薩埵、永く疑慮する勿れ。天台別教の有教無人の如くにはあらず。若し經ずんば是の處りあること無き而已。次第の行者、必ず住心を経ること初地に住して二地の位に轉ずるが如し。

 

 

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