今日は後光厳天皇が大覚寺にある勅封般若心経を写経された日です。
(後光厳天皇は北朝四代。光厳天皇の皇子。1351年南朝によって兄・崇光天皇が退位させられたが,翌年北朝再興のため足利義詮に擁立されて践祚。在位中南朝軍の攻撃を受け,近江や美濃に避難することもあった。新千載和歌集、新拾遺集を編。宝鏡寺・金戒光明寺・雲龍院開基。日蓮に大菩薩号授与。)
大覚寺に勅封般若心経あり。この心経については、続史愚抄に「延文六年1361五月二十九日、般若心経を宸翰せらる。一字三拝。紺紙金泥。是去年已来天下大疫す。因って弘仁(注1)・正元(注2)・正應(注3)等の例に拠られる所なり。・・」とあります。
注1)「弘仁」・・・弘仁九年春には嵯峨天皇が般若心経を写経されており「嵯峨天皇宸翰勅封般若心経 」として大覚寺に残っています。お大師様の「般若心経秘鍵・上表文」に「時に弘仁九年春、天下大疫す。ここに帝皇自ら黄金を筆端に染め、紺紙を爪掌に握って般若心経一巻を書写し奉りたもふ。・・」とあります。
注2)正元・・・ 正元時代の天皇は亀山天皇。亀山天皇は大般若波羅蜜多經卷を写経されたらしく「第一百六 初分校量功徳品第三十之四」の断簡が巻菱湖記念時代館にあります。
注3)正応・・天皇は伏見天皇。書道伏見院流祖。京極派の有力歌人。《玉葉和歌集》を勅撰。
妙蓮寺所蔵「国宝・伏見天皇宸翰法華経」あり。
また「伏見天皇宸翰御告文」という祈願文があります。これは伏見帝が国の平安を願い洪水等の災厄消除のための神佑を祈った願文です。以下「宸翰英華」によります。
「維、永仁三年1295歳次乙未九月朔十四日乙酉。天子熈仁、精誠を凝らして恐み畏み申す。天照大神・八幡大菩薩・賀茂・春日等大明神、日吉・山王七社・住吉・祇園・北野等神明を始め奉って廿二社殊には熊野三所権現凡そ式内式外一切垂迹の諸神,悉に明らけく聞食せ。熈仁不徳の身を以て天日嗣を受け・・・既に九年に及べり。その間随分に正直の誠を致して国家を安んずの志っを専らにす・・(しかし世が乱れている・・)。天下は一人の天下にあらず。即ち天下の天下なり。しかれば所請の心は身を先にする非ず。安全の思ひ偏に世のためなり。・・そもそも近曾霖雨相続して正に洪水に及べり。民屋流失し諸人漂没せり。・・願はくはこの祈念の力に依りて自今以降天災を払ひ未兆に於いて萬國無為ならしめむ。・・」
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