福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の6/10

2024-10-13 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の6/10

六、中夭を助給ふ事

常州より北の方に金山あり。其の山の金を掘る男あり。家はをのずから豊にして一子もなかりけり。女房は慳貪愚痴にて後生と云ことをしらず。夫は是をすすめければ腹立しけるほどには思ひけれども言にいはざりければ、うとき人に向ふに似たり。情けをしらねば由ある物語なんどをも語りて心をなぐさむべき由もなし。夫は深く因果をつつしみをそれけるほどに、法師にちかずき佛法けちえんを願奉りけるほどに、願は必ず縁来るならひにて、有智の明匠に近付きて常に参りて諸道の昇進佛法化度のをもむき、善悪の因果成行くありさまをうかがひ聞けるほどにをのずから心付て有為の非佛は夢中の権果、無作の三身は覚りの前の實佛なりとは心えたりけれども(守護國界章七卷下之中・最澄撰・彈麁食者謬破報佛智常章第三「有爲報佛。夢裏權果。無作三身。覺前實佛。」)、さすがに手まどひする事あれば師の教えを受けて地蔵菩薩の悲願をぞたのみ奉るりける。さればあけてもくれても礼拝し名号を唱奉る。ただ此の一三昧をぞ修しける御長三尺(91㎝)の木像を造立し信心をいたして来世の引接を祈りける中にも我が宝禄すでに以て多しといへどもゆずるべきやからもなし。未来を助くべき子息なしと心ぼさく思ひけるほどに、胸中の願には此の事をぞのぞみける。若し妻の女房からにてや子もなかるらん。其の故は薄地の河原には草木もそだつことなし。石面に根をさす草やあると思ひけるほどに、由ある女房をかたらひ他所にたのみをきて、折に通(かよ)ひけるほどに本の妻、聞きうけて妬みければ夫心くるしく思ひけれども、子息をまうけん事のうれしさに弥よ日比のよしみをぞうしなひける。元来慳貪放逸の罪ふかき功徳の種を尽くす女なれば、よしよしをのれがままになりたらんやうにあれとぞ申さる。されば教に中にも悪には遠ざかり善には近ずくと云へり(増壹阿含經卷第十一善知識品第二十「當親近善知識。莫習惡行信於惡業。所以然者。諸比丘。親近善知識已信便増益。聞施智慧普悉増益」)。さるにても事のやうをあんずるに金をほる日は手足必ず黄色に藍をもむ夕部は其の手きはめて青し。漁に交る人は殺生ををもい、法域にのぞむともがらは佛道をたくむ。かかる悪縁にはそはぬともありなましと思ひけり。其の上今の女房は心ざまやさしく情もふかし。因果をしり罪ををそれ、佛を信じ身にかへても人を助けんと思てある志、誠にたのもしと、いよいよ最愛しければ本妻あまりに妬みけるほどに胸ふさがりて病となりゆく。ほどもなくして失ける。雨風をそろしく吹あれて青色の鬼飛び来り死したる骸をとりて行方しらず去りにけり。目前の事なれば見る人聞く人をどろきてり。其の後今の女房、産に臨みければ邪気と申すかかりけるが、人の目には若き僧立ちよりてかいしゃくの女房の中に交わりて此の女房の後ろにまはり玉ふかとみれば難産忽ちに軽くして玉の如くなる男子を生侍けり。されども母は七日過ぎてむなしくなりければ、夫なげき哀しむことかぎりなし。且又十日ばかりしてのち子も共に失にければ心の置所もなく佛を怨み神にそむき奉りけれども彼の亡者どもの罪障のほど訪ひ助んと思ひ立ちて出家の志を発(をこり)、財宝もよしなし、誰にあたふべき、をしからずのこすべき人もなし、とてなげきけるほどに、三界流浪の身となりて、高野粉河の行人とぞなる(粉河寺は中世には衆徒方・行人方・方衆方に別れ、戦国時代に最盛期を迎え、550の堂舎があった)。かねてたくはえ持ちたる金三百両ををしたためて持ち其の外資財郎従牛馬を打ち捨て西國修行に出けるが尾張國宮地山(愛知県豊川市にある。古来名所として歌にも歌われた。「なにしおはばとほからねどもみやぢやま これをたむけのぬさにせよきみ(躬恒集)。「あらしこそ吹きこざりけれ宮路山 まだもみじ葉のちらで残れる(更級日記)」)にて山賊の値ひすでにあやうき所に元来武勇の荒者なれば道心もはずれはてて此を詮との思ふほどに、梓といふ木を杖につきたりしが、とりのべて散々に防ぎ戦いけるに太刀に一當あてられてもののかずならず打ち折けり。膚に刀を帯しつるが、すはここぞ詮なるはとぬき持ちて戦ひけるが七八人の敵を二三人切り伏せのこる奴原四方へをいちらしける所に、宮地太郎俊綱唯一人残りて、此の手強い男によせ合て疵をも付けず。引くときは人の頭となるものの後日の沙汰もいかがとて引き返し命もをしまずたたかひけり。是もあやうく見えけるに、いかがはしたりけん、足場のあしき所に岸近く草のしげりたる所を平地と心得てふみはずして落ち入りたるを俊綱えたやあふと追い伏せてことごとく奪い取り入道に綱をかけ宿所に皈り、桜の木にいましめ付け夜に入って首を切り、死人手負の心をなぐさめんと酒をのみてあそびけり。入道は本願虚しからんことを悲しみて地蔵を念じ奉りけり。かかりける所の修行者一人来たりてのぞき目して立たり。俊綱が云く、何事にのぞき目する、ただし案内を見る、同類かと云ければ、是は都の者なるが御酒の御したたりをのぞみて推参し侍る由を申しければ、酒氣の輩やさしし面白と末座に請したり。都の人と聞けば心にくし歌よみ玉へとぞ所望しけり。歌道は能もしらねども當坐の題を下し玉はれ、仕らんと申しければ、俊綱ゆびさして、あのいましめをきたる男を讃め玉へ、庭も櫻も男も皆よみ入れ玉へ。引き出物は所望に任すべしと云ければ、承ると云て、

「此の庭の花のもとにて なはつきぬ 烏帽子櫻のやさ男哉」(烏帽子櫻とは、元服して烏帽子をかぶりはじめることを桜にたとえて風流にいったもの 。元服した人。)

とよみ玉へり。面白しとてさざめきて所望は何やらんと申しければ遁世者の習にて財宝はのぞみなし。歌の題にて侍ればあの入道を下し玉はって此の御縁に引きすへさせ玉へと申しければ、罪科至極の奴なれども約束なれば力なしとて索を解き免しければ行者請取廣延にすへたり。俊綱盃をひかへたり肴一つを請(こひ)けり、承ると云て當世都にはやりたる獅子頭と云ふ腰鞁(腰鼓?)を仕つらんと云ふ。俊綱の子息童部どもけいこしたり面白しとて金襴の打かけ、小袴の腰鼓、もみえぼし(揉烏帽子。 薄く漆を塗って柔らかにもんだ烏帽子。兜 などの下に折り畳んで着用)取り揃えてあたへたり。行者出立すまして腰に付けたるつつみを打ち鳴らし時を移して打つほどに日も西山に入りけるに、老若男女庭上に市をなしとよめきうたりてかけ物せんとひしめきけるに、音頭をぞあけたり。今日もはや入逢(夕暮れ)過ぎて、ふけ行くになをよそ照す日こそとおけれ。山又山は家路なりけり。とうたいしずめてをとりはね打すましけるほどに、彼の入道は心をすまして聞きけるが、目こそとをとは早とよむb\文字なり。山又山とは出るとよむ、家路とはかえるとなり。思つつ゛け見てあれば早く出て皈れとや、さらば出んと思いつつ人にまぎれて走り出、不思議の命助かりて、さながら夢の心地にて其の夜は三川の八つ橋(伊勢物語で「三河の国、八橋といふ所にいたりぬ」として業平が「からごろも きつつなれにし つ ましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」と歌っています)の宿に走り付き息打ち吹きて休み居て心安すさに睡入りける夢に僧一人立向て、汝は夢の中に亦幾世の夢をか見つらん。是唯汝が心の愚にして道心外にありと思へるは正に汝が迷なり。唯胸の中に有り。佛道外になし。外に向て迷ふが故にかかるあやしき道にきて此の中夭に値ふ。唯直心念佛慈心施門を行ぜば汝即ち佛なるべしと示し玉へば夢覚めけり。それより本國に皈て日来信心を致し奉る持佛堂にさし入り伏し拝奉る。人に物云やうに此の間の旅の沙汰をつぶさに申して拝奉んと御戸を開き見れば御頭に烏帽子、腰に鞁(鼓)を付けて立ち玉へり。あまりたっとさに音もをしまれず泣きける。希代不思議の事どもなり。

引証。前引く所の延命經の、變ぜざるところなし云々。(仏説延命地蔵菩薩経「三界のあらゆる四生五形は變ぜざるところなし」)。

 

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