9月12日
1時~3時半、諸堂参拝、明星禮。今朝も同じように薄雲をとおしてお月様が光を投げかけてくださる。またいつもと同じように不思議な鳥が頭上を旋回します。岩の上で入法界観を修したとき時間も空間もすべてが溶け合っているのだと思いました。自分も時間的にも無限の過去から存在しておりお釈迦様の成道の時もいたし、お大師様のときも存在したのだという気になりました。当然なつかしい御先祖ともいつも一緒だったのだという気がしました。帰りの参道は大変嬉しいような不思議な気持ちで歩きました。
56座は4時半入堂です。前半は眠くて仕方ありませんでした。しかし途中で以前副住職がおっしゃったことを思い出し粛然としました。何年か前、全盲の方が一人で八十八所を歩いて回ったときのこと、周りの人たちは本人をほめないで「お大師様は本当に偉いね」と口々に言ったというのです。この話をおもいだしてなぜか泣けて仕方ありませんでした。
出堂してそれまで義務感でやっていた佛器磨きや掃除を心からやるようになりました。
1時~3時半、諸堂参拝、明星禮。今朝も同じように薄雲をとおしてお月様が光を投げかけてくださる。またいつもと同じように不思議な鳥が頭上を旋回します。岩の上で入法界観を修したとき時間も空間もすべてが溶け合っているのだと思いました。自分も時間的にも無限の過去から存在しておりお釈迦様の成道の時もいたし、お大師様のときも存在したのだという気になりました。当然なつかしい御先祖ともいつも一緒だったのだという気がしました。帰りの参道は大変嬉しいような不思議な気持ちで歩きました。
56座は4時半入堂です。前半は眠くて仕方ありませんでした。しかし途中で以前副住職がおっしゃったことを思い出し粛然としました。何年か前、全盲の方が一人で八十八所を歩いて回ったときのこと、周りの人たちは本人をほめないで「お大師様は本当に偉いね」と口々に言ったというのです。この話をおもいだしてなぜか泣けて仕方ありませんでした。
出堂してそれまで義務感でやっていた佛器磨きや掃除を心からやるようになりました。