福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

還暦求聞持成満の記 その102

2010-01-25 | 還暦求聞持成満の記
9月18日、曇り。明星は拝せず。閼伽井のところまでいつもの鳥がきて頭の上をまわります。岩場ではよくくるのですが峰の裏に当たるここまでくるのは初めてです。

明星禮では「衆生無辺誓願度」と念じると周囲の山々から岩の上のこちらにむけてエネルギーが集中して注がれてくるように感じます。責任重大と思いました。

68座は風邪気味で集中できませんでした。風邪などひくというのは昨日あたりからあと2週間だという油断が出てきているのでしょう。座は座布団などひいていないので気温が低くなるとお尻の下が冷たくなってきます。初めて座具を敷きました。この後は姿勢もよくなり修行に集中できました。座具は当てたほうがいい行ができると思うのですが昔の釈雲照師などの行に徹した偉い方々の写真をみても皆様背がくぐまっていらっつしゃいます。座具をやはり敷かないで生涯行に励まれたためと思われます。

自分の行はあとはこの風邪がこじれないことを仏様にお願いするばかりです。こうして少し風邪気味になっただけで改めてこの行はすべての条件が整わなければ成満できない大変な行なのだ、自分ひとりの力では如何ともしがたい面を有するものなのだと思い至りました。

69座ははじめて風邪薬をのんで座に入りました。行は浅いものになるかと思ったのですが意外に深い行が修せました。風邪で逆に緊張して一生懸命行じたためか、いままででも最高の部類に入る行です。お堂全体と自分がえもいわれぬ親和感をもって一体化してきます。なぜかむかし生家の寺の本堂の片隅に屏風を建て岡倉天心の「茶の本」を玉露をすすりつつ読んでいた頃の充実感が生き生きとよみがえります。御本尊もやはり胸中に感じることができます。ご本尊様に「満行させてやるぞ」とおっしゃっていただいた気がしました。念誦も向かいにいらっしゃる御本尊との間で循環するというような他人行儀なものでなくただただご本尊と一体となっているその場でおとなえするだけでいいのだと思われました。

また入法界観のところでは目の前の五輪塔の「地水火風空」を通して自分は法界と一体なのだと思いました。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 還暦求聞持成満の記 その101 | トップ | 豊山派教化センター公開講座... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

還暦求聞持成満の記」カテゴリの最新記事